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森と風のがっこう3.11後 その2 「森の共同性」

森と風のがっこう(岩手県葛巻町)がスタートさせる、これまでの日本にはなかった「子育ての森」と「循環の森」を組み合わせたエコロジカルデザインの体現を目標とした、森と生活を結ぶフィールドづくり。その道筋として開催される、「子育て」と「循環」の森づくりワークショップ “楽しみながら子どもと森をつなぐエコロジカルデザイン”
私もその講師を担当させて頂くことになり、先週末の7月16日~18日は、その第2回目のワークショップとして、「子育ての森」~アートオブジェづくり~ と題したワークショップに伺った。キーワードは、「アート」と「五感」 そのものズバリすぎるかな…といった感も多少はあったけれど、それでもアートと五感は切り離すことはできないし、特にこれから森と風のがっこうで始まる、「子育て」と「循環の森」構想にとっては特に欠かすことのできないキーワードだと思っている。
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「五感」で感じることをつうじて自らの内に沸き起こる気付きの瞬間。そして、その気付きの瞬間を見逃さず捉える力…。
この一連のつながりが「感性」であると私は理解している。
私たちは皆…他の誰とも同じでは無い、誰とも交換することのできない、この世でたった一つしか無い「感性」を持ってこの世を生きている。

この世を感じるための生なのか…それとも、感じるからこそのこの世…なのかはわからないけれど、いずれにせよ私たちはこの世をあらゆる方向から受信する装置ともいえる心と体を授かってこの世に生を受けたことだけは確かなようだ。
しかし、五感をつうじて育まれる感性はもちろん、情報や経験などをつうじて得られる知識もまた、自らの内に「気付き」という過程が伴わなければ、心と体はこの世を感じる…この世を生きる装置としては十分に機能することはない。

この世に自分が生きていることを自らがまざまざと感じること…
生のリアリティーとは、この世に自分が生きているということを信じることができるということ。「気付き」はそのためにあると言ってもいいと私は思う。
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いま、気付きの瞬間は暮らしのいたるところにあるにも関わらず、私たちは自らの内に起こる気付きの瞬間をあえて封印してしまっている…もしくは、私たちは日々の暮らしの中で、自らが感じていることを表側に出すことを躊躇するようになっていやしないだろうか…。
そうやって、自らの気付きを自ら封じ込めることで、人々は、互いの「個」の領域には深く干渉しないという暗黙の不可侵の約束ごとを取り交わしているような気がするのは私だけなのだろうか。

「感じる」そして「気付くこと」によって育まれる「感性」という生きる力。
この世界の中に、感性に従って生きることを阻むもの、それは、「信じること」の対極にある…。
「感じること」「気付くこと」をつうじて育まれる「感性」は、何人たりともそれを封じ込めたり、干渉したり、歪めたりすることは許されない絶対自由の領域にある。
それはたとえ、その感性を持ち合わせている自分自身であったとしても。

人が正直に生きるとは、自らの内に起こる気付きを認めること…そしてその気付きを私から私以外へと恐れずに伝えること…互いに気付きを伝えあうことだと私は思う。
そうした自らの内に起こる気付きを連鎖させることこそが持続可能性ある社会をつくるためには最も必要なことであるはずだ。
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今回開催した、「子育ての森」~アートオブジェづくり~ と題したワークショップでは、そんな「気付き」を如何にして自分の内に見つけ出すかという3日間だったと思っている。
ワークショップのお題目として ~アートオブジェづくり~ と銘うってしまったので、
参加者のほとんどが、「アート」に一瞬は躊躇してしまったかもしれないが、逆に、このワークショップに参加したことをつうじて、アートは自分の内なる気付きへのきっかけとして感じてもらえたとしてたら、それはとても嬉しいことだと思っている。

