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煩わしさ

病名を特定するには至ってはいないものの、ほぼ自分の体の現状…病気?症状?が医学的に何という病名なのか“二つのうちのどちらか”…まで付き止められた。とはいえ、いまだ食べれるものはかなり限定されたまま…。病名はあくまで病名なだけなわけで、自分としてはまぁともかく“今を生きるしかない”…って感じ。でもなんでだろう…このところ気持ちが軽い気がするのは…。

いま自分の身のまわりで起きているすべてがメッセージ…なのかどうかはよくわからないけれど、全体とは一つの有機的なつながりで、部分を積み重ねても決して全体にはならない…と思っている私としては、いまの自分の病気?症状?は原因不明の遺伝子レベルで起こっている何らかの自然現象だとして、まぁ世の中すべてがそんなものだしなぁ…と自分の体をとおしてこの世の遺伝子ってやつを再認識しているような気もする。
長野市に戻って2年半…ここらで一度、ぼ~っ…として、頭を空にするには調度いい時期なのかもしれない…って思う。
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(京都西京中学理科部がつくったDNA模型…塩基 4種、チミン・アデニン・シトシン・グアニン…この配列のどこかが故障中の私…)

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ラミニン、フィブロネクチン、コラーゲンなどのECM蛋白質は細胞を接着・固定する、一種の生体接着剤のこと。このうちのラミニン5(Laminin-5)が自己免疫によって破壊されてしまっているらしいのが私…自分の内側で起こっていることなのにその理由なんてまったくわからない…いったいどうなっているのやら。


私は美術家として「いまここ」を生きたいと思っている。
できることならば、この気持ちを持ち続けたままのこの一生でありたい…とも思う。
とはいえ、この一生が美術家…あるいはアーティストであったかどうかなんて自分には確かめようが無い。
だから、「いまここ」を感じながら一生を生きたい…だから私はArtする。
美術家とはこの世に生まれた私が選んだこの世の生き方のことだ。

でも…、
自分がなんでArtに魅了されているのかなんてほんとうは何もわかっちゃいない。
そもそも自分が魅了されているのはほんとうにArtなのかどうかもわからない。
Artが自分の望みを叶えるかどうかなんてまったくわからない。
自分がどうして今このまちに暮らしているのかだって、理由なんてよくわからない。
どうしてあの人と友達なのかだってわからないし、自分が嬉しくなったり、悲しくなったりする理由だってよくわからない。

ほんとうはみんなそうなのに、わからないことをわからないと言えないまま「いまここ」を生き続けるうちに、自分ってわからない…って思うようになってしまったのかもしれない。
だからみんな言ってしまえ…「わからない」って。

「わからない」という煩わしさ
煩わしさを感じながら生きる…こうして生きることの中にArtがある。
そうしてその先で、ようやく薄っすらと自分が自分という存在を感じることができるようになる気がする。
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この地域に暮らしながら自分を、地域を、客観的・俯瞰的な視点を持って見ることはとても難しい…。
アーティスト・イン・レジデンス:Artist-in-residence program
この地域に暮らす人々が「いまここ」を感じるための可能性。

「スズキジュンコ|女神の家」は、あらためて私に「いまここ」への大きな気付きのきっかけを与えてくれている。作家である彼女がここ長野善光寺門前に来て何を感じ何をするかはもちろん大切だし、それはそれとしてとても楽しみにしているけれど、私にとっては「いまここ」はそれ以上に重要だ。
私は、私にとっての「いまここ」がなんなのかをそこに見ようとしているし、そこに「いまここ」の中にいる私を…そしてその私に投影されるであろう「いまここ」を見ようとしている。

「いまここ」
アーティストインレジデンスプログラムにとっての最も重要な意味はここにあると私は思っている。

まちの外から招かれたアーティストはいわば鳥…。
空を飛べない私は、鳥に私の代わりにまちを感じてきてほしいと頼む。
私たちが暮らすまちの地表を離れ、高い空の上から私たちが暮らすまちを見下ろす鳥。
鳥が空の上で感じる「いまここ」
鳥は作品をくわえ、まちに暮らす私たちの前に舞い下りる。

Artist-in-residence programで招かれたアーティストが地域と関わりを持って制作することに意味を感じつつ、アーティストとしてさらに大きく成長できるかどうかの鍵は、「いまここ」である地域の中で育まれ、築かれる潜在的な文化力にある。
文化力とはまちの中にアート作品が満ち溢れているといるかどうかなどでは決して計れない、目には見えない地域の内側…内側の最も奥底に秘められている地域にとっての生命の源に蓄えられる力のことだ。
地域がどれだけ成長することができるかは、この文化力の中でも、人やまちを育てようとする力…『育みの力』の量に比例する。この『育みの力』を地域がどれだけ持っているのかは、招かれたアーティストのここでの成長にも当然大きく影響する。地域の人々とアーティストが一定期間を共に同じ地域に暮らすことの中で、私たち自身はいったいどれだけの『育みの力』を持っているのかを知ることができるのだ。

