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病気 その後 + マゼコゼのランチ

夫の病気の検査の結果は、またもや原因ははっきり特定できなかった。

まあ原因はこのあと細胞の再検査をしてもでてこなかったりするんだろうとか、はっきり限定できなくても、しょうがないと思えるようにしていかないと、こちらも落ち込むので、原因については限定できなくてもと思うものの、結局食べられるものが、冷たい蕎麦とウドンなどの麺類が主なので、このままで大丈夫なのだろうかと相変わらず思ってしまう。

そんな中、我が家の食事もいまや夫の分だけ別のものとなりつつあるのと、今後どういうふうにしていくか私も考え中で、ここしばらくマゼコゼのランチはお休みとさせていただくことにしました。

このまま、ランチはずっとなしになるかもしれないし、今後又再開するかもしれないけれど。。。
「ランチください」と言ってくださっていたお客さま申し訳ありません。
また、いろいろと変わると思いますが、今後ともよろしくお願いします。
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by cafe_mazekoze | 2011-06-30 21:53 | マゼコゼなこと | Comments(0)

今週は「わらべうたの時間」あります!

今週の29日(水)と30日(木)はマゼコゼにて「わらべうたの時間」があります。
教えてくれる人は、昨年度もずっと東京から長野まで「わらべうたの時間」に来てくれていた坂野知恵さんです。両日とも時間は11時から12時まで。
参加費は1000円
要予約となりますが、ぜひ参加してみてくださいね。
(この事業は、長野市芸術文化振興事業助成金をうけて実施しています。)

なお、両日はカフェの営業は12時過ぎからとなります。ご了承ください。

そして28日(火)ですが1時まで貸し切りとなっておりますので、1時以降のオープンとなります。こちらもあわせてご了承くださいませ。

よろしくおねがいします。
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by cafe_mazekoze | 2011-06-26 22:57 | お知らせ | Comments(2)

アレルギー

夫の謎の病気は一進一退で、まだ検査結果もでないので、これといった薬はなく、口の中は痛いままずっと3週間近くになろうとしている。そしてその間、朝、昼、晩と基本的に主食となっているのが蕎麦。

というのも、ご飯はのどにくっつくため、すこぶる痛みを感じるらしいのだが、麺、しかも冷たい麺だとまったく痛みを感じずに食べれるようで、本当にこの3週間の主食は蕎麦またはウドン。先日スパゲティーを試したが、これはだめで、なにもからめてなければ大丈夫なのかもしれないが、熱いのもだめなのでなかなか難しい。

というわけで、そのうち蕎麦アレルギーになるのでは?というぐらい蕎麦ばかり食べているので(ほかはほぼ何も食べてないに等しく)いいのだろうか?とふと不安になる。

よく蕎麦やの息子さんや娘さんが蕎麦アレルギーだったりするが、これはやはり両親が職業柄、蕎麦を多量に摂取してるからだし、夫の病気ももしかして金属アレルギーが原因?という話もあったりする。

鉄でものを作ってきた夫は、長年たぶん25年以上は金属の作業にたずさわっている。
家でも溶接や溶断、彫刻するときの細かい作業もふくめて、鉄などの金属を触っているのは一般の人に比べて何千倍ぐらいになるのかな?ふつうの生活では金属加工などをすることなどないから、かなり特殊である。
そんなことを考えると、特殊なことをいっぱいやっている夫はアレルギーをおこしているとしたら、何にアレルギーをおこしているか、なかなか的をしぼるのも難しい。
そして、埃に対するアレルギーも可能性としては十分ある。古い家を改装するのを今まで何件もやってきたから、埃もいっぱい体にたまっているかも。。。
さらに、今回病院に行くと聞かれる質問「最近、東北などに行ったりしたことは?」
「???」
被爆・・・
リンパ関係や甲状腺の関係の病気が疑わしかったりする場合、今やこんな質問をされるんだと私は知った。
おそろしいことだけど、現実なんだなと思った。
生きにくい社会にどんどんなっていくけど、いいこともたまにあるよね。
そう信じたいと思う今日このごろ。
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by cafe_mazekoze | 2011-06-25 23:55 | マゼコゼなこと | Comments(0)

