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善光寺と門前町とカフェ

『急速な変化』はどこか危険な香りがする…。

平均的な成長スピードはどのジャンル…どの世界にもあるけれど、成長期をむかえた子供が1年に10cm以上も伸びることもあるように、例外的に平均を超えて急激に成長するような時期もある。自分の場合、既にはるか昔のことで記憶は曖昧だけれど、中学1~2年の頃に最大の成長期があって、関節やら踵が痛くなったことをなんとなく記憶している。
当時バスケットボール部だった自分は、身長が伸びることは大歓迎…けれど急成長は痛みを伴うということを体で知ったのもその頃だった。

先々週末に突然、足が痛くて歩けないと言い始めた娘。
覚えてはいないけれど何処かにぶつけたのかもしれない…と言ってはいるものの、徐々に足の痛みは増している様子…階段の上り下りもままならなくなってきたので、念のため病院へ。…付き添った妻によると、どうやら足というよりは股関節の痛みであることは判明したものの、「原因はわからないがこのままこの状況を悪化させると障害が残って、車椅子が必要になる」…という診断。
…えっ…それが診断? 脅かされただけじゃない?
患者の不安を拭うような一言も何も無く…原因として考えられることも聞けない…。
…ほんとにちゃんと聞いてきたの?…と妻を責めてしまった自分も恥ずかしいけれど、まったく人を見る気あるのかなぁ??って思う。
あ~あ…また病院が嫌いになっちまった…。

このところ、親の自分でさえ、随分と身長が伸びたなぁ…と感じるほどに娘の背は伸びた。これだけ急に成長すれば、体の何処かに歪が出でも不思議ではない。おそらくこのところの急成長が娘の場合は股関節痛という歪となって現れたのだろう。
…あれから一週間たってプールの発表会。
もう痛くないから泳ぐよ…見に来てね…とはりきって学校に出かけた娘は25Mを元気に泳ぎきっていた。
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「善光寺門前町」にはこのところ新しいお店が急速に増え始めている。
マゼコゼから歩いて数分といった近場にも新しいお店がもうすぐオープンするらしい。
そのどちらもがカフェになるそうだ。
たまに、「門前にこんなにカフェが増えてしまって大丈夫なの?」…という質問をされるが、ライバルが増えてそれでも商売は成り立つのか?・・・少ない客をとり合うようなことにならないのか?という疑問を抱く人がいるのも当然だとは思う。

…けれど、「いま・ここ」…善光寺門前町の可能性を高めてゆくためには…、
今は『カフェという場』が必要で、その数は少なくとも20軒以上…とイメージしている自分としては、今現在のカフェ数では…今のカフェでは…まだまだ私のイメージに遠く及ばない。
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マゼコゼもカフェ…となのっている以上、“カフェ”であることに間違いないけれど、一般的に認知されている「カフェ」と私がイメージしている「カフェ」では少々イメージが異なるかもしれない。
そういうカフェじゃなくてこういうカフェ…と「カフェ」を言語化して伝えることはとても難しい…。

でもあえて自分がイメージするカフェを強引に言語化してみるとするとすれば、
カフェとは『人の周りに人が集うことで場が築かれる状態』
「場」とは、ヒトやモノやコトが他の様々に影響を与えながら関係性をつくり上げる時間や空間のこと。
ようするに、カフェとは形態では無くて状態であると考えている私からすれば、カフェは必ずしも建物を必要とするものでもないし飲食店であるとも限らない。

カフェにとって最も重要かつ大切なもの…?
それは間違い無く「人」
人・・・
店主や店員である「人」、そして、そこに訪れる客と呼ばれる「人」

様々が互いに影響を与えながら関係性をつくり上げる時間や空間がカフェであるとするならば、カフェに完成状態は無く、日々刻々と変化する時空そのものがカフェであるとも言える。
カフェである店側が一方的に客にサービスを提供するのではない…。
客として訪れる人もカフェという時間と空間をつくる最も大切な要因…ここがなければカフェは始まらない。
店と客、そしてその周りに集う様々が関係しながら、共につくられる場…それがカフェだと私は思う。
そんな「カフェ」にはじめて接する人からすれば、カフェの敷居は高く感じるかもしれない…でも、いつしかそんな場を共につくることに加わってみてほしい。そうすればきっと敷居とは何であるのかを感じてもらえるような気がする…。