すべてこの世の生の成長は、「相互関係性」「共同性」のもとで育まれると私は信じている。大人が育てる側であるとか子供が育てられる側であるというような一方向的な関係性のもとでは、けっして生は育まれることはない…と私は思う。

「地域に暮らしながら人もまちも共に成長する」
このまちがそんな「いまここ」であってほしいと願うのは私だけではないはずだ。


小池マサヒサ 記

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人はずっと 木の下で食べ、考える 生き物だ。
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by cafe_mazekoze | 2011-07-26 23:35 | RIKI-TRIBAL | Comments(1)

夏休みは背が伸びる

マゼコゼのある長門町は子どもが本当に少なくて、夏休みにラジオ体操といっても毎年全く無関係の夏をすごしてきた。しかし、今年は町の育成会長にもなってしまい、8月1日から10日のラジオ体操は必須となったのだが、娘は昔からラジオ体操にあこがれがあって今年は夏休みに入ったとたんラジオ体操したいと言っていた。
バックパッカーさんで、ちょうどそんな話になり「それでは、大人も一緒にやりましょう。」と言うことになった。
そして、今日は3日め。自主的にご近所のバックパッカーの飯室さんや宿泊のみなさんと一緒に朝6時半から近所の天神さんでラジオ体操をやっている。
そんな健康的な毎日を送っているせいか?
身長が伸びた?
当然私ではありませんが(笑)、娘の身長がずいぶんと伸びたような気がします。
しかし、身長は伸びたものの、先日も知り合いの町で流しそうめんやるからおいでと誘っていただき、竹筒の中を流れてくるそうめんを必死でとろうとする娘をみていると、まだまだ幼くてかわいくて微笑ましいな~と思ったり。

がしかし、娘から後日聞いた話だと、流しそうめんに並ぶ作戦を娘はねっていたらしく(去年も流しそうめんに参加して去年の経験をいかしたと本人の弁。こういうところがすごい!)
「お母さん、デジカメで撮った写真見せて。茉莉の隣の二人の女の子の利き手を見た?」というので「なんで?」と私が聞くと、そうめんを取るときに左ききの我が家の娘は隣の子とひじがあたらないように、すばやくとれるようにと、さりげなく左利きの女の子の隣にならんだとのこと。そして娘いわく左利きの子が3人並ぶかたちをとったとのこと。そんなこと私知らなかった。(笑)なんて微笑ましい流しそうめんとうっとりしていた私だった。そして写真で確認すると、なんと娘をいれて3人の女の子が左の手にしっかりお箸を持ち、そうめんをねらっている姿が。。。
恐るべし、頭脳犯(笑)。さらに、そうめんだけでなく、去年同様、うまい棒、トマト、一口ゼリーなど、なんとしても取ろうという左利き3人組。

見た目はまだ幼くてかわいいけど、ちゃっかりしているな~と、我が家の娘のたくましさに驚くばかり。(笑)

夏休みが終わる頃には、また一段と背がのびて大きくなっているんだろうな~。
でも内面は子どものかわいらしさ、何に対しても真剣で、けなげなかわいらしさをいつまでも持っていて欲しいなと親ばかな私は思うのでありました。


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      微笑ましい左利き3人組
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      大好きなタイサンボク
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       夏休みの自由研究がんばれ~
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       今日のマゼコゼ
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by cafe_mazekoze | 2011-07-26 22:22 | 『小さな芽』 | Comments(2)

スズキさんとは会っていたのかも?

「女神の家」を制作中のスズキジュンコさん。
今回、スズキさんが長野市に来て滞在して作品をつくるという話を事前に聞いていたものの、この1ヶ月は私もばたばたしていてスズキさんのHPを少し見せてもらったぐらいのことしか予備知識もないまま、先週の土曜日に、夫とスズキさんのトークを聞きにいった。

そして、スズキさんといろんなことを話したり、今までの作品の写真を見たりするたびに、どこかで。。。と言った印象を受けてしまった私。

そんななか、昨日は「ヤマザキヤマト」さんの話になり、なんとスズキさんはヤマザキヤマトさんとも親しくて、私たちもプランターコテッジでヤマザキさんのライブをしていただいたりしたこともあり、私も夫もヤマザキヤマトさんのファンなので、やっぱりどこかで。。。という印象が残った。

そして、スズキさんが今回作る作品はどんなふうになるのか私にはまだわからないのだが、いま「女神の家」に少し置かれている素材を見て、もしかして。。。なものになるのでは?という私の勝手な妄想が膨らむ。

先日、20年ぶりに金縛りにあった私は、そのとき糸のようなものを紡ぐ女性を見た。
知り合いに話すと、「それは十糸さんだよ。」(笑)というので、私もそんな気になり、十糸さんに直接聞いたら「それは私じゃないよ。」(笑)という。

金縛りにあったその日は、昼間に小布施の北斎館でいろんなものを見てきた日で、ちょうど夫がスズキさんと先日話しているときに「小布施の町は昔からアーティストレジデンスが存在してたんだよね。」と言っていて、あっ!っと自分の中で何かがはじけた。

アーティストと町がかかわりあい作品が産まれる。スズキさんの中で門前のこの町がどんな風にリンクするのだろう?作品が最終的にどんなものになるのか、楽しみでちょっとドキドキしている。