「アート」にとって「難しい…」は既に枕詞となってしまっているようないま、「アートを日常に取り戻すこと」…「アートを解放すること」はとても重要なことだと私は思っている。できることならばこの一生を美術家として生きたいと望む私ではあるけれど、“アートのためのアート”であるような現在の状況の中に埋没して残りの一生を終えるのはどうにも忍びない。生きている気がしないというか…、これも根っからの貧乏性ゆえの妄想か…。
まぁともかく、既にこの世界の中で巨大化しすぎたアートモンスターに好き勝手にしてやられるわけにはいかないし…そろそろここらで一蹴り食らわしてやりたい…と真剣に思う美術家がひとりぐらいいてもさして問題はないだろう…。
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森には生命が満ちている。
私たちは森の中で育まれ続けてきた生の記憶を持っている。私たちが森へ出かけて心安らいだり、森に生命の気配を感じるのはすべてこの生の記憶が森に共鳴し、私たちの心が振動するからだと私は思っている。
こうした心の振動は新しい生の記憶として遺伝子に刻み込まれ、そしてまた森にプールされ続けてゆく。森とはそういう場所だ。
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「子育ての森」とは、子供の中にある生の記憶が森に共鳴し、新しい遺伝子を森に書き加える…プールすることだと私は思っている。
「子供は森によって成長するが森もまた共に成長する」
森と風のがっこうが目指す「共に教えあい学びあう場づくり」…という精神はこうした森と人との関係性…森と人との間に築かれる共同性によって育まれ続けている。

この共同性にとってもっとも大切で決して欠かすことのできないもの…。
それこそが、「気付き」だ。
子供の成長を考えた時、大人が子供を森に連れてゆくことができるかどうかはとても大切なことかもしれない…でもそれ以上に重要なのは、子育てを意識する大人の中に“森へ行きたい!”という気付きが起こっているかどうかだと私は思う。

子育てに限らず、すべてこの世の生の成長は、「相互関係性」「共同性」のもとで育まれる。大人が育てる側であるとか子供が育てられる側であるという一方向的な関係性のもとでは、「気付き」が伴わない…もしくはその瞬間を捉えることは難しい。
「五感」で感じることをつうじて自らの内に沸き起こる気付きの瞬間。そして、その気付きの瞬間を見逃さず捉える力…。この一連のつながりが「感性」であるとすれば、一方向性的な子育てでは、「感性」は育まれにくくなるのは当然だと思う。

「感性」は私たちにとってなぜ必要なのか。
まずは一度 森へ行って森の気配を感じてもらえたら…と思う。
そこにある膨大な遺伝子の中に、私へとつうじる遺伝子がきっとある。
感じることができれば、きっとその遺伝子をみつけらるはずだ。


小池マサヒサ 記

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by cafe_mazekoze | 2011-07-23 09:25 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)

森と風のがっこう 3.11後 その1

森と風のがっこう…通称“森風(もりかぜ)” (運営母体はNPO法人岩手子ども環境研究所) は、岩手県の北東部、葛巻町にある。標高700m、12世帯が暮らす山村集落にある廃校を再利用し、自然エネルギー教育、エコロジカルな生活教育の場として、循環型の暮らし…sustainabilityな暮らしが実感できる施設づくり、場づくりを進めている。
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この設立10周年を迎えた「森と風のがっこう」が五感を全開にして遊べる子どものための遊びの森づくり…これまでの日本にはなかった「子育ての森」と「循環の森」を組み合わせたエコロジカルデザインの体現を目標に、森と生活を結ぶフィールドづくりをスタートさせた。

森と風のがっこうHP

私は、この森風で先週末からの連休、7月16日~18日までの3日間行われた、
「子育て」と「循環」の森づくりワークショップ
 楽しみながら子どもと森をつなぐエコロジカルデザイン!

