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内と外

このBlogを覗いて下さっている方には、私が日頃何を想いながら何をしているのかについて…、私の日々の不穏な?行動や、メモリー一杯にまで膨張した思考の断片をほぼ無理やり垣間見ていただいています。カフェマゼコゼは、私たちRIKI-TRIBALが行う主要な活動の一つです。RIKI-TRIBALではArt・美術をその活動の中心軸に据え、モノやコトやヒトが必要とする関係性を考えながら、「一緒につくる」を通した様々な『場づくり』を行なっています。
Blogには、思いの丈をとりあえず書き始めてしまうこともよくあることなので、私が何を言いたいのかさっぱりわからないことも多々あるかとは思いますが、そんな時はサラっと軽く受け流してしまってください。
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      〔千曲市 森将軍塚古墳:築造は4世紀末。
       考古学者か探検家になりたかった私…ようやく古墳に至る…〕


日常、自分は「美術家」と称して動き回ってはいるものの、正直言って、この世の中で「美術家です」と説明されて即納得できる人なんているのかしら…とも思っています。
それなのにあえて「美術家です」と自己紹介するのは、どちらかと言えば自分自身への確認…問いかけの意味が大きいような気がしています。
かつては、自分が「美術家」と名のることも、人からアーティストと呼ばれるのすら嫌で嫌でたまらない時期もありました。いま思えば、自分が暮らしていた東京という大都市圏にはもちろん、日本中のたくさんの美術家やアーティストと名のる人の中に埋没しそうな気持ちだけが増して、「俺はあいつらとは違う!」…と言いたかっただけの裏返し。自分が自分として生きること…美術家として生きることに腹をくくれずそこから逃げ回っていたからのような気がします。

そして今、「腹はくくれているのか」…と聞かれてその返答に多少の戸惑いはあるものの、とりあえず、長野市に暮らし始めてからは周囲の人々には努めて「私は美術家です」と話しかけるようにしています。これにはそれなりに勇気も必要ですが、こうすると不思議なことに、人の心と自分の心が少しだけ近づくような感じがする…共鳴する…心が揺れる…そんな気がする。
もちろん、人々の私に対する反応はそれぞれですから、共鳴や揺れは必ずしも好印象へとつながるとは限りませんが、それでも日常の暮らし中に「美術」という言葉だけでも投げ入れることで、まちや人が少しずつはっきりと見えてくる…そんな実感があります。
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      〔土をつくり出す生き物たちを感じる…私たちと彼らは同じいまを生きる。
       コンポストトイレは地面の下の世界への入り口。〕


「美術家です」…と聞いた人からすれば、「変わった職業」もしくは「珍しい人」、時には「厄介な人」「関わりたくない人」なんて思う人もいるかもしれません。
これは、美術家で無くとも他のどんな職業であろうとも、私たちは、人の表向きの職業や肩書を見たり聞いたりした上で、まずは体系・統計化された中にその表向きの情報をあてはめて、そこからこれからの自分との関係性をイメージすることに慣らされてしまった…いつのまにかそんな出会い方が一般的、平均的な“人と人の出会い方”なってしまったような気もします。
それに対して、いわゆる「一目惚れ」や、「なんとなく気になる…」というような「直感」あるいは「勘」と呼ばれるような何かから始まるような出会いにはなんとなく躊躇しがちなってしまったような…。
ときには勘や直感が外れて痛い目にあうこともあるだろうけれど、だからと言って体系・統計化された情報だけではなんとなくものたりない…というか、先入観に邪魔され、腹を割って人と接することに臆病になったり、人目ばかりを気にしてしまったり、人に近づけないのはどうなんだろう…、人への近づき方をあれこれ考えるなんて、なんとも回りくどい気がするのは私だけなのでしょうか。
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            〔進歩・発展…それがいまなのかどうか…〕


表層にまとっているイメージのその先…。
表層が剥がれ、その内側と出会った時に「その人のその人らしさ」や「その人のその人らしい生々しさ」に出会う瞬間があります。
私たちはこの瞬間を通じた内側への気付きによって、体系・統計化の呪縛から解き放たれ、はじめて、生身の人間と人間…その人らしさと自分らしさが正面で向き合うことができるようになる気がします。