そんなカフェが善光寺門前町に20軒以上欲しい…。
まだまだその数には遠く及ばない。
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私たちが長野市に移り住んで来る前、私たちは東京都国立市に暮らしていた。
国立市は、長野市とは比較できないほどの小さなまちだけれど、古くからカフェがあったり、カフェの看板を掲げてはいないものの、カフェ的な場がたくさんあった街。そんな場から様々な会話が生まれる。国立という街に暮らしていると、まちがそうした会話と共に成長してきたことが実感できた。
そんな国立市に暮らしながら住宅街の片隅で10年間、カフェ的でもある“図書館ギャラリーPlanterCotatge"という場づくりを行ってきた私たち。
プランターコテッジは、そこで出会った仲間たちに引き継がれ今もそこから会話が生まれる場所となっている。

そんな国立市にも大きな変化が訪れている。その変化の大きな要因はバブル経済期以降沈静化していた土地価格の再びの上昇とそれにに伴う家賃の高騰があげられる。
駅前にあった小さなカフェは店を閉め、その代わりに全国でチェーン展開するカフェができた。気がつけばカフェばかりでは無い…居酒屋もドラッグストアーも大手チェーン店に変わり駅前の雰囲気は大きく変わった。
駅前商店街の組合長さんによると商店街組合に加盟しているお店は随分と減ってしまっているという…。
こうした状況をして一概に、大手チェーン店が良くないものと決めつけることはできないけれど、そうした店舗がいくら増えたとしても、まちに暮らす人々が人の周りに集い、そこから会話が育まれる場となってゆくことを想像しずらいのは私だけではないだろう…。
まちの会話が育まれる「場」が失われてゆくことは、「まちのありよう」にとってとても重大で危惧すべき出来事だと思う。


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            江戸時代中期以前の善光寺町とその周辺図
                    (長野市立博物館蔵)          
          この頃の善光寺は現在の仲見世の真ん中あたりにあるが
          その後焼失…現在の場所に再建される。


長野市における中心市街地の衰退化…あるいは中心市街地の人口減少、少子高齢化が危惧されいることもまた事実。
ただ、「中心市街地の衰退化」と叫ばれてはいるものの、何をして衰退化…と言っていいるのかをこのあたりでもう一度真剣に考えるてみる必要性があるような気がしてならない。

かつて日本が高度成長期を迎えるにあたり膨大な人の移動が始まった。都市人口は急激に増加する。
それは長野市も同じ…農山村から都市部へと人の移動が起こり、市街地の人口は急激に増加する。やがて市街地の人口が飽和状態に近くなる頃には人々に経済的な余裕が生まれ、それと同時に住宅需要が増し、中心市街地からその周辺域へと人々の拡散移動が始まった。
この頃から中心市街地は商業と経済の中心地としての役割が明確となり、かつて門前町に暮らしながら商売も営んでいた人々の多くも、商売や仕事は中心市街地…寝食はその周辺地域という二か所での暮らしがあたりまえになってゆく。
こうした暮らし方の変化は早くは昭和40年代中頃から…最盛期は昭和50年代後半というところであろうか…。1970年半ばから80年代半ば(昭和45年頃~昭和55年頃)が長野市にとっての、暮らし方…まちのあり方にとっての大きな変換期だった思うが、この頃既に「ドウナツ化現象」と呼ばれる中心市街地の人口減少は地域社会問題化していたものの、やがておとずれる新たな問題…中心市街地全体に様々な歪が連鎖し生じるであろう意識はまだまだ希薄だったような気がする。

いま、こうした歴史を振り返ってみれば、現在の中心市街地の様相を容易に想像できるような気もする…。
しかし悲しいかな人間は…いま目の前で起こっていることにとらわれる。
我が身に降りかかって…、自分の目で見てはじめて自分事としてとらえられる…。