と題したワークショップシリーズの第2回目 
「子育ての森」~アートオブジェづくり~ の講師として参加。
森風にはこのワークショップの打ち合わせがあった4月以来の3か月ぶり。
3.11の出来事は、いまだ東北各地に大きな爪痕を残したままだけれど、幸いにも森風のある葛巻町は岩手県の内陸にあり震災の直接被害は無い。
とはいえ、これまで森風を訪れたたくさんの子供たちや関係してくださった方々が多数被災していることを想うと言葉を失う…でも、だからこそ、「森と風のがっこう」は新たな方向に向かって全力で歩み始めた。
私もそんな森風と歩みを共にしたいと願ってやまない。
今年の予定ではあと3回ほど森風に行く予定…今月から4か月連続で森風におじゃますることになりそうだ。

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「もったない・ありがたい・おかげさま」という合言葉のもと、楽しみながらこの地にあるものをつなげてゆく。
知識だけじゃわからない。自分からもっと近づいて、自分でやってみる
自らの内に起こる気付きの瞬間を大切にし、森と風と共に生きる地域の人々と共に教えあい学びあう場づくりをつうじて、自然から学び、自然について深く理解しながら、子どもたちの居場所をおとなの手で保障したい…という思いから始まった森風の活動。
岩手県の県庁所在地、盛岡市からは遠く離れ、高齢化・過疎化・後継者不足が深刻化する山村の町、葛巻町の山あいの谷間…いわば限界集落。冬の気温は-25℃近くまで下がり、携帯電話の電波は届かない。国の土地基準では4級僻地(1級僻地~5級僻地まで)に指定されるような山奥の村に今では年間5000人を超える人々が訪れている。

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私が森風をはじめて訪れたのは7年前。
当時の森風はまだ山の分校そのままといった風情…。風呂は無い。トイレは旧式のまま。知り合いの建築家が森風の改装工事をするというので、そのお手伝いがてら見学に伺ったのが最初の出会い。ちょうどカフェ森風をつくったのもこの時。私には「森と風のがっこう」という名称とパーマカルチャーの手法をとり入れているらしい…ことぐらいしか情報は無く、山奥の自給自足のがっこうみたいなところかな?…ぐらいにしか思ってもいなかった当時の私は、森と風のがっこうが何を目指しているのかなんてことは知る由も無かった。

そんな私があれからずっと…そして今も、「森と風のがっこう」に関わり続けさせてもらっていることに何とも不思議な縁のようなものも感じつつ、森風設立10年という節目にスタートさせた、森と風のがっこう10年間の活動の集大成…森風がさらに未来に向けて歩み始めた一歩とも言えるような「子育ての森・循環の森」構想のメンバーの一人に加えて頂けることに心から感謝したい。
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『知識だけじゃわからない。自分からもっと近づいて、自分でやってみる。自らの内に起こる気付きの瞬間を大切にしながら、地域の人々と共に教えあい学びあう場づくり』

私たち家族が東京を離れ、長野市に住むことを決意した大きな理由はいくつかあるけれど、森風との出会い、そして今もつづく関係性は間違いなくその理由の一つだったと思う。
長野市に暮らして2年半…。
私の視界の先には、森風という場と葛巻の森の中で感じた、“共生と循環の場”の姿
がおぼろげなら見えてきたような気がすると同時に、そんな場と関係性をつくりたい…という想いが自分の内に沸々と起こりはじめていることを強く感じている。
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いまでこそ長野市は全国にも名の知れた地方都市へと変貌しているけれど、かつてはここも山の奥深く…四方を山と森に囲まれた辺境の地であったことを私たちは忘れかけている。
善光寺を始め、はるか昔からこの地にあり続けてきた神社寺社を始め、この地に受け継がれてきたたくさんの伝統は、すべてみな、ここが山や森との関係性の中で築かれてきた場所であることを忘れないがためにある。
山の気配を…森の匂いを含んだ風は今も長野市に吹いてきている。
私たちは今この町でその風を感じることができているのだろうか…。

風を感じたい。
山から…森から吹いてくる風を。
かつてここが山であり森であった頃に吹いていた風を…。

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かつて、「つくること」そして「場づくり」を頭だけ…知識だけで考えていた感が否めなかった私にとって、「自分からもっと近づいてみる」という気付きの瞬間は、森と風のがっこうとの関わりの中にあった気がする。今の私へと方向づけるような経験やきっかけが森と風のがっこうとの関わりの中には驚くほどたくさんある。
子供たちとの関わりの中で、ワークショップに参加して頂いた人々との関わりの中で、森風のスタッフを始め、たくさんのボランティアスタッフたちとの関わりの中で、そして森との関わりの中で…。
森と風のがっこうは、“がっこう”であって学校では無い。
「共に教えあい学びあう場づくり」…という精神は決してぶれることなく変わらず、常に森からの風を感じ続けながら歩み続けようとしている。