スズキさんの作品は女神の家で毎日10時から6時まで、制作過程を公開している。
詳しくは以前の↓ 夫の書いた文を見てくださいね。

小池つねこ 記
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by cafe_mazekoze | 2011-07-25 22:51 | 出会ったコト・ヒト・モノ | Comments(2)

「女神の家」にて

少し前にこのBlogでもお伝えした、アーティスト・イン・レジデンス 
「スズキジュンコ|女神の家」  が始まりました。

■アーティスト・イン・レジデンス(Artist-in-residence program)
「スズキジュンコ|女神の家」
制作公開場所|長野市立町961
(善光寺門前・大本願西側、西之門町通りから西へ路地入る約60m先右側)
作家滞在期間|2011年 7月23日(土)から31日(日)
主催:清泉女学院大学人間学部心理コミュニケーション学科現代コミュニケーションコース
a0162646_8375072.jpg・スズキジュンコHP
・清泉女学院大学HP
初日の23日(土)には関連企画としてトークセッション
「あらためて、美術表現・発表・価値について思うこと」
スピーカー :小池マサヒサ(彫刻家)
         スズキジュンコ(現代美術家)
モデレーター:山貝征典(清泉女学院大学)
…が開催されました。

清泉女学院大学の山貝先生から今回のアーティストインレジデンスプロジェクトについて聞いたのがおよそ2カ月前。何で清泉女学院がアートなんだろう…しかもレジデンス?
興味はまずそこからでした。
その後、この企画者でもある山貝先生からどうして今レジデンスなのかについて、今回の作家の選択について等のお話しをお聞きしながら、私からも何かご協力できることがあればということから企画されたのが今回のトークセッションでした。

私は作家であるスズキジュンコさんとはこれまで一度も面識はありませんでしたが、今回のこのレジデンス企画についてのお話を聞くうちに、直感としてスズキジュンコはいける…となぜか思ったのです。その時、それがなぜなのかについてはあまり考えませんでしたが、スズキジュンコはいける…と思いながらも、「自分はいったい彼女のつくり出そうとしている何に対して反応しているのだろうか」…という想いが次第に増していったのでした。
もちろん彼女自身のこれまでの仕事ぶりへの興味も影響しています。アーティストの仕事の記録、それがたとえ残り香や僅かな温もりのような微小な痕跡であったとしても、それはこの世にそのArtが一瞬でも存在したリアリティーですから、それはそれとしてとても興味深いし重要です。
けれどもその時、私の中に沸き起こっていた感情は、彼女これまでの仕事に対してでは無く、この自分を“直感として揺り動かしている何か”への強い興味だったような気がしています。
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スズキジュンコさんは、私の想像していたとおり…いや…それ以上に魅力的な女性でした。トーク開始10分前に始めて現場で会ったにも関わらず、「よぅ…久しぶり!」的な自然体に、私を直感として揺り動かしたものが何であるのかは瞬間的におおよそ理解できました。「なるほど…これだったのか」…って。
でも、「これ」を言葉で説明するのは何とも厄介です…。
それを文章化することもできるかもしれませんが、私の話しなんて聞くよりは、まぁ、騙されたと思って「女神の家」に行ってみてもらった方が良いと思います。
「女神の家」は今しかないんですし…。
もしかすると私が感じた何かをあなたもそこで感じることができるかもしれません。

トークセッション中も、その後トークにいらして下さった方々と色々なお喋りをしながらも、やっぱり自分はArtが好きなんだなぁ…とあらためて気付かされました。
こうやって、Artにどっぷりと浸かることだって、あらためて考えてみるともう随分と長いことできていなかったような気もしたりして…。
「もっとArtしたい」…。自分のモチベーションは常にそこに端を発していて、その気持
だけは今までずっと持ち続けてきたような気がします。…でも、もしかするともう長い間、「何もArtでなくてもいいじゃないか」…そう自分に言い聞かせてきたような気もします。
あらためて“自分が追い求めてやまないArt”について考えたり思ったりしつつ、とは言え、これからも自分はたぶん今までどおりにしかできそうもない…きっと自分には自分のArtしかできないだろうし、そこを無理に変えるつもりも無い…とか思いつつのArtな一時だったと思います。
今回の場を共につくって下さった方々に感謝します。
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一般的に、アーティスト・イン・レジデンス・プログラム:Artist-in-residence programとは、芸術家が一定期間、地域に滞在し、地域の人々や地域固有の風土・環境・文化に触れながら、作品を制作、展示公開を行うことを通じ、地域住民と芸術家の交流を促しつつ、地域における芸術表現の新しい可能性を探ると共に、地域の文化をつくり出すための制度や事業を示すもの…とされています。
レジデンスの運営母体や規模、滞在期間などによって多少の目的性の違いはあれど、共通するのは「芸術家が一定期間、地域に滞在することを通じて地域住民と芸術家の交流を促す」という手法、そしてそれを「今後の地域文化に生かす」目的性です。
いずれにしても、アーティスト・イン・レジデンス・プログラムにおいては、「地域のありかた」「まちの今後」を切り離して考えることはできません。