中心市街地という分け方…括り方に疑問はあるが、少なくとも、いま私たちが暮らす善光寺門前町は決して衰退しているわけではないと私は思っている。
少子高齢化は単に現状であり、中心市街地から商業的な必要性が減少し、経済的に衰退したとはいえ、それがそのまま町の衰退であるとは限らない…。
かつて長野市の経済を険引した中心市街地を再び活性化したいと願う人がいるのはわかる…でもいまのところ、この地域が長野市街地で再び経済的、商業的中心地となるイメージをいったいどれだけの人が共有できるのだろうか。

いま大切なことはより明確な町の希望…イメージが交差するような会話が育まれる町をつくることだと私は思う。
想像する力…たくさんの人が想像する力を持つことができればやがて次の創造に向かうことができると私は信じている。
そのために、いまここにそんな会話が育まれるカフェがあって欲しいと思う。
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このところ門前町が急速に変わり始めていることは単に出来事であって、ここに想像が起こり創造され、やがて成長に至るかどうかは今はまだわからない…。
いまは決して急成長では無い・・・まだ何も始まってはいない…。

とはいえ、この変化が急速な変化である以上、何処かしらに歪が生じる危険性が潜んでいることを私たちは過去の様々な経験から学びとることができるはずだ。
中心市街地の人口が空洞化していったことや、人々の生活が郊外へと拡散していったこと…。そこに潜む歪を人々はどのように感じていたのであろうか…。

私の娘が経験しているような体の成長過程に生じる歪であるとか、あまりに急激なダイエットから生じる歪は、その本人が痛みとして感じることのできる歪となってあらわれる分、ある意味とても理解しやすく、さらにその歪は修正しやすいのかもしれない。
それに比較して「まち」の急速な変化に生じる歪は、体に対する痛みとは別のかたちで現れる…。
「まち」が生じる痛みは私たちが体に感じる痛みとは少々性質が異なる分、とても厄介…その痛みの特徴は人と人との間にある関係性を蝕んでゆくところにある…と私は考えている。
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美術家の立ち位置は、美術家ひとり一人皆違うのが当然…。
美術家とは誰に頼まれるわけでも無く、自らの立ち位置を決め、美術を通じて“いまここ”を生きる生き方のことだ。
自分にとっての興味は「目には見えない関係性」・・・そして関係性の連鎖がつくり出す網の目のどこかしらに生じる「歪」そして「痛み」にある。
美術(Art)はそれらを捉え感じるための気付きの瞬間へと私を導いてくれるもの。
「まち」と呼ばれる時空に意識が向くのもまた、そこに複雑に絡み合った関係性の網の目を感じるから…おそらくはその網の目の何処かには歪や痛みがあるからかもしれない…。


長野市で…しかも善光寺門前のカフェにそんなに人が来るのか?…と聞かれれば、
今はまだ、「さぁ、どうでしょう?来るといいですねぇ…」と答えることしかできない。
商売の常識からすれば、この場所で…いまのままの門前でカフェ経営だけで生活してゆくことは限りなく不可能に近い。
この限りない不可能を多少なりとも可能の方向へと近付けてゆく為には、お互いが切磋琢磨しつつ「カフェ」が門前町の必要性として、町に暮らしている人々、周辺地域の人々、長野市に暮らす人々、善光寺とその門前町に観光で訪れる人々…に周知されてゆくしかないけれど、その道筋は今はまだとても険しい。

「なぜカフェなのか?」…は、善光寺門前町でカフェという「場」をつくる当事者、また、それらの人々と行動や活動を共にする人々にとって共通するとても大切な問いかけだ。
この問いかけに対する答えは、質問者への返答というよりはむしろ“自分はこの町との関わりをどのように考えているか”…自分がつくろうとしているカフェが町にあることをどのようにイメージしているのか”について自らが確認することだと私は思っている。
是非ともこの問いかけにそれぞれが答えてみてほしい…。
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善光寺門前まちしか考えていなかった…、ここが気になったから…、この町が好きだから…、ただなんとなく…、物件があったから…、話題性があるから…、儲かると思ったから……。
それぞれにそれぞれの理由があるのは当然だ。

