何をして伝統と捉えるのかの解釈はとても難しいのかもしれませんが、死生観をあえて伝統として捉えてみると、死後も魂は村のそばで子孫たちを守っているもの…それが日本人の伝統的な死生観だったと言うことができます。
生と死はたえず繋がっていて、この世の半分は生身の身体を持って生きる生の世界、半分は身体を持たない…生の世界からは見ることのできない魂の世界…。ようするに、目に見える世界と目に見えない世界とで成り立っているのがこの世である…という考え方が、長く日本人の思考の根底をつかさどっていたのだと思います。 ![]() 目に見えない世界とは想像の世界である…とも言えますが、現代に生きる私たちにとっての想像の世界とは、「ほんとうは存在しないことを想像した世界」であるのに対して、かつての多くの日本人にとっての想像の世界とは、「目には見えないものを想像した世界」…「無いの想像」に対する「在るの想像」ということであり、 単に想像とは言っても、『思考の根底をつかさどるもの』によって言葉の意味にしても行動の目的にしても全く異なるものになってしまうことに気付かされます。 世界と日本にとっての近代という感覚にはずれがあるとは思いますが、日本人にとっての近代…太平洋戦争終結後の私たちは、死をタブーなものとすることで、不都合なものは見ないという時代をつくってきたとも言える。 …結果、そうすることによって、急速な戦後復興と経済発展を遂げることができたという見方もできるような気がしています。 そうやってつくられた現代という社会に起こった昨年3月11日の大震災によって、私たちは、荒れ狂う自然を目のあたりにし巨大津波を体験した…、原発が大事故を起こしたことによっていまも目には見えない死が私たちに忍び寄ってきています…。 原発とは、死をタブーにしながら歩みつくり上げてきた象徴であるとも言える…私たち日本人が、戦後からいままでずっとタブーにし続けてきた死を封じ込める手立てがいま無くなりつつあるのかもしれません。 これまでずっと、死をタブーにして…見たくないもの、臭いものには蓋をしながら暮らしてきた私たちにとって、死の気配はとても恐ろしく感じるのは当然のことだと思います。 ![]() Richard Long 死のタブーとすること、それは「生命に対して目を閉じる」ということです。 3.11という災害は、死をタブーにしてきた…生命に対して目を閉じてきた私たちに対して起こった災害です。 死は私たちばかりでなく、この世の全ての生命にとって避けることはできないもの。 それは動物や植物といった生物だけで無い…。 鉱物や水や空気だって生きている。地球そのものが生きているし、絶えず変化を繰り返しながら私たち人間が想像できるはるか先に地球にも死は訪れる…。永遠に変わらず在り続けるものなど、この世には何一つとして存在しないのです。 にもかかわらず、この世から、死をタブーにする…見ないことにして生の絶対化を図ってしまうのはなぜか。 3.11を経験した私たち、日本人だからこそ、これについて真剣に考えなければならないのではないかと思うのです。 私たちは死をタブー化し、生の絶対化を図ることによって生きる目的だけを抱えてしまった。あくなき生の追求に応じる社会…いまを如何に快適に生きるかだけに焦点をあてた社会を形づくってきた。 と同時に、とても小さくて弱い私たち一人ひとりがそれぞれ「生きる目的」を決めなければならない…という暗黙のルールがひかれた社会を生きている。 そんな弱くて小さな私たち一人ひとり、それぞれが、生きる目的を探し出そうとした途端、標準的なるものや一般的や平均的…という巨大なものは一斉に私たちに襲いかかり飲み込もうとする。 巨大なものに抵抗し戦い続けることはとても難しいということを日々感じながら生きる…。 そうやって、私たちから『生きる力』を奪い去ってゆく社会…この社会の根底を支えているもの、私たちの思考の根底をつかさどるもの、それこそが生の絶対化なのだと思います。 私はいま何よりも、生命に向き直ることこそが重要で、その為には、死をタブーとしてはならない。 死を私たち権利として取り戻す…というと、恐ろしくなって逃げてしまう人もたくさんいるとは思いますが、死を語らずも、数多くの生命への出会いの場をつくることによって、必ずや日本人の伝統的な死生観を取り戻すことができるのではないか…、日本人にとっての伝統的な死生観は、グローバル化する現代社会が抱えてしまったたくさんの問題にとっての最も大切な解決への第一歩だと私は思います。 小池マサヒサ 記 ![]() Richard Long 「walkrun」
by cafe_mazekoze
| 2012-08-03 12:45
| RIKI-TRIBAL
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