         
小池マサヒサ記
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by cafe_mazekoze | 2011-07-20 14:31 | RIKI-TRIBAL | Comments(1)

アーティスト・イン・レジデンス 「スズキジュンコ|女神の家」

今月…2011年7月23日(土)から31日(日)まで
清泉女学院大学 人間学部心理コミュニケーション学科
現代コミュニケーションコース主催により、
長崎市在住の現代美術作家 スズキジュンコ氏を招き、アーティスト・イン・レジデンス・プログラム(Artist-in-residence program)が開催されます。
清泉女学院大学HP 

アーティスト・イン・レジデンス 「スズキジュンコ|女神の家」
制作公開場所|長野市立町961
(善光寺門前・大本願西側、西之門町通りから西へ路地入る)
作家滞在期間|2011年 7月23日から31日
スズキジュンコHP
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このプログラムには関連する幾つかのイベントも予定されています。
関連イベントの一つ、トークセッション には私もスピーカーとして参加します。
このトークセッションは事前の打ち合わせは一切無し。ライブですし…その方が3人とも本音で話せそうな気がします。ちなみにスズキさんはこの日が制作初日…制作意欲満々?テンション全開なのでしょうか?…楽しみです。
有意義なトークになると思います。ご興味のある方は是非「女神の家」にお越しください。
定員30名程度、無料です。

◆トークセッション「あらためて、美術表現・発表・価値について思うこと」
日時:7月23日(土)13時~16時 (定員30名程度)
スピーカー :小池マサヒサ(彫刻家)
      :スズキジュンコ(現代美術家)
モデレーター:山貝征典(清泉女学院大学人間学部)

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『アーティスト・イン・レジデンス・プログラム:Artist-in-residence program(略:AIR)』とは、
芸術家が一定期間、地域に滞在し、地域の人々や地域固有の風土・環境・文化に触れながら、作品を制作、展示公開を行うことを通じ、地域住民と芸術家の交流を促しつつ、地域における芸術表現の新しい可能性を探ると共に、地域の文化をつくり出すための制度や事業です。
欧米では、世界大戦が終わった1950年ごろから始まり1970年代にはこうした制度が普及し、主に若手アーティストにとっては、非常に有益なスカラシップ制度あるいは留学制度として確立しています。日本では1990年代から自治体などによって地域文化の発展を軸とした地域活性化を目的に、芸術家の育成や地域文化を担う人材の発掘育成が行われてきましたが、現在では、文化庁をはじめ、公立・私立の美術館、民間企業、大学等研究機関、個人まで…様々な団体や組織あるいは個人が芸術家を招聘しています。制作に必要なスタジオやアトリエ、宿泊施設など、いわゆるレジデンス施設には、公立美術館が運営する施設もあれば、民間団体や個人が運営している施設もあります。ようするに、芸術家を招聘する側の目的や条件は様々であると同様に、アーティスト側の参加目的や活動内容も様々、待遇や滞在期間も様々…ということです。

こうした試みが社会に定着するようになってきたことは喜ばしいことである一方、アートと社会の関係性を築くプログラムはいまだ発展途上であるがゆえ問題や課題は多々あります。しかし、個人に対する資金支援とも言える奨学金制度や補助金制度とは違い、アーティスト・イン・レジデンス・プログラムという試みの最大の特徴は、「できることの交換」にあると思います。
Artにとっての経済性はそれはそれとして重要ですが、でも決してArtはお金がありさえすれば成立するものではありません。できることを持ち寄りそれを交換するという私たちがはるか昔から用いてきた自由で平等なコミュニケーション方法を現代社会に生きる私たちは既に忘れかけている…失いかけている気がします。
アーティスト・イン・レジデンス・プログラムは、Artと社会との関係性をあらためて問い直しながら、私たちひとり一人がArtに関係できること…、地域や社会と関係していることを確認しながら、これからの未来をみんなでつくるための貴重な一歩にできるのではないでしょうか。

