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煩わしさ

病名を特定するには至ってはいないものの、ほぼ自分の体の現状…病気?症状?が医学的に何という病名なのか“二つのうちのどちらか”…まで付き止められた。とはいえ、いまだ食べれるものはかなり限定されたまま…。病名はあくまで病名なだけなわけで、自分としてはまぁともかく“今を生きるしかない”…って感じ。でもなんでだろう…このところ気持ちが軽い気がするのは…。

いま自分の身のまわりで起きているすべてがメッセージ…なのかどうかはよくわからないけれど、全体とは一つの有機的なつながりで、部分を積み重ねても決して全体にはならない…と思っている私としては、いまの自分の病気?症状?は原因不明の遺伝子レベルで起こっている何らかの自然現象だとして、まぁ世の中すべてがそんなものだしなぁ…と自分の体をとおしてこの世の遺伝子ってやつを再認識しているような気もする。
長野市に戻って2年半…ここらで一度、ぼ~っ…として、頭を空にするには調度いい時期なのかもしれない…って思う。
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(京都西京中学理科部がつくったDNA模型…塩基 4種、チミン・アデニン・シトシン・グアニン…この配列のどこかが故障中の私…)

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ラミニン、フィブロネクチン、コラーゲンなどのECM蛋白質は細胞を接着・固定する、一種の生体接着剤のこと。このうちのラミニン5(Laminin-5)が自己免疫によって破壊されてしまっているらしいのが私…自分の内側で起こっていることなのにその理由なんてまったくわからない…いったいどうなっているのやら。


私は美術家として「いまここ」を生きたいと思っている。
できることならば、この気持ちを持ち続けたままのこの一生でありたい…とも思う。
とはいえ、この一生が美術家…あるいはアーティストであったかどうかなんて自分には確かめようが無い。
だから、「いまここ」を感じながら一生を生きたい…だから私はArtする。
美術家とはこの世に生まれた私が選んだこの世の生き方のことだ。

でも…、
自分がなんでArtに魅了されているのかなんてほんとうは何もわかっちゃいない。
そもそも自分が魅了されているのはほんとうにArtなのかどうかもわからない。
Artが自分の望みを叶えるかどうかなんてまったくわからない。
自分がどうして今このまちに暮らしているのかだって、理由なんてよくわからない。
どうしてあの人と友達なのかだってわからないし、自分が嬉しくなったり、悲しくなったりする理由だってよくわからない。

ほんとうはみんなそうなのに、わからないことをわからないと言えないまま「いまここ」を生き続けるうちに、自分ってわからない…って思うようになってしまったのかもしれない。
だからみんな言ってしまえ…「わからない」って。

「わからない」という煩わしさ
煩わしさを感じながら生きる…こうして生きることの中にArtがある。
そうしてその先で、ようやく薄っすらと自分が自分という存在を感じることができるようになる気がする。
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この地域に暮らしながら自分を、地域を、客観的・俯瞰的な視点を持って見ることはとても難しい…。
アーティスト・イン・レジデンス:Artist-in-residence program
この地域に暮らす人々が「いまここ」を感じるための可能性。

「スズキジュンコ|女神の家」は、あらためて私に「いまここ」への大きな気付きのきっかけを与えてくれている。作家である彼女がここ長野善光寺門前に来て何を感じ何をするかはもちろん大切だし、それはそれとしてとても楽しみにしているけれど、私にとっては「いまここ」はそれ以上に重要だ。
私は、私にとっての「いまここ」がなんなのかをそこに見ようとしているし、そこに「いまここ」の中にいる私を…そしてその私に投影されるであろう「いまここ」を見ようとしている。

「いまここ」
アーティストインレジデンスプログラムにとっての最も重要な意味はここにあると私は思っている。

まちの外から招かれたアーティストはいわば鳥…。
空を飛べない私は、鳥に私の代わりにまちを感じてきてほしいと頼む。
私たちが暮らすまちの地表を離れ、高い空の上から私たちが暮らすまちを見下ろす鳥。
鳥が空の上で感じる「いまここ」
鳥は作品をくわえ、まちに暮らす私たちの前に舞い下りる。

Artist-in-residence programで招かれたアーティストが地域と関わりを持って制作することに意味を感じつつ、アーティストとしてさらに大きく成長できるかどうかの鍵は、「いまここ」である地域の中で育まれ、築かれる潜在的な文化力にある。
文化力とはまちの中にアート作品が満ち溢れているといるかどうかなどでは決して計れない、目には見えない地域の内側…内側の最も奥底に秘められている地域にとっての生命の源に蓄えられる力のことだ。
地域がどれだけ成長することができるかは、この文化力の中でも、人やまちを育てようとする力…『育みの力』の量に比例する。この『育みの力』を地域がどれだけ持っているのかは、招かれたアーティストのここでの成長にも当然大きく影響する。地域の人々とアーティストが一定期間を共に同じ地域に暮らすことの中で、私たち自身はいったいどれだけの『育みの力』を持っているのかを知ることができるのだ。

すべてこの世の生の成長は、「相互関係性」「共同性」のもとで育まれると私は信じている。大人が育てる側であるとか子供が育てられる側であるというような一方向的な関係性のもとでは、けっして生は育まれることはない…と私は思う。

「地域に暮らしながら人もまちも共に成長する」
このまちがそんな「いまここ」であってほしいと願うのは私だけではないはずだ。


小池マサヒサ 記

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人はずっと 木の下で食べ、考える 生き物だ。
by cafe_mazekoze | 2011-07-26 23:35 | RIKI-TRIBAL | Comments(1)
Commented by ひとときの面影 at 2011-08-10 18:10 x
生体接着剤、初めて知りました
そういうものがある知りビックリです
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