Artist-in-residence program は、program ですから、計画や予定、スキーム、スケジュール、デザイン、プランなどにも近く、無形であって、定まった方法論もありません。
“なぜ・どうして・何を・どうする…”といった道筋に対して、Artist-in-residence programはそれら全てに対してあえてArtを介在させるプログラムであると言えると思います。

ある特定のArtが優れているかどうかを評価・表彰することでまちの豊かさや価値観を測ったり、優秀なArtをまちに誘致するのでは無く、「この地域でArtを育ててみること」を通じて、地域が『いま』持つ『育てる力』がどれほどなのかをまずは自分たち自身が知ること…
それこそが、Artist-in-residence programにとって最も重要な意味であるとも言えそうです。

Artist-in-residence programで招かれたアーティストが地域と関わりを持って制作することに意味を感じつつ、アーティストとしてさらに大きく成長できるかどうかの重要な鍵は、「いまここ」である地域で育まれてきた潜在的な文化力です。その中でも特に『地域が持つ、育みの力』の量に大きく関係すると私は思っています。

ただ、そもそもArt表現は多様であるからこそのArtである以上、地域のあちらこちらに無尽蔵にArtが拡散しすぎると、どのArtが育ちやすく、どのArtは育てづらいのかも解らなくなってしまいます。
本来的にはアーティストが持つべきArt力はそういった混沌の中でこそ育つのだと思いますが、“地域という視点”という、Artist-in-residence programとしての目的性がそこに求められている場合、Artの混沌さは、自分たちが暮らす地域が持つ育みの力量判断を難しくさせると思います。
そこで、あえて限定的にArtを絞り込み、そのArtから地域を見る・考える…という発想が、近年のArtist-in-residence programへと進化してきているような気がします。

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私がArtを通じて地域を意識し始めたのは、学生時代から長く暮した、東京都国立市という地域との関わりからでした。
私たち…RIKI-TRIBALが、あえて地域の中にArtを置く、“地域でつくること”を通じて、地域がArtをどのように捉えるのかを知ろうとする試みを開始したのは1999年。

PlantereCottage Blog

いま思えば、その手法はアーティストのエゴに依存するような少々手荒な方法だったような気もしますが、結果として、このプロジェクトとして私たちがつくり続けた「場」は、12年目を経過…。今年からは運営主体として私たちRIKI-TRIBALは退いた運営方法に切り替えてはいますが、私たちが地域で出会った仲間たちに引き継がれ「PlanterCottageという場づくり」はいまも継続しています。

PlanterCotaageという場づくりは、私を「いま」へと大きく成長させました。
そして、この場づくりの背景に国立市という地域があることは間違いなく重要です。
“自分が追い求めてやまないArt”にとって地域は決して切り離すことができない大切なポイント…そう考えると、私という美術家を育てたのは国立市という地域が潜在的に持っていた文化力…地域が持つ「育み力」だったのかもしれません。
私たち家族はいま現在、長野市に暮らしていますが、私が「いまここ」ですること…そしてこれからの方向性にもPlanterCottageをつくり続けてきた…国立市という地域に暮し続けてきたことが大きく関係していることは明らかです。

国立市は東京都の西、三多摩と呼ばれる地域の一画、JR中央線のひと駅でもある郊外都市。この中央線沿線は、戦前には日本軍の基地や工場が…戦後には在日米軍の基地が幾つもあった地域です。国立市の隣りに位置する府中市と立川市には、戦後、在日米軍基地が置かれ、ここから朝鮮半島やベトナムへ爆撃機が飛び立っていった…そんな基地の町としての歴史を持って今に至っています。ここからもう少し離れた東京都福生市にある在日米軍横田基地には、今でもアメリカの極東における戦略作戦司令本部が置かれています。
そんな基地の隣のまち…国立市というまちにとっても基地や戦争は暮らしのすぐ隣の出来事…すでに戦後とよばれる時代になっても、戦争は終わってはいないまちでした。
私が美術を学んだ美術大学がこうした三多摩地域にあったこともあり、かつてのArtや文学…それ以外の様々な表現や表現者たちが戦争や地域とどのように向きあっていたのかは、現在の私の考え方の根底に大きく影響していることは間違い無いと思います。

戦争、あるいは武力行使…という解決手段には断固反対です。戦争や武力は最終的には世界を二つに分断し、そこに支配する者と支配される者という構造をつくる絶悪なしくみそのものです。
これを何回も繰り返せばどうなるか…それは小学生にも解かる簡単な算数の問題だと思います。
世界中の国々や人々が、戦争…あるいは武力を、抱え込んだ問題解決の方法として用いるには、それ相応の事情、理由があるとは言え、これだけ殺しあっても未だ戦争や武力という手段を手放せない今の人間社会の在り方にはなんとも言いようの無い憤りを強く感じます。
ここにきて露わになった原発問題もこれは現代における戦争として捉えるべきだと私は思います。