今回長野市善光寺門前という地域で行われるアーティスト・イン・レジデンス・プログラムは、大学という教育機関によって主催されるプログラムです。
ということは、まず第一に、大学としての教育プログラムの中にあること…大学が考える新しい学びの場の創出、特色ある学びの場の創出、が大きな目的であると言えると思います。
とはいえ、大学内に滞在・制作するのでは無く、2週間という短い期間であるとはいえ、アーティストが地域に暮らしながら、作品制作をつうじて地域とコミュニケーションを図るからには、結果的には地域文化の可能性を押し広げるであろうし、なにかしらの地域活性化にも通じると思います。
ただし、目先の集客数や効果ばかりを期待しがちな地域活性化策があまりにも目立つ昨今、今回のプログラムが「教育」に根差したものである以上、大学関係者や地域の方々はどうか長い目で見守って頂きたいと思います。この取り組みは必ずや人を…そしてまちを成長させますから。

今回のアーティスト・イン・レジデンス・プログラムの重要なポイントは、作家が善光寺のお膝元である善光寺門前町に滞在しそこで制作が行われるということにあります。
このプログラムの企画者である、清泉女学院大学人間学部の山貝征典氏は、
“「信じること」という人としての根源的なやさしさ、前向きな姿勢に注目し、善光寺を有する仏都「長野」へ被爆都市であり平和都市「長崎」で制作を続けるスズキジュンコという現代美術家を招くことによって、「信じる」力を回復するための通路を開く新しい試みをなそうとしている”と述べ、アーティストは、この善光寺門前町の元旅館であった空き家に滞在し、地域の方々との対話を通じて、そこに見ることが可能な「女神」を創造しようとしています。

いまはまだ制作が始まったわけではありませんから、あまり勝手なことばかり言うこともできませんが、今後の善光寺門前の大きな可能性としてアーティスト・イン・レジデンス・プログラムの継続的な実現を模索している私としては、今回のプログラムが是非とも今後に繋がるプログラムになるよう大いに期待しながら…とは言え、微力ではありますが協力させて頂きたいと思っています。

とかく難解だと言われがちな現代美術。なぜいまもってこれに真剣に取り組む人がいるのか解らないと言われても当然の状態…残念ながらそれほどに日本の現代美術は社会参加できていないし認知もされていないのが現実です。
でもこの現代美術こそが私の人生を決定づけたことは紛れもない事実。
このところ私は自分を「美術家」あるいは「彫刻家」と名のっていますが、それは単に私の出発点が「美術」であり「彫刻」であっただけのこと、「現代美術家」でもやることはきっと何も変わりません。
20代の殆どを何かに取り憑かれたように制作と発表に明け暮れその後、あれこれ考えた結果、今現在まで美術館や画廊での作品の展示活動は殆ど行っていません。
ですが、美術だからこそ可能なこと…美術でなければできないことがある…とずっと思い続け、なんとかつくることは止めること無く今に至ります。