明日26日は「西の門市」

雨の日が続きますね。
明日は月に一度の西の門市。
今回はお向かいの島田商店さんとコラボで出店する予定でしたが、急きょキャンセルさせてもらって商品だけ少しナノグラフィカさんにお預することになりました。
島田商店さんのブリキのちりとりや投じ鍋のざるなどほしい方はぜひ購入してくださいね。
明日は雨の予想ですが、ぜひお出かけくださいませ。
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by cafe_mazekoze | 2011-06-25 13:58 | お知らせ | Comments(0)

6月28日(火)~7月11日(月)までの予定

6月28日(火)はランチのご予約がたくさん入っているため1時まで貸し切りとなります。ご了承ください。
そして29日(水)と30日(木)は「わらべ歌の時間」が11時よりあります。ご希望のかた、ご予約くださいませ。
cafe_mazekoze@yahoo.co.jp

7月に入りまして2日と30日の土曜日は営業します。なお、7日~10日まで誠に勝手ながらお休みとさせていだきます。なお11日(月)は営業いたします。しばらく変則的で申し訳ありませんがよろしくおねがします。
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by cafe_mazekoze | 2011-06-25 00:30 | お知らせ | Comments(0)

国立から長野へ + 「緑色のフィールド」

私たち家族が長野市…善光寺門前町に暮らし始めたのは2年と少し前。
ちょうど前回の善光寺御開帳の年でした。かつて自分が生まれ育った町であるとはいえ、町の気配は大きく変わりどこか違う町に来たような…、なんか随分と綺麗になったなぁ…そんな気がします。

長野市に暮らし始める前は、東京都の郊外の小さなまち…国立市(くにたちし)に長い間暮らしていました。大学がこの町から近かったことがきっかっけで暮らし始めた町ですが、ふと気がつけば学生時代から善光寺門前町に暮らし始める直前まで…25年間を国立市に暮らしていたことになります。
そんなこともあって、私にとっては、この二つの場所との関係は特別。
この二つの町の間に張り巡らされた網の目をたどりつつ今・ここに暮らしています。

私は美術家です。
美術家いう生き方を職業と言って良いものなのか、仕事と言って良いものなのか、未だに良くわかってはいませんが、とにかく美術…Artは私にとって欠かすことのできないものであることは確かです。
まぁようするに単なる“美術バカ”ですので、もはや何をするにつけても、自分の遺伝子に組み込まれてしまったらしい美術フィルターのようなものを通してしか何も考えられないし、動けなくなってしまった…ということ、それだけのことなのですが…。
それでもこの迷路のような世の中で生きていかなければならないので、私が美術やArtをとおして見たモノやコトを、なんらかの形に変換すること…それが自分の働き方となって、様々なお仕事をさせて頂いて今をなんとか生きています。
どうもありがとうございます。

東京なら美術でも生きてゆける…と思われがちですが、決してそうとは言えません。
美術のようなもの…Artのようなものに対する需要は、ある意味人口に比例するので、東京圏にはまだたくさんの、“のようなもの”の需要はあると思います。しかし既に美術もArtもデザインも建築も、「…のようなもの」、の点からすれば全てが混沌、曖昧になってしまったので、それが美術であるとかArtであるとかはもはやあまり重要ではなくなってしまっているような気がします。

そもそも、「美術で生きてゆく」とはどういうことなのか…は、とても難解な質問だと思いますが、そこが東京であっても長野であっても、美術によって社会と関わりを持ち続けてゆくことは簡単なことではないことだけは確かなことです。
・・・。
ま~た難しい話するんだから・・・と言われそうですが、作品をつくるだけで満足できるなら…、作品をつくるだけなら、それはさほど難しいことでは無い…けれど、美術で生きてゆくことはとても難しい…ということです。
お金がかかるから…、儲からないからつくり続けるのはむずかしい…、こうした美術と経済の関係も無視はできませんが、でもたとえ作品制作に必要な資金に不自由しなかったとしても、「つくりたい」というエネルギーを絶えず自分の内に持ち続けるということは、お金の問題とは別に次元の話しです。
ようするに、このエネルギーが途切れてしまえば、いくらお金があってもつくることはできないし、おそらくこのエネルギーこそが美術が社会とが結ばれる唯一の手立てであるように思います。
…とはいえ、
お金があったことなんてありませんから、ほんとうのところはわかりませんが・・・。