そうした地理的、歴史的背景を持った地域に暮らし、そこでArt活動を行うことをつうじていままで知らなかった地域の様々な問題を知ることも多々ありました。ある時期は、地域を…まちをArtで変えたい…と真剣に考えてみたことも無かったとは言えません。
もちろんArtには計り知れない大きな可能性があると今も思ってはいますが、でも、あの頃のように、いまもArtでまちを変えたいと思っているか…と問われれば、私は“いいえ”と答えます。

Artには何かを変化させたり、何かを先導する力はありません。
…そのようにArtを使おうとすれば、Artが持つ可能性は消えてしまうような気がします。
Artは、「私はどう思うのか」であって、それ以上でもそれ以下でも無いと私は思います。もちろん、個人的な信条や考え方がArtに反映されるのもそれはそれとして当然ですが、でもArtにできることは
「我想う」…そこまでです。
ただ、そんなArtが、「私はこう思うけどあなたはどう思う」という一連のつながり…時間の流れにの中にあるかどうかはとても大切なこと。
Artが地域と共に育まれてゆく可能性があるとすれば、そのあたりを無視することはできないのではないでしょうか。

依然としてArtは私を魅了し続けています。

きっと、Artはただそこに在りさえすればそれでいいのだとも思います。
そんなArtの傍らで会話は生まれるのかもしれません。
…そんな気がします。


小池マサヒサ 記
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by cafe_mazekoze | 2011-07-25 08:46 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)

本日23日(土)トークセッションです!

アーティストインレジデンス 「スズキジュンコ・女神の家」が本日から始まります。
制作公開場所は 長野市長野立町961(善光寺門前 大本願西側/立町、文字奥の元旅館)。
23日から31日まで10時から18時ごろまでオープンアトリエで、制作公開しています。

そして本日23日(土)は、この女神の家で「あらためて、美術の表現・発表・価値について思うこと」と題してトークセッションが行われます。

スピーカーは 小池雅久 と スズキジュンコ
モデレーターは 山貝征典(清泉女学院大学)
時間は2時から4時までです。

予約の必要はありません。ご興味あるかたは是非いらしてください。

なお、本日カフェMazekozeは、このトークセッションを聞きにいくため、お店を勝手ながらお休みとさせていただきます。すいません。
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by cafe_mazekoze | 2011-07-23 09:37 | お知らせ | Comments(1)

森と風のがっこう3.11後 その2 「森の共同性」

森と風のがっこう(岩手県葛巻町)がスタートさせる、これまでの日本にはなかった「子育ての森」と「循環の森」を組み合わせたエコロジカルデザインの体現を目標とした、森と生活を結ぶフィールドづくり。その道筋として開催される、「子育て」と「循環」の森づくりワークショップ “楽しみながら子どもと森をつなぐエコロジカルデザイン”
私もその講師を担当させて頂くことになり、先週末の7月16日~18日は、その第2回目のワークショップとして、「子育ての森」~アートオブジェづくり~ と題したワークショップに伺った。キーワードは、「アート」と「五感」 そのものズバリすぎるかな…といった感も多少はあったけれど、それでもアートと五感は切り離すことはできないし、特にこれから森と風のがっこうで始まる、「子育て」と「循環の森」構想にとっては特に欠かすことのできないキーワードだと思っている。
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「五感」で感じることをつうじて自らの内に沸き起こる気付きの瞬間。そして、その気付きの瞬間を見逃さず捉える力…。
この一連のつながりが「感性」であると私は理解している。
私たちは皆…他の誰とも同じでは無い、誰とも交換することのできない、この世でたった一つしか無い「感性」を持ってこの世を生きている。

この世を感じるための生なのか…それとも、感じるからこそのこの世…なのかはわからないけれど、いずれにせよ私たちはこの世をあらゆる方向から受信する装置ともいえる心と体を授かってこの世に生を受けたことだけは確かなようだ。
しかし、五感をつうじて育まれる感性はもちろん、情報や経験などをつうじて得られる知識もまた、自らの内に「気付き」という過程が伴わなければ、心と体はこの世を感じる…この世を生きる装置としては十分に機能することはない。

この世に自分が生きていることを自らがまざまざと感じること…
生のリアリティーとは、この世に自分が生きているということを信じることができるということ。「気付き」はそのためにあると言ってもいいと私は思う。
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いま、気付きの瞬間は暮らしのいたるところにあるにも関わらず、私たちは自らの内に起こる気付きの瞬間をあえて封印してしまっている…もしくは、私たちは日々の暮らしの中で、自らが感じていることを表側に出すことを躊躇するようになっていやしないだろうか…。
そうやって、自らの気付きを自ら封じ込めることで、人々は、互いの「個」の領域には深く干渉しないという暗黙の不可侵の約束ごとを取り交わしているような気がするのは私だけなのだろうか。

「感じる」そして「気付くこと」によって育まれる「感性」という生きる力。
この世界の中に、感性に従って生きることを阻むもの、それは、「信じること」の対極にある…。
「感じること」「気付くこと」をつうじて育まれる「感性」は、何人たりともそれを封じ込めたり、干渉したり、歪めたりすることは許されない絶対自由の領域にある。
それはたとえ、その感性を持ち合わせている自分自身であったとしても。