ある時からどうやら私にとっての興味はこのあたりにあると感じつつ、それに対して「美術」とはいったい何なのか…そこにはいったいどんな関係性や意味があるのかに私の意識は深く向いて行ったような気がします。「美術」とは「生命」との出会いの瞬間へと導く過程にあるもの…そう私は思っています。
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              〔雪の上のArt…ここは緑のフィールド…〕



表層のその内側…けっして目には見えない不可視である内面領域に他人を招き入れようとする人は少ないし、「注文の多い料理店」じゃないけれど、どうぞどうぞ中へ…はこの世の中、なんとなくきな臭く感じるし、そもそもそんな“やばさ”にさえ気付かないようではそれなりに苦労したりするこの世の中。
ましてや、他人の内面にこちらから強引に入り込めばどうなるのかを想像すれば、体系・統計化された一般論はこの世の中では必須なのかもしれない。体系化された一般的なイメージとはいえ、人が見えないよりはまだ良しとするか…ちょっと臆病すぎるような気もするけれど、そうやって少しずつ人に近づいてゆくつながり方…それが現代の生き方であることはだれも否定できないと思います。

…と言いながらも、こともあろうに自分は「美術家」という根拠に乏しい生き方をこの世の生き方として選んでしまった。
もちろん、美術家だから人とは違う…ということではありませんが、それでも美術あるいはArtが人の心という領域=不可視の領域と深く関係しながら成立している…してきた、ことを思えば、「美術家として生きる」ということは、目に見えるもののその先にあるもの…目には見えないけれど確実にある何か…不可視の領域への探求役を買って出てしまったようなものかもしれません。
…で、なぜ美術やArtなのか…は「直感」としか言いようがないけれど、この世をかたちづくる生命を見たい、知りたいと思えば思うほどに、見えると見えないの境界線が邪魔になるような感覚が増してくる…もしかすると美術はその境界線をいとも簡単に乗り越える手立てとなるのかもしれないという淡い期待。
そんな淡い期待と思うようにはいかない煩わしさの両方を抱えながら今を生きるのもそれはそれで悪くはないと思う今日この頃です。
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               〔勘…可能性〕



「美術」という言葉は明治時代に入ってから大量につくられた新しい日本語のうちの一つ。ラテン語(artes liberales)→英語(liberal arts)を和訳した際につくられた造語で、西洋化近代化を目指した当時の日本がArtという概念を日本にとり入れるにつけ、この西洋のArt概念に最も近い日本語として用いられたのが「芸術」…後に絵画や彫刻などが区別され「美術」とされたようです。

言葉はその国・その地域が持つ文化の蓄積の結果です。
なので、そもそも文化背景が異なる外国語を自国の言葉=文化に瞬間的に置き換えることは本質的には不可能なことであるはずですが、交通や通信網が整備され世界の距離感が薄らいできた現在では、異なる文化の蓄積である言葉が持つ独自性もまた薄らぎ、言葉の背景にある文化を理解していなくとも、自国の文化になぞらえ、言語に関する情報だけを体系・統計化し自国の言葉に変換することが可能になってしまいました。私自身、「Art」と「美術」を曖昧に使ってしまっていることも反省すべきなのですが、そもそも「Art」と「美術」とは異なるもの…それぞれの言葉を生み出した背景にある文化が異なることを私たちは忘れがちだと思います。

「美術」と呼べるものがかつての日本には無かったのかと言えば、そんなことは無いと誰でもが思うでしょう。ただし、おそらくこの質問に対して多くの日本人が思い浮かべるのは「美術」であって「Art」では無い…。いまだ多くの日本人は「美術」の感覚は持ってはいても「Art」の感覚は持ってはいない。言葉は文化によって育まれることを思えばそれはそれとしてあたりまえのことだと思います。
とはいえ、日本人には「Art」は理解できないということでもありません。
すでに「Art」も日本の文化の一部分であることは事実ですし、「Art」も日本語として文化を育むものに進化しなければならないと思います。
文化とは時代と共に育まれ続けるもの…日々変化し続けるものである以上、美術も常に変化し続ける。「美術とは何」という答えは無いし、その必要すら無いと私は思います。
中でも、「現代美術」は、現代社会における美のありようを見ること・考えることによって、現代社会の本質を捉えようとする「あらわれ」です。そう言った意味からすれば現代美術は、社会を呼吸することを通じてのみ現される美術ということであり、美術家が現代を如何に呼吸するかに始まるもの…消化吸収しその栄養素を体内に取り込んで最終的に排出されるものの中に作品と呼ばれるものもあると私は理解しています。
美術作家が現代社会を如何に呼吸したのか…を作品だけから読みとるのは難しく感じるかもしれないけれど、美術家が社会の傍で何をどう呼吸するのかが見えることは社会にとってとても大きな意味があるような気がします。
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              〔森と風のがっこう…〕