もう随分と長くこんな生き方をしていますので、たくさんの方から「美術ってなんですか」とか「美術って難しいですよね」とか「私は美術はよくわからないんですけど…」と聞かれたり、言われたりします。
…確かにその質問に答えを出すのは難しいと思います。
でも、きっと答えは私たちひとり一人の中にある…。
だからこそ、美術やArtは原始の時代から人類と共にあり続けているのだと思います。
私は美術作家がその答えを知っているとか、美術の専門家なら必ず答えられるとは思えません。
私は、そうした質問や感想の「美術」というところを「命」もしくは「生きる」に入れ替えてみると、少しだけわかりやすくなるような気がするのですが、はたしてどうなんでしょうね…。


このBlogは善光寺門前町にある、CafeMAZEKOZE からの日記です。
ほとんんどはマゼコゼ管理人のつねこさんが投稿しています。
そこに私…小池マサが投稿すると、Blog閲覧者がガタ減りになる傾向があるのはわかってはいても、たまに乱入投稿させていただいています。
ほんとうは、私だけのBlogもあることはあるんですけど、さびしがり屋ゆえ、このところは殆ど投稿していません。※そちらは、閲覧注意!…なんのこっちゃわからないことだらけです。

ですが、たまにはこちらにも載せてもいいかな…なんてのもあるので、
見直しながら、私が東京国立市で思っていたことなどをご紹介したいと思います。
まぁ今とたいして変わりませんが…。
以下は、2005年にローカルコミュニティー誌のために書いた文章です。

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“緑色のフィールド”


この世の中に偶然なんてものがあるのだろうか。

それが、“ほんの偶然“であればあるほど、その偶然は、自分であることを探し求めている自分を露出させる鏡のようなものである気がする。

この街に暮らしているのも、私にとっては、ほんの偶然の出来事の一つ。

一人で遊ばせておくには、まだちょっと早い娘との散歩。
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公園という場所がどうしても馴染めない私にとって、家からもさほど遠くない場所にあるこの街唯一の大学のキャンパスが、お気に入りの散歩コースとなっている。


この街の幸いの一つ。

それは、この大学の中にかろうじて残されている緑色のフィールドであり、過去から現在にまでに蓄えられた膨大な遺伝子がそこにはプールされていることだ。
ここで私が偶然出会った植物の数は多い・・。



東京とは言っても、ここまで山に近づけば少しは緑も増してくる。
・・・・・・。

本当は、「増す」では無くて、「残っている」と言うべきなのかもしれないが・・・。
まさか、こんなにも長く、この街に住むとは思ってもいなかったものの、これ以上東にも西にも移動する気にもならない。
もう何年も自分自身がつくりだした境界線上に留まり続けている。
四方を大小の山々に囲まれ、描く絵には、緑色の絵の具は欠かせない地方都市で育った私からすれば、緑の豊かさが気に入ってこの街に住んでいる訳でもない。
・・・・・。
「なら、何が気に入って・・・」という質問には、いつになっても上手く答えられない。

此処という場所が、此処であり続けているから。
私の中の、こちら側とあちら側の間に此処があるから。
だから私はこの街に暮らしている。
・・・と、今は答えることにしている。






娘を連れて大学の裏門を通り抜ける。

植物と大気が複雑に混じりあって放つ匂いの中に、ほんのわずか、土の匂いが含まれていることに気がつくと、木立の隙間から差し込む太陽の光は、幾分緑色に近いことを知る。
木立の上の鳥たちのさえずりに重なって、風が揺らす葉が触れ合う音や、木立の間を通り抜ける音が聞こえ始めると、私という存在もまた緑色のフィールドの一部であるということ。
・・・私たちが以前暮らしていた場所は、此処だったということを思い出す。