人が正直に生きるとは、自らの内に起こる気付きを認めること…そしてその気付きを私から私以外へと恐れずに伝えること…互いに気付きを伝えあうことだと私は思う。
そうした自らの内に起こる気付きを連鎖させることこそが持続可能性ある社会をつくるためには最も必要なことであるはずだ。
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今回開催した、「子育ての森」~アートオブジェづくり~ と題したワークショップでは、そんな「気付き」を如何にして自分の内に見つけ出すかという3日間だったと思っている。
ワークショップのお題目として ~アートオブジェづくり~ と銘うってしまったので、
参加者のほとんどが、「アート」に一瞬は躊躇してしまったかもしれないが、逆に、このワークショップに参加したことをつうじて、アートは自分の内なる気付きへのきっかけとして感じてもらえたとしてたら、それはとても嬉しいことだと思っている。

「アート」にとって「難しい…」は既に枕詞となってしまっているようないま、「アートを日常に取り戻すこと」…「アートを解放すること」はとても重要なことだと私は思っている。できることならばこの一生を美術家として生きたいと望む私ではあるけれど、“アートのためのアート”であるような現在の状況の中に埋没して残りの一生を終えるのはどうにも忍びない。生きている気がしないというか…、これも根っからの貧乏性ゆえの妄想か…。
まぁともかく、既にこの世界の中で巨大化しすぎたアートモンスターに好き勝手にしてやられるわけにはいかないし…そろそろここらで一蹴り食らわしてやりたい…と真剣に思う美術家がひとりぐらいいてもさして問題はないだろう…。
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森には生命が満ちている。
私たちは森の中で育まれ続けてきた生の記憶を持っている。私たちが森へ出かけて心安らいだり、森に生命の気配を感じるのはすべてこの生の記憶が森に共鳴し、私たちの心が振動するからだと私は思っている。
こうした心の振動は新しい生の記憶として遺伝子に刻み込まれ、そしてまた森にプールされ続けてゆく。森とはそういう場所だ。
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「子育ての森」とは、子供の中にある生の記憶が森に共鳴し、新しい遺伝子を森に書き加える…プールすることだと私は思っている。
「子供は森によって成長するが森もまた共に成長する」
森と風のがっこうが目指す「共に教えあい学びあう場づくり」…という精神はこうした森と人との関係性…森と人との間に築かれる共同性によって育まれ続けている。

この共同性にとってもっとも大切で決して欠かすことのできないもの…。
それこそが、「気付き」だ。
子供の成長を考えた時、大人が子供を森に連れてゆくことができるかどうかはとても大切なことかもしれない…でもそれ以上に重要なのは、子育てを意識する大人の中に“森へ行きたい!”という気付きが起こっているかどうかだと私は思う。

子育てに限らず、すべてこの世の生の成長は、「相互関係性」「共同性」のもとで育まれる。大人が育てる側であるとか子供が育てられる側であるという一方向的な関係性のもとでは、「気付き」が伴わない…もしくはその瞬間を捉えることは難しい。
「五感」で感じることをつうじて自らの内に沸き起こる気付きの瞬間。そして、その気付きの瞬間を見逃さず捉える力…。この一連のつながりが「感性」であるとすれば、一方向性的な子育てでは、「感性」は育まれにくくなるのは当然だと思う。

「感性」は私たちにとってなぜ必要なのか。
まずは一度 森へ行って森の気配を感じてもらえたら…と思う。
そこにある膨大な遺伝子の中に、私へとつうじる遺伝子がきっとある。
感じることができれば、きっとその遺伝子をみつけらるはずだ。


小池マサヒサ 記

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by cafe_mazekoze | 2011-07-23 09:25 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)

喫茶店

昨日、おとといとカフェMazekozeは臨時休業させていただいて、私はスコットランドから来ている姪っ子と我が子を連れて実家へと行っていた。
父、母ともう一人の姉に会うために実家のある三重の松阪に出かけていった。
私の父は昔から喫茶店が好きで、好きというか、ほぼ生活の一部となっていて、最低でも1日2回は喫茶店に行く。しかもモーニングはもう40年以上、いや50年以上必ず行っていると思う。
そして、やはり今回も実家に姪っ子と娘を連れて行くと、父はよく行く喫茶店に行っていて、その喫茶店に姉と私と姪っ子と娘で父に会いにいくことになった。
すると父親はやはり喫茶店でコーヒーを頼んで飲んでいて、私たちにも何か頼みなさいといってくれて、私と姉はアイスティーで姪っ子と娘はアイスを頼んだ。姪っ子は日本に来てからすっかり抹茶アイスのとりことなってしまっていたので、お店のママ?(ママと呼んでいいのだろうか?でもママがふさわしい素敵な女性で)に「アイスクリームでバニラ以外に何かありますか?」と聞いたところ、「バニラしかないけど、チョコレートをかけることはできるよ。」と言ってくれた。それで姪っ子と娘はバニラアイスのチョコレートがけを注文。

そして、美味しそうなバニラアイスにチョコーレートがたっぷりかかっていて、サクランボがのっている喫茶店ならではのアイスが登場。
そして、娘と姪っ子は早速食べ出した。

しかし。。。
娘が一口食べた後、私に小声で「お母さん。。。たこやきソースの味がする」という。
そして姪っ子のハリエットも半分笑いながら目で何かを訴えている。

まさか?と思いながら味見をさせてもらうと、それはまさしくタコヤキソースの味。
「す、すいません。たこ焼きの味が。。。。」とママに伝えると
「あら~。ややわ~。間違えたんやな。つくりなおす。ごめんごめん。」と笑いながら再びカウンターの中へ。
そして、あらたに先程のタコヤキアイスと何の代わりも無いアイス登場!

