alternative…オルタナティブ
辞書を通じて訳を探すことは可能だけれど、自分の感覚として納得できるような訳を見つけることはできない。 「代案。代替物。即在の支配的なものに対する、もう一つのもの。特に、産業社会に対抗する人間と自然との共産型の社会を目指す生活様式・思想・運動など」とある…。 なるほど、間違っちゃいないと思う。でも何かが違う気もする…なにもそこまで反逆的なものではないような気もするが…。 alternativeという表現を良く耳にするのは音楽に関する用語において、または、サブカルチャーなるものを捉える意図で、オルタナティブカルチャーとしてalternativeが用いられる場合だろうか。 何はともあれ、これまで自分が選択する様々の近くに常にあり続けてきた何か… それがalternativeであるような気がしている。 今年一年を振り返ることを強いられるようなこの時期は好きじゃない。 いつ頃からかこう思うようになってしまった。大人になった時から…ということか。 できることなら振り返ることなくこの時期をなんとなくやり過ごしたい…という、いい加減な性格は増すばかり。これがあれこれと歪みとなって自分にのしかかってくる…この歪でがんじがらめになってしまっている今日この頃。 生れてからこのかた、今年ほど強烈に歪を感じたことは無かった。 そう思いながら動けないほどの歪…これも自縄自縛なのか。 …だとしても、この自縄自縛から抜け出す術が見つからない。 もうだいぶ前になるけれど、この時期が好きじゃないのは、この国の今の時期だからじゃないか…って思いながら、12月のちょうど今頃から2カ月ほど海外に逃避していた数年間がある。 今思うとあの逃避は、大人になりきれないままの自分…これが世間とわかろうとしながらもどうにも折り合いが付けられない自縄自縛状態から抜け出すための名案だった。 少なくともその間だけは、Climbingしている間だけは解き放たれていたことは間違いない。 海外に…とは言っても芸能人がお正月にハワイに出かけるようなやつとはだいぶ違う…。 目的は岩山…Climbingするための海外逃避。 日本のこの時期は冬突入の真っ最中。 この時期に日本でClimbingできる岩山もあるにはあるけれどその数は多くはない。ましてやこの時期に山に出かけ、岩に登るからにはそれ相応の覚悟と根性がいる。冷えた岩はまるで氷のよう。 年間を通じて湿度の高い日本は、ある意味で湿度の下がる冬こそがClimbingのベストシーズン(クライミングシューズの靴底の摩擦係数が上がって…靴が滑らない…登りやすい)とも言えるのだが、冬であるからには当然のことながら寒い。寒さで体が思ったように動くには時間がかかる上に、お天道様が出ている時間は短すぎる。…おそらく日本のClimbingのベストシーズンは天候が安定する1月後半から3月初旬頃まで。 この時期の日本の山々はとてもとても美しい。 ということで…12月と1月は海外逃避向き。飛行機のチケット代も12月10日前後に出国、1月後半すぎに帰国するなら格安だったことも理由。 そうやって日本文化の集大成のような怒涛の年末年始を何回も海外逃避してきた自分…。 そのつけ?が今に回ってきているのかもしれない。 話しは少々逸れ気味になってしまったけれど、Climbingとalternativeには自分にとって同じ意味性が内在している。 Climbingが、産業社会に対抗する人間と自然との共産型の社会を目指す生活様式・思想・運動だとまでは言わないけれど、即在の支配的なものに対して考えたり思う時、その行為はとても有効な手段、きっかけであると思っている。 どんなに強がってみても、その相手は地球そのもの。 重力から解き放たれたいという願いもむなしく、岩にしがみつきながら自分の非力さ、弱さ、意気地無さ、非力さに打ちのめされ、自分に苛立ちながら…。だとしても、あまりにも大きすぎるそれに対してあまりにも小さな人間が挑み戯れている姿は美しい。そんな自分自身に酔いしれてみる瞬間があっても良いと思う。 そこは、支配するとかされるとかの区別の無い世界…自由で平等な世界が広がっている。 たとえそれが瞬間と言えどもそんな世界がこの世にはあるということを自分は岩にしがみつきながら感じていた。 そんなClimbingに没頭していたあの頃から随分と時が経ってしまった今、そんな瞬間に出会うことはめっきり減ってしまったような気がする。 それでもそんな今も変わらず私が追い求めているのは、あの時あの瞬間に感じたあの世界。 できることならこれからをそんな世界の中で生きてゆきたいと心から思うものの、街中に暮らしながら…SusutainableやArtとの関わりの中でその瞬間に出会うことは難しい。 Climbingを訳すことはalternativeを訳すことと同じく難しい。 確かにそれは山登り、岩登りではある…。 けれど、山に登る…岩に登る…これが何を意味するのかを翻訳辞書に委ねてみてもそれは所詮無理な話し。 alternativeもClimbingもそれはおそらくは感覚でしか捉えられないものだから。 BioregionalismやSustainableという捉え方、Natural Buildingという手法やrocketstoveやComposting toiletという方法…シュタイナーや南方熊楠という私を魅了する先人たちの歩み…。 私たちひとり一人の中にある感性の扉が開かれた時に感じること…。 その瞬間が訪れた時に感じる世界観…それが私の思うalternative…私の生きたいと願う広がりだと思う。 そうした世界観を感じながらそしてその世界に生き続けたい。 己の感覚、感性を信じてこの世を生きること…それが私がこの世の生き方としてArtを選択した理由だ。私がArtだと信じているものがはたして今この世界で言うところのArtであるかどうかわからない。まぁそれはもはやどうでもいいこと。 ただ、これがArtだと信じそのArtを生き方として選択してしまった事実を伝え続けることしかできない者たちが過去から現在まで、そしてこれからもこの世界の一端をつくり続けてゆく。 時には、所詮自己満足にすぎない…とか、無責任だと罵られ責めたてられることもあるかもしれない。 …申し訳ないと思う。自分の選択が結果とはいえ他人を巻き込み、迷惑をかけてしまったことについては謝らなければならないけれど、私と地球とが一対一で関係したことによって築かれる事実こそがこの世に築かれる唯一の真実だと私は信じている。 この真実の先に広がる広大な世界…alternativeな世界は私たちの感性の広がりと共に今も広がり続けているのだ。 小池マサヒサ 記
by cafe_mazekoze
| 2011-12-15 16:02
| RIKI-TRIBAL
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