すずかけの木の実を、見つけて喜ぶ娘は、あっちにもこっちにもある実を拾い集めている。

彼女が集めるその実は、はるか昔の記憶と、はるか未来永劫まで伝えなければならないことによってつくられている。
彼女によって拾い集められたという出来事は、その実にとってのほんの偶然。
でもきっと、この偶然は、その実の中の何処かが待ち望んでいたはずの一つであって、次の瞬間には、記憶となって、その実の中の遺伝子の一部に書き加えられるのだろう。

そうやって、つくられるもの。
それを自然と呼ばなければならないと私は思う。



私が住んでいる場所・・・・。

私たちが日常的に使っている「住所」というものは、自然という観点を全く含んではいない。
勿論、現代に暮らす私たちが、その便利さや必要性を全て否定することはできないが、住所によって私の暮らす場所に郵便物は届けられたとしても、住所からは、その街の気候や地形、そこに生息する植物の種類を知ることはできないということを、私たちは忘れてはいけない。

私たちの誰もが、すずかけの実の持つ自然さと同じものをその内側に持っているにも関わらず、住所という効率化の手段を、無条件に受け入れることによって、自分たちが緑色のフィールドに暮らすものたちであることの意識が薄れ、其処に暮らす権利をも放棄しようとしている。



そもそも、植物の葉の緑らしさは、他の何物によっても感じられない緑と感じるように私たちはつくられている。

どんなに科学が進化しても、植物の葉の緑らしさと同じ緑色を、私たちがつくり出すことはできないだろう。
それがどうしてなのかはわからない。
しかし、そこには確実に「心動く何か」がある。
私は、その「心動く何か」が訪れる瞬間を逃したくないと思い続けている。
現代という時代に生きる私たちが、私たちもまた自然の一部であるということに気付く瞬間はとても少ない。
少ないからこそ、その瞬間を少しでも多くの人々が共有し、少しでも長くそれを持続させられる場づくりを私たち共通の目的としなければならないと思う。



私たちは長い間、いかなる他の存在にも依拠せずに自立して存在するべきだという幻想を抱いてきた。

それは、自分たちが暮らす場所に対しても変わらない。
自立して生きる為には、緑色のフィールドを支配する力が必要だと思い続けてきたのだ。
そうした幻想は、自然ばかりか、文化や歴史といった目には見えない関係性も含め、全て破壊する。

このような幻想を断ち切る為に・・・。
場所との関係性を築く為に・・・。

私たちは、場所との関係性を生きる植物という存在から多くを学ばなければならない。
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植物はまさに、場所との関係性によってのみ生きている。
土地に根を張り、自らは動くことができない、植物にとって、その場所が如何にして持続するかが=自己生命の持続に繋がる。
その特徴は、「次に託す・・」、あるいは、「他の存在に委ねる」といった、人間が抱き続けてきた幻想の逆にある。
植物の場所に生きる関係性は、自らが循環を促す一員となることによって築かれる。



私たちは、今すぐにでも、自分が暮らす場所に根を張る植物に一歩近づいてみることができる。

それが、場所に対しての関係性を生きるということへの最初の一歩となり、循環の一員に加わる意思表示でもある。
私たちは全て、緑色のフィールドに生きる権利を持つ者として、壊れかけた関係性を復元しながら、人間の生活のあり方を再発見し、持続可能な地域に転換する、あらゆる可能性を探り始める。
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by cafe_mazekoze | 2011-06-24 09:18 | RIKI-TRIBAL | Comments(1)

痛みや苦しみ 

このところ私に起こっている症状についての原因は未だ不明。
いくつかの病院を行き来し、総合病院への紹介状が出て、組織細胞検査?なるものに進んだものの未だ結果は判明せず…、原因が特定できていないのでいまのところ治療は難しいとのこと。
とはいえ、痛みはずっと続いたままなので、それをなんとかごまかす…あるいはそれを忘れられるようなことをしていないと気持ちがすさんでくる。口の内部と喉が火傷に似た状態でもあるので、食べるにも飲むにも痛みが伴うものの蕎麦だけは痛みも感じずに食べることができるのでこのところは蕎麦で生きている感じ。
幸い、熱があるわけでもなく、動くことができないわけではないし話しもできる。
「病気だと聞いたけど別になんともないじゃない」…とか言われたりもして…。
あらためて「痛み」は目には見えないものであることに気付かされます。