美術館や画廊での発表から距離をおきながらも制作を続ける中、ある頃から否が応でも意識せざるを得なくなった存在…、それが「まち」でした。
「まち」は時に「地域」とも呼ばれます。
そんな「まち」あるいは「地域」の中で美術によってコミュニケーションすること…。
その大きな転機となったのが、1999年から現在まで継続中(現在は仲間たちによって運営中)の「PlanterCottage(プランターコテッジ)」というとりくみです。いま思えば、ほとんど勢いでつくってしまったものの、「場」を維持すること、活動を継続する苦労なんて考えもしなかった…あがけばあがくほどに深みにはまってゆく泥沼ようでもあり…想像以上に大変なことの連続。私が「アーティスト・イン・レジデンス」という「場」をつくることを意識し始めたのもそんなPlanterCottageを通じての辛くもあり楽しくもある活動があったからだと思います。
このあたりはかなり長くなるのでまたの機会にします。
PlanterCottage Blog
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さて、今回のアーティスト・イン・レジデンス・プログラムで制作されるであろう作品においては、作家の独創性はさほど重要では無いと私は思っています。
もちろん作品は作家の作品(Work's)として記録されるでしょうし、作品を構想し制作する作家という存在、その作家性は重要、作品としての美しさも…です。ただ、こうした作品づくり(対話型or参加型)で最も重要なのは、作品の独創性…オリジナリティーというよりは、作家が持つ「全体を見通す力」です。
簡単に言ってしまえば、それこそがアーティストに求められるコミュニケーション能力だと思いますが…、ある時は誰よりも接近し、またある時は誰よりも遠くから…俯瞰して眺められるような柔軟な発想力と俊敏な行動力が求められると思います。
少し別の方向から考えてみると、目で見えないものを見る力…アーティストには「心眼」が求められるのかもしれません。


善光寺門前の空き家が「女神の家」へと変容する過程では、人と人のつながりや、街と人と文化の関係性などについて再考する機会が育まれるのだと思います。
たった2週間という短い期間とはいえ、作品が生み出される場に地域の人々が行き交うことによってそこには様々な人と人の対話が生まれ、そして作家は作品に語りかける言葉をその対話の中で見つけ知ってゆくのだと思います。
そしてそれはまるで幼子のような作品へと伝えられる…。
まだ多くの言葉を知らない作品らしきものは、やがてその土地の言葉を覚えながら女神へと昇華するのかもしれません。

人それぞれが持つ「こころ」が通じあうことの可能性…その必要性。
目には見えないものを見る力が様々なコミュニケーションによって育まれてゆく場に立ち会うことによって、私たちが失いかけている「信じる力」を回復してゆくための通路は回復されてゆく…。
人々が、同じ場所・同じ時の中で、目には見えない「信じる力」を感じ、そしてそこに女神を見る…。
それが今回のアート・イン・レジデンス・プログラムによって実現しようとしている芸術と言えそうです。


小池マサヒサ 記
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by cafe_mazekoze | 2011-07-12 00:27 | RIKI-TRIBAL | Comments(1)

「前」と「後」

最近の人気は、「江戸時代」なのだそうだ。
NHKの放送文化研究所では2007年に全国300地点、16歳以上の国民3,600人を対象に今の日本人が好きだと感じているものの調査を行っている(有効回答率66.5%)
前回調査は1983年。調査によると、好きな時代トップは1983年もトップだった「昭和(戦後)」 ただし、1983年に39%あった支持率は27%まで下がっている。
2位は江戸時代…江戸時代約300年間を一つの時代として明治や大正、昭和と比較することに無理があるような気もするが、これが現代日本人の歴史感覚であることもまた事実だと思う。以下、平安・戦国・明治…と続き最下位は南北朝時代。a0162646_1725191.jpg
この調査は2007年に実施されたものなので、既に3年以上経過している現在はおそらくこの調査結果と違いがあるだろう。
なにより、「2011年3月11日」に発生した東北大震災と福島原発事故の前か後かは、昭和を戦前と戦後に分けたと同様、日本人の意識はだいぶ異なるはずだ。

戦後の日本社会は、貧困からの脱却を目標に、経済中心主義へと大きく舵を切り、敗戦からわずか約4半世紀という短期間で一億総中流…と言われるまでの経済大国を築きあげてきた。
日本人の生活様式が大きく変化するのみならず国民意識もまた大きく変化し、結果的には“戦争に敗けたこと”が明治以降、幾多の戦争をも厭わず求め続けた世界における日本の地位を格段に上昇させた要因…であるのかもしれない。