今度は正真正銘のアイスのチョコレートがけで、娘も姪っ子も笑いながら食べている。

一方、ママさんは「ええ思い出になったやろ~。たこ焼きのアイスなんて、うちしか出えへんで~。」と失敗を成功に見事に転換させるプラス思考。(笑)

私は、本当にこの喫茶店に来てよかったと思い、テーブルにおいてある一輪挿しや山の写真、そしてこの喫茶店の名前のアルペンローゼにちなんだ数々の山登りの道具を見渡し、このおおらかさこそ今の自分に一番必要とされているものだな~と再確認。

憧れの喫茶店、そこには一輪挿しのノウゼンカズラ、3時草、おりずる蘭など、さりげなく気取らない花々が飾られていた。

いいな~アルペンローゼ!またタコヤキアイス食べにいきます!きっとまた間違えて作ってくれることを祈って。(笑)

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   ↑ このあと事件は起こった(笑)
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by cafe_mazekoze | 2011-07-22 23:55 | マゼコゼなこと | Comments(1)

森と風のがっこう 3.11後 その1

森と風のがっこう…通称“森風(もりかぜ)” (運営母体はNPO法人岩手子ども環境研究所) は、岩手県の北東部、葛巻町にある。標高700m、12世帯が暮らす山村集落にある廃校を再利用し、自然エネルギー教育、エコロジカルな生活教育の場として、循環型の暮らし…sustainabilityな暮らしが実感できる施設づくり、場づくりを進めている。
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この設立10周年を迎えた「森と風のがっこう」が五感を全開にして遊べる子どものための遊びの森づくり…これまでの日本にはなかった「子育ての森」と「循環の森」を組み合わせたエコロジカルデザインの体現を目標に、森と生活を結ぶフィールドづくりをスタートさせた。

森と風のがっこうHP

私は、この森風で先週末からの連休、7月16日~18日までの3日間行われた、
「子育て」と「循環」の森づくりワークショップ
 楽しみながら子どもと森をつなぐエコロジカルデザイン!

と題したワークショップシリーズの第2回目 
「子育ての森」~アートオブジェづくり~ の講師として参加。
森風にはこのワークショップの打ち合わせがあった4月以来の3か月ぶり。
3.11の出来事は、いまだ東北各地に大きな爪痕を残したままだけれど、幸いにも森風のある葛巻町は岩手県の内陸にあり震災の直接被害は無い。
とはいえ、これまで森風を訪れたたくさんの子供たちや関係してくださった方々が多数被災していることを想うと言葉を失う…でも、だからこそ、「森と風のがっこう」は新たな方向に向かって全力で歩み始めた。
私もそんな森風と歩みを共にしたいと願ってやまない。
今年の予定ではあと3回ほど森風に行く予定…今月から4か月連続で森風におじゃますることになりそうだ。

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「もったない・ありがたい・おかげさま」という合言葉のもと、楽しみながらこの地にあるものをつなげてゆく。
知識だけじゃわからない。自分からもっと近づいて、自分でやってみる
自らの内に起こる気付きの瞬間を大切にし、森と風と共に生きる地域の人々と共に教えあい学びあう場づくりをつうじて、自然から学び、自然について深く理解しながら、子どもたちの居場所をおとなの手で保障したい…という思いから始まった森風の活動。
岩手県の県庁所在地、盛岡市からは遠く離れ、高齢化・過疎化・後継者不足が深刻化する山村の町、葛巻町の山あいの谷間…いわば限界集落。冬の気温は-25℃近くまで下がり、携帯電話の電波は届かない。国の土地基準では4級僻地(1級僻地~5級僻地まで)に指定されるような山奥の村に今では年間5000人を超える人々が訪れている。

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私が森風をはじめて訪れたのは7年前。
当時の森風はまだ山の分校そのままといった風情…。風呂は無い。トイレは旧式のまま。知り合いの建築家が森風の改装工事をするというので、そのお手伝いがてら見学に伺ったのが最初の出会い。ちょうどカフェ森風をつくったのもこの時。私には「森と風のがっこう」という名称とパーマカルチャーの手法をとり入れているらしい…ことぐらいしか情報は無く、山奥の自給自足のがっこうみたいなところかな?…ぐらいにしか思ってもいなかった当時の私は、森と風のがっこうが何を目指しているのかなんてことは知る由も無かった。