…でも、それでも私たちには“いまここ…善光寺門前町”を選択したという共通点がある。
そしてこの共通は単なる偶然では無い。
共通点を生みだした背景には、感じはするけれど目には見えない何かしらの空気感のようなもの…いまここだけにしか無い気配のようなものがきっとある。
出発点、きっかけは違えども、目には見えないこの空気感あるいは気配を感じ、そして私たちは“ここ”を選択してしまったのだ。

この空気感をつくり出している何か…それこそが社会という目には見えない全体像…『時空』であることは間違い無い。
社会とは目には見えない関係性が網の目のように繋がりあうことによってつ形づくられている時間と空間だとすれば、ほんとうは「私」と関係の無いことなどこの世界には何一つとして無いのかもしれない。
いま目の前にあるモノ、起こるコト、出会う人・・・
本来それら全ては私と間になにかしらの関係がある。
そこに関係性が見出せるかどうか…それは「私」がその関係性を意識するかどうかにかかっている。
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私たち家族が長く暮らした東京、国立市を離れ、長野市へ…善光寺門前町の片隅に暮らし始めた理由は幾つかあるけれど、善光寺の存在がそうした理由の一つであることは間違いない。
私は「善光寺」とは、自己意識に向きなおる為に用意された壮大なプランであり、あらゆる芸術が集合した総合芸術時空間だと思っている。
この時空間は、そこにあり続けることによって日々変化し続け、いまもなお成長し続けている…。
もちろん仏教という信仰や哲学性に興味が無いわけではないけれど、私にとってはそれ以上に、変容・成長し続ける善光寺がつくり出す時空に興味は尽きない…。

私たちひとり一人は、一つの社会の中に生きている。
けれど、この社会の大きさ…広がりを私たちひとり一人は別々に…個々に感じているために、社会が一つの繋がりの連鎖によってつくられているという全体性は気がつきにくい。
善光寺とはその全体性を私に気付かせたとても大きなきっかけだ。

かつて善光寺門前には全国からたくさんの人々が善光寺を目指して集まってきた。
宿坊をはじめとして門前町全体が『人の周りに人が集うことで場が築かれる状態』であったと思う。
私の感覚からすればこの状態は町のそこかしこに『カフェ』があるようなもの。
カフェ文化は長野には根付かない…という人も多いけれど、歴史的に考えれば善光寺門前にはカフェ文化が根付いていたと私は思っている。
だからと言って、ただ単にノスタルジックに過去を追い求める必要はないけれど、この町ならではの人の繋がり方を過去に学ぶことはとても重要なことだと思う。


社会は一つの繋がりの連鎖によってつくられているという捉え方…こうした捉え方、はホリスティックとも言われるが、こうした意識をどのように育むか?…こそが、3.11を経験している私たちが、これからの日々を生きる上でとても大切で重要なことであると私は思っている。
別々の命を持ってこの世に生れた私たちが一つの社会という場を共有しながら生き続けてゆくためには、まず第一に、社会…あるいは、町や村は一つの繋がりによってかたちづくられている…という意識が育まれる必要性を強く感じる。

この育みの過程の担い手は、時に「家庭の子育て」であり、「地域の子育て」であり、「ご近所づきあい」であり、「学校」であり、「社会」…である。
社会とは時に家族であり、暮らす町であり、世界でもある。

繋がりあうことの大切さ、重要性をいつ・どこで・どのようにして感じ、それをどうやって、一つの社会へと繋げてゆくか…。社会を分断せず一つの有機的な繋がりとしてホリスティックに捉える意識へとどのように繋げてゆくか…は、私たちにとってとても難しく険しい道のりだけれど、これこそが私たちがいまもっとも大切にしなければならない感覚だ。


ひとり一人の個性が損なわれることなく、一つの社会を生きとし生けるもの全てが共有し、生き続けられること…そうやって命が次へと繋がってゆくこと…。

そんな社会は絵空ごと…綺麗ごとだと思うかどうかは、私たちの想像性…創造力の力次第…。
イメージすること…。
それこそが、町のそこかしこにカフェがあってあたりまえの門前町となるためのはじめの一歩だと私は思う。

小池マサヒサ 記
by cafe_mazekoze | 2011-09-01 21:48 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)
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