しかし、その代償はあまりに大きかったのではないか…。
私たちは「今ここ」を得るためにいったい何をその代償として支払ってきたのだろうか。

もちろん、こうした問いはそれ以前にも無かったわけでは無い。
敗戦を経験した日本が奇跡的な経済急成長の歩みを続けた戦後昭和時代にも…、経済成長に急ブレーキがかかり、打開策は何ら見いだせないまま、生活格差は日毎複雑化、増大する一方の平成時代にも…、今後社会に対する警笛は鳴らされ続けてきた。
…がしかし、それはあくまでも想像の域を出ることができないことに対する警笛であったように私は思う。
私たちはそんな警笛を聞きつつも…警笛が大きくなればなるほどに、「そういう社会になるはずはない」という根拠の無い想像を懸命に膨らませ続けてきたのだ。
こうして築かれた社会が実は『泡』でできた想像社会であると私たちが気付くためには何かしらのきっかけが必要だったのだが…。
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延々と育まれてきた戦後昭和的な想像力によって築かれてきた世界…。
およそこれがあの美しさの根源を私たちに見せてくれた自然とは思えないほどの形相で私たちを震え上がらせたあの日…。私たちが戦後築きあげてきた世界は波頭にもまれ、あまりにも簡単に崩れ去ってしまった。

私がずっと追い求めてきたリアリティーとはいったい何だったのだろうか…。
リアリティーがこれほどにも残酷であると私は想像したことがあっただろうか。
美しさなどと口に出してはみるものの、それは「…であったらいいのに」程度の
センチメンタルなたんなる私の夢でしかなかったのかもしれない。

あの日を境目にして、“今までからこれからへ”…と大きくシフトしようとする声があがることもまた必然。
悲しみも怒りも痛みも…全ては波にのみ込まれ海の底に引きずり込まれてしまったあの日あの時を乗り越えようとする人々が新しい秩序や新しい日常を求めるのは当然だ。
しかし、眼前にある世界が現実だとしても、私たちはそれを現実として捉えることにおいてあまりに無力…、あまりにも与えられることだけに慣れすぎたがゆえ、自らの目で…自らの力で現実を手繰り寄せることができなくなってしまっている。
テレビ画面に映し出される光景を現実のありさまとして自らの目で捉えるためには、あまりにも現実社会は私たちから引き離され、遠退いてしまっているのかもしれない…。

何をこれから大きくシフトさせれば良いのかわからなくとも、考えるより連帯し行動することこそが重要…それが戦後昭和の復興と成長の歩みを支え続けてきた最も大きな原動力であることを私たちは知っている。
今はまだ、そうした戦後昭和に築かれたビニールハウスの中で育くまれてきた純粋無垢な想像力によって垣間見ようとしたおぼろげな新たなる未来に向かって皆を誘い、歩調を揃えようとすることで精一杯なのも無理はない。
そうやって私たちは2011年3月11日後の新しい日常をつくってゆくしかないのかもしれない…。

私は、そうした今をある程度は理解できるし、またある程度は新しい日常に向けそうした人々と共に歩みたいとは思う気持も無いわけではない。
けれど今はまだ私は、私のできることしか出来そうもない。
あの日起こった出来事は、日が経つにつれてかえって私を私の内に向かってしっかりと引き留めているような気がする。
それは自分以外を…自分の外を拒否するということではない。
今は、もっともっと人と話すことが大切だと思っているし、その気持ちはあの日以前よりも更に増している。CafeMAZEKOZEが、“自分の言葉で自分を表現できる場”へと成長して欲しいと心から願っている。
“つながる”という意識はとても大切だけれど、今何と繋がることを私は求めているのかを知ること…その一点において今は“つながる”を自分の傍においておきたい。
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思えば、あの日よりずっと以前から、私の中には怒りが充満していた気がする。
それをあらためて意識したのが“あの日”だった。
あれからずっと、今も私の中にある怒りのエネルギーはあの日地球が放ったエネルギーに共振したまま揺れ続けている。
この揺れが収まる時、新しい日常に向かって何処からか光明は射すのだろうか…。