皆様から、いろいろなアドバイスやご心配を頂きありがたく思っています。
ご迷惑をおかけしている方、ほんとうにごめんなさい。

生まれてからこのかた、これといった病気にかかることもなく極めて健康、体力も腕力も人並み以上…の自分。おそらくそんな自分への過信、きっとそのあたりに何らかの原因があるのでしょう。
そんな自分について反省しすぐに改めたいという思いはあるものの、何をどう改めれば良いのやら…。
変われない自分にうんざりなのは今に始まったことじゃ無いけれど、なかなか改善しない症状に、焦ってもしかた無い…とは思いつつ、いったいどうなってるんだ自分…と、煩悩にまみれた私の焦りは募る今日この頃です。

…というわけで、私の気は病んでいるのだと思います。
そんな時に自分の足が向くのは「山」。
最近のパワースポットブームで山の中の一点に人気は集中してはいるようですが、何はともあれ、山には気が満ちている…ということは確かですし、山から何かを感じ取って頂けるのならブームであろうがなんだろうがかまわないと私は思います。
気がつけば、先週から今週にかけては何度も善光寺門前町と山の中を行ったり来たりしていました。
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私の父と母、その父と母そのまた父と母…は長野市近郊の山村に生まれ育った人々です。私の先祖にあたる人々がいつ頃からなぜ山に暮らし始めたのかはわかりません。
私はそんな山村と善光寺門前町の境界線上にあるような町…戸隠山や飯綱山を源にする川の流れが最後のカーブをつくり善光寺盆地へとそそぎ込むそのあたり…川の流れの音が片時も途切れることなく聞こえるあたりで生まれ育ちました。
今もたくさんの親戚や友人は善光寺門前町の周辺に広がる山の中で暮らしています。

幼少の記憶の大半は山の記憶。
私の中にある遺伝子はそんな山の記憶で満たされているのだと思います。
山に出かけて気持ちが満たされるのは、遺伝子のプールに蓄えられた山の記憶と私が感じる山の気配が振動し響きあっているからこそ。
おそらく、遺伝子レベルでの体内振動を自然治癒力と呼ぶのだと思います。

山は豊かな恵みをももたらすその一方で、河川の洪水や土砂崩れによって一瞬にして全てを奪い去ることもあります。こうした土地に暮らし続ける人々の中に、山の自然への畏敬の念が生まれるのは当然のことだと思います。
山村に点在するどの集落にも必ず神社が祀られ、はるか昔からそして今も山の神々と共に山の暮らしは営まれています。

とはいえ、町の暮らしは便利さ快適さを増し、それに比較すると山の暮らしは不便だと言われるようになってから随分と時は経ちました。
山に暮らす多くの人々が百姓から農家へ、専業農家から兼業農家と移行してゆく流れは、善光寺門前町界隈の賑わいが徐々に長野駅周辺へと移り変わってゆく長野市街地の変化に比例して進行してきました。
町に暮らす人々の暮らしと、周辺の山村の暮らしが一体となって繋がりあっていた時代、それが、善光寺門前町の賑わいの姿であったことは間違いありません。
そしてそれこそがこの地域でしか成立し得ない「循環型の社会体系」そのものであったと思います。
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東北大震災という惨事は、私の遺伝子の奥底にある何らかを揺り動かしていると感じています。でもその「奥底にある何か」とは何なのか…。
正直なところ、私にはそれがまだわかっていない。
原子力エネルギー利用はすべきでは無い…。
でも、どんなに核の歪みや原子力エネルギー利用の歪を知ってみても、どんなに自然エネルギーへの転換が叫ばれても、私の中の遺伝子は、そうした知識や転換ビジョンぐらいでは振動しないことを感じます。
感覚として何かを感じてはいるものの、それを実感できないまま、あともうちょっと…でも掴めない…とどきそうでとどかないという焦りにも似た気持ちを抱いたまま、震災から100日目を迎えました。
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善光寺での100日法要に娘と参加した翌日、東北大震災から101日目。戸隠の古民家に移り住む友人宅の地鎮祭にお邪魔しました。
この集落は戸隠地区にあるのですが、戸隠山では無く飯綱山に降り注いだ雨の恩恵を受けて農耕が営まれてきた集落。その昔、そこからもう少し下った場所にある集落に暮らしていた人々が開拓し築いたのだそうです。
飯綱山南面から西面に降り注いだ雨は、戸隠連峰の最高峰、高妻山(標高 2,353m)に源を発する裾花川へと集まり、その流れは善光寺平を経て犀川、千曲川へ。その後もいくつもの流れは合流しつつ信濃川となり日本海に注ぎ込みます。信濃川水系の流域面積は11,900 km2、関東平野を流れる利根川、北海道の石狩川についで3番目。