そんな私があれからずっと…そして今も、「森と風のがっこう」に関わり続けさせてもらっていることに何とも不思議な縁のようなものも感じつつ、森風設立10年という節目にスタートさせた、森と風のがっこう10年間の活動の集大成…森風がさらに未来に向けて歩み始めた一歩とも言えるような「子育ての森・循環の森」構想のメンバーの一人に加えて頂けることに心から感謝したい。
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『知識だけじゃわからない。自分からもっと近づいて、自分でやってみる。自らの内に起こる気付きの瞬間を大切にしながら、地域の人々と共に教えあい学びあう場づくり』

私たち家族が東京を離れ、長野市に住むことを決意した大きな理由はいくつかあるけれど、森風との出会い、そして今もつづく関係性は間違いなくその理由の一つだったと思う。
長野市に暮らして2年半…。
私の視界の先には、森風という場と葛巻の森の中で感じた、“共生と循環の場”の姿
がおぼろげなら見えてきたような気がすると同時に、そんな場と関係性をつくりたい…という想いが自分の内に沸々と起こりはじめていることを強く感じている。
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いまでこそ長野市は全国にも名の知れた地方都市へと変貌しているけれど、かつてはここも山の奥深く…四方を山と森に囲まれた辺境の地であったことを私たちは忘れかけている。
善光寺を始め、はるか昔からこの地にあり続けてきた神社寺社を始め、この地に受け継がれてきたたくさんの伝統は、すべてみな、ここが山や森との関係性の中で築かれてきた場所であることを忘れないがためにある。
山の気配を…森の匂いを含んだ風は今も長野市に吹いてきている。
私たちは今この町でその風を感じることができているのだろうか…。

風を感じたい。
山から…森から吹いてくる風を。
かつてここが山であり森であった頃に吹いていた風を…。

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かつて、「つくること」そして「場づくり」を頭だけ…知識だけで考えていた感が否めなかった私にとって、「自分からもっと近づいてみる」という気付きの瞬間は、森と風のがっこうとの関わりの中にあった気がする。今の私へと方向づけるような経験やきっかけが森と風のがっこうとの関わりの中には驚くほどたくさんある。
子供たちとの関わりの中で、ワークショップに参加して頂いた人々との関わりの中で、森風のスタッフを始め、たくさんのボランティアスタッフたちとの関わりの中で、そして森との関わりの中で…。
森と風のがっこうは、“がっこう”であって学校では無い。
「共に教えあい学びあう場づくり」…という精神は決してぶれることなく変わらず、常に森からの風を感じ続けながら歩み続けようとしている。

         
小池マサヒサ記
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by cafe_mazekoze | 2011-07-20 14:31 | RIKI-TRIBAL | Comments(1)

明日20日とあさって21日は臨時休業

先日ブログにてお知らせ致しましたとおり、明日20日とあさって21日は誠に勝手ながら臨時休業とさせていただきます。
すみませんが、よろしくおねがいします。
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by cafe_mazekoze | 2011-07-19 21:24 | お知らせ | Comments(0)

夏休み

娘の小学校は明日が終業式。

娘の学校は今年ずっと工事しているのだが夏休み中に一気に工事をすすめる予定?のため、例年に比べるとスタートがかなり早い夏休み。子どもは大喜びだが、親としては長い休みどうしよう?とちょっと困惑ぎみ。でも、この3連休で娘といろいろ過ごすと娘もずいぶん成長したなと思う。
スコットランドから来ている姪っ子も日本に来て、長野に来てから約2週間がたち、彼女の大学の夏休みは長いのだが、日本での夏休みはどんな風に彼女に残っていくのだろうと思う。

ちょっと前に、「照り焼きバーガーが食べたい」という姪っ子に英語で放射能の説明をするのは結構大変だったが、いろいろ話しながら、照り焼きバーガーを食べるに至った。
日本語で普段友達と話すように英語で彼女と話すのは、今の私にとってはまだまだ修行が足りないと言った感じ。

そして、この3連休、姪のハリエットを戸隠や小布施に連れて行ったのだが、ちょっと反省することが。。。
今回、私は車の運転がペーパーなので、親戚のMちゃんやお友達を誘って連れて行ってもらった。
そんな時、お友達や親戚のMちゃんと私がおしゃべりはずんで話していると、「日本語で二人で話しているのはあんまり良くないと思うよ、お母さん。」と娘が言った。確かに日本語が話せない姪にとっては、どんどんつまらない時間となってしまう。「会話は大事だよ。」と言う娘は、ずいぶん大人なこと言うと思ってしまった。

会話がはずむぐらいに姪のハリエットと話せればいいのだが、今の私は英語では日本語で友達と夢中になって話すようにはいかない。会話がはずむほど話せない。
しかし、ふと考えてみると一つだけ会話が弾むものがある。それは食べ物の話。
とくにアイスクリーム。
この話になると、結構日本語と同じ感覚で話せる。やっぱり好きなものこそ、その情熱が言葉を引っ張ってくれるんだな~。(笑)

善光寺のことも、もうちょっと説明できるようになりたいと思った今回の姪っ子の来訪。
長野の滞在はあと1日となった。

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  ↑ アイスを食べる時は無言です(笑)
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by cafe_mazekoze | 2011-07-18 23:45 | マゼコゼなこと | Comments(3)