Blogによって、どんなに夜中でも早朝でも、いつ何時でも自分の想いの丈を自分の外側に向かって放出できるのは、私にとってかなりありがたいことだと思います。
もう長いことこんな生き方を続けてきたからでしょうか、スポーツを続けてきた人が体を動かさないでいるとなぜか調子が悪くなったように感じたりするのにも似て、私にとっては、自らの内に溜まった思考を何らかの形で外側へと押し出さないと苦しくなる…という体質に変化してしまっているのかもしれません。
もちろんそれがBlogじゃなければだめということではありませんが、私にとってBlogもまた自分の内側と外側をつなぐ媒介役として機能しているということです。

私は、それが美術的であったり、よりArt的なものをつくることもあるし、時には家だったり店だったり庭だったりすることもあります。また、そうした姿形あるものばかりでは無く、計画やデザイン、プランニング、企画、ワークショップといったことも行います。
それらどれもが私にとっては、自分の内側と外側をつなぐ媒介としてあるだけで、自分としてはそれらの間にはなんら区別はありませんが、社会一般的には手や体を動かしながら考える仕事は、「美術的なもの」と「職人的なもの」に…、その他は、「計画性・デザイン・設計性の強い仕事」と「ワークショップ的なもの…教育的な仕事」などに体系化されてしまいがち。
このような体系・統計化することによって仕事を分類し、社会をシステムとして捉えることも時に必要なこともありますが、こと「美術」という「個人」に端を発するものを体系立てて理解しようとしてしまうと生命の本質を見失い、否定することにも成りかねない…。
社会の中に様々なシステムを見つけ出すこともできなくはないけれど、システムとはあらかじめそこにあてはまることを前提として物事を捉えがちで、「あてはまること」と「あてはまらないこと」といったシステム的な捉え方は、最終的には世界を二つに分断してしまう危険性を常にはらんでしまっているということを私たちは忘れてはならないと思います。
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私たちはそもそも、ひとり一つずつの生命を持ってこの世に生まれてきました。
この生命をシステムとして理解しようとしたその瞬間に、「個」が発する意識は予測されていたものとしてシステムに組み込まれ、呑み込まれてしまうような気がしてなりません。
人に出会った瞬間に、何かの縁を感じたり、この人とは前に会ったような気がする…といった幻想や妄想は、システムとしては不安定、不完全と認識されたとしても、幻想や妄想、人の想像性のその先には私たちが未だ経験したことの無い未知の領域や、限りない生命の可能性が潜んでいると私は信じています。

「想うこと」もまた、私という生命があるからこそ成せることである以上、現実を想うことと非現実を想うことには本質的になんら差は無いし、そう考えれば、現実と幻想の境目も所詮は私たち自身がつくり出したものにすぎません。だから、手に取れるもの、目に見えるものだけが現実であって幻想・妄想は本当は無いもの…非現実だとは私にはどうしても思えないのです。
美術とは私にその境界線は越えられるということを私に教えてくれたものでもあります。
生命とは、内なる世界と外なる世界をつなぐことができた時にはじめて薄っすらと…でも確実にあるものとして感じることができるものです。

私はいま、長野市に暮らしながらこの世にひかれた様々な境界線を感じながら生きています。そして、ここには、ここがまだ水内(みのち)と呼ばれていた頃…はるか昔からあり続けてきた善光寺があります。
ある時、そこに私が追い求める「美術」がこの善光寺にある…ということに気が付いた瞬間、それまでどうしても解けなかった糸がスルスルと解けてゆくような感覚がありました。
それは、内なる世界と外なる世界は一体であるというこの世のリアリティー。
その時そこに境界線はありませんでした。

目に見えるもの、目に見ないものは常に表裏一体…「現実とはこういうもの」ということを私たちに伝えてくれるものと共に暮らすこと。
暮らすとは生命を感じとること。
文化を育み続けながら共に暮らすことの中に「生命」との出会いの瞬間はあるのだと思います。


小池マサヒサ 記
by cafe_mazekoze | 2011-08-01 19:03 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)
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