森に暮らすことを決意しこの地に生き続けてきた人々の歴史…。
そこには常に自然との対話を繰り返しながら、自分たちが死んだ後のはるか未来を想像しつつ、自然と一体となろうとした人々の姿…生き様を感じることができます。
この風景の美しさを前にすると、私の遺伝子の奥底にある何らかが揺り動かされることを感じます。

この美しさをどうやって次の人に伝えようか…。
この季節の山々、そして山村の風景はほんとうに美しい。
この美しさは、自然と人々が共に紡ぎ出した美しさ。
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かつて森を開き、村をつくり、自然を敬いつつ、自然との対話を絶やさず山の暮らしを続けてきた人々の苦労は、私の想像をはるかに超えるものだったはずです。
そうした人々が便利さを求めていなかったとは思えないものの、長い年月をかけてつくられてきた山村の風景を見ていると、そこにある便利さは私たちが生きる現代の便利さとは何かが決定的に違うと思えてくるのです。
山の暮らしを選んだ人々は「便利さ」「快適さ」をどのように捉えていたのだろうか…と思います。
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「無痛文明」の著者、生命学者・哲学者である森岡正博氏は、あるエッセイの中で現代社会でもある「無痛文明」を以下のように語っています。

「文明が進歩することによって、何か大切なものを置き忘れてきてしまった、というような牧歌的な次元は終わり、文明は、私たちに「快楽」と「快適さ」を惜しみなく与え、それと引き替えに、私たちから「生きることの深いよろこび」とでも言うべきものをシステマティックに奪い去ろうとしているのではないか、というふうに私には感じられるのである。そして、私たちは、その事実から目をそらすための仕組みを、社会に中に張り巡らせて、私たちがみずからの「空虚」に気づかなくて済むようにしているのである。」
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森岡氏が「無痛文明」と呼ぶ現代社会とは、私たちの身の回りから「苦しみ」や「つらさ」が次々と消去されていくようなシステムであり、目には見えないこのシステムが社会全体をすっぽりと覆いつくし、いまなお、積極的にこのシステムを増殖させ進化させ続けている…そして何よりも、ほかならぬ現代社会に生きる私たち一人ひとりが、このようなシステムを裏側からしっかりと支えてしまっているということなのです。

私たち誰しもが、人生のなかで、つらいことや苦しいことに、なるべく出会わないように願っています。苦しいことやつらいことになるべく出会わないで済むような社会をみんなで作り上げていくこと…そこにむかって皆が協力しつつ歩むこと。その方向・目的には何の間違いもなかったはずです。
しかし、便利さや快適さが日々向上し続け、モノに囲まれ、苦しみから遠ざかり、安定した生活を手に入れ、気持ちのよいことをたくさん経験できるようになったにも関わらず、なぜか心は満たされない…私たちは皆それを薄々感じてはいるものの、ただひたすら便利さ快適さを求め続けるしかないほどに無痛文明は巨大化してしまっているのかもしれません。
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私たち自身がここまで強大化させ続けてきた社会を根本から変えることは難しい。
難しけれどそれをしなければ私たちひとり一人の心にできた空虚さはやがて社会全体を覆う空虚さとなり、やがて疑問も問題も興味も感じない…生きているのか死んでいるのかもわからない…そんな社会がつくられてゆくような気がします。

もしもこの空虚さが覆い始めた社会の中で「生きることのよろこび」…、「生きているという実感が全身を駆け巡るような感覚」を回復させる手掛かりがあるとすれば、その鍵はきっと、「痛み」や「苦しみ」「辛さ」のような現代社会が排除しようとしてきたもの…その周辺にこそある気がしてなりません。

「痛みや」や「苦しみ」は何も病気や怪我だけに限りません。
社会の標準から見たときに「病」として見えるもの…。
なぜか私は幼いころからずっとそんな病的な何かに魅了されてきた気がします。
岩に登ることだけ…それだけを考えていた頃も、PlanterCottageをつくった頃も、善光寺門前に移り住んだ今も…。
この社会であえてArtを選択し、Artによって生き続けてゆこうとすることも社会標準からすればりっぱな「病」なのかもしれません。
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今現在、自分が抱えている「痛み」はもっと大きな痛みを抱えている人々に比べたら取るに足らない痛みなのかもしれないと思います。
でも、「痛み」を感じているのはその人自身であって、そもそも、他人の痛みを自分の痛みと比較することなど誰もできないはずなのです。
そう思ってみると、痛みに大小はありません…。
大切なことは、他人の痛みを自分の痛みに置き換えて判断するのではなく、他人が感じている痛みは何に繋がっているのかということ…その痛みの周辺にある目には見えない社会と同じ今を生きていることを思えば、人の痛みを知る…ということは、実体のない、目には見えない社会を見ようとすることでもあるような気がします。
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町の暮らしは便利で快適です。
山に暮らしてきた人々が便利で快適な町に憧れ、山の暮らしを便利で快適にしようとすることを私たちは誰も否定できません。


山はほんとうに美しい。
この美しさをどうやって伝えようか。


小池マサヒサ 記
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by cafe_mazekoze | 2011-06-23 11:44 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)

本日22日(水)は展覧会最終日

本日22日(水)で「ヤンネの108展」終わりとなります。
まだ見にいらしてないかた、お見逃しなく~。
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by cafe_mazekoze | 2011-06-22 00:09 | お知らせ | Comments(0)

今週末は金、土とお休みします

大変申し訳ありませんが、今週末の24日(金)と25日(土)はお休みとさせていただきます。
よろしくおねがいします。
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by cafe_mazekoze | 2011-06-20 22:58 | お知らせ | Comments(0)

不思議なこと

このブログで夫の病気のことを書いてから、いろんな方が心配してくださり、すみません。
状況はというと、病院での検査結果はまだでておらず、口の中は一進一退。
今日はお水が痛いというので、お水で痛ければ、もうまったく食べれないかと思いきや、そうでもなかったり。
不思議です。
刺さるように痛かったりするときがあるそうなのですが、それが塩気が強いとかそういったものでもなく、何がダメなのか私はさっぱりわからなくなってきました。
昨日飲んでいた豆乳が、今日は痛いそうで、これも謎です。

そんなこんなで、今日は大変おいしいご馳走をいただく機会にめぐまれたのですが、夫はすべては食べることができずかわいそう。といっても、かなりたくさんいただいていたのですが。(笑)
魔女の料理とうわさされている諏訪さんの奥さんの手料理。
どれも、抜群においしかったです。盛り付けも、ふきの葉にイチゴがのっていたり、かっこよかった。
普通に食事することって今まであたりまえに思っていたけど、今我が家ではそれはあたりまえじゃないんだと思うようになりました。

ところで、今日のごちそうの数々。↓
写真を撮るの楽しかった!
昔プランターコテッジで「やそうをたべるかい」をやったことがありますが、そのときも見た目も味もすばらしかった。
野草料理の本作りたくなってきた!
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     右上はミョウガ 味噌につけて食べたら美味
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 長野の郷土料理のひとつ 笹ずし 私はかなりの好物 くるみがのっていたりします
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揚げ魚とスナップえんどう このえんどう甘くてプリプリ
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おなかいっぱいで眠そうな娘
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by cafe_mazekoze | 2011-06-20 00:14 | マゼコゼなこと | Comments(4)