私の中にある怒りは私を「美」もしくは「Art」へと揺り動かすエネルギーでもある。
美やArtが怒りに端を発する…というと語弊があるかもしれないが、怒りとは何も誰かを殴り倒したいというような単なる暴力の元凶であるとは限らない。
怒りを美へと、Artへと導くことができるとすれば、それは新しい秩序や新しい日常を築く過程においても使うことはできるのかもしれない…。
そもそも「怒り」と「暴力」は全く異なるものだ。
怒りは「危険にさらされた」という意識・認識に起因する感情であるとするならば、怒りはまた「痛み」と隣りあわせにあるとも言える。

怒りの感情を何処にどのように向けるのか…。
そもそもこの怒りは何によって生じたものなのか…。
個人が溜め込んだ怒りをどの方向に向かって発散するかはもちろん個人の資質によるが、怒りは本来、伝染性をもたないはずにもかかわらず、“突発的な怒り”が集団全体に飛び火し混乱する状況はこの社会のそこかしこにある。
社会には怒りが満ちている今、この怒りをどう捉え、そして怒りを何処に向けるかは私たちにとって最も大切なことなのではないだろうか…。

かつて、「昭和(戦前)」の日本は怒りを抱え込んでしまっていた…抱え込まされてしまったという見方もあるだろう…。
いずれにしても、その怒りがなぜ戦争にまで繋がってしまったのか…夥しい人の命を奪いとるまで戦争を止めることはどうしてできなかったのだろうか…。
私たち人間はそうまでしなければ怒りを発散できなったのだろうか。
その怒りの矛先が戦争へと向けられた場合、誰が傷つき誰が得をするかについてどのように想像していたのだろうか。
…。
先のNHK放送文化研究所の2007年調査では、「昭和(戦前)」は9位。(1983年は5位)
もちろん、戦前昭和、先の戦争について考える論考は山ほどある。
けれど、今だからこそ「戦前昭和」…日本が戦争へと突入してゆく背景にはいったい何があったのかを私たちひとり一人が個人の問題として真剣に考える必要が、そして私たちはそれについて語り合う必要がある気がしてならない。
たとえ何処かに怒りのきっかけがあるとしても、私が抱く怒りの感情はあくまでも私の内側で起こるものだ。
私の何が…私の外側の何と繋がることによって怒りは生じるのか…。
自らの内に沸き起こる怒りと真剣に…正直に向き合う以外、怒りが暴力へと変貌することをくい止める手立ては無いと私は思う。


作家 辺見庸は、東北大震災直後、3月16日の北日本新聞に「震災緊急特別寄稿」を寄せ、その文中で、カミュの小説『ペスト』について触れ、この世に生きることの不条理はどうあっても避けられないという考え方を、主人公のベルナール・リウーに、“人が人にひたすら誠実であることのかけがえのなさ”をかたらせていると述べ、混乱の極みであるがゆえに、それに乗じるのではなく、他に対しいつもよりやさしく誠実であることの大切さを書いている。
脳出血で倒れさらに二度の癌に冒されてなお、執筆や講演活動を続ける辺見庸の生き様、そこから紡ぎ出された一字一句に魂の震えを感じるのは私だけではないはずだ。
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今年3月11日の出来事の中にある「痛み」はもはや想像上の痛みでは無く私たち自身の痛みそのものだ。
もしもこの痛みを感じることができないほどに私たちの感性が鈍化してしまっているのだとしたら、自分が溜め込んだ怒りが暴力へと連鎖することも想像できずに、私たちが抱えてしまった怒りはただひたすらこの社会を太らせ、維持存続させるためにのみ消費され続けてゆくのかもしれない。
そして、私の怒りはあの日からずっと揺れ続けたまま・・・
二度と揺れが収まることはなくなってしまうのかもれない。

小池マサヒサ記

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           jan saudex
           David, Lonely Forever, 1969
           


一か月前の5月31日、辺見庸の新稿が共同通信社より配信され加盟紙に掲載されるとのことでしたが
わが家が購読している信濃毎日新聞には掲載されなかったようでした。
6月6日付北海道新聞夕刊
「幻燈のファシズム ──震災後のなにげない異様」
を転載している、河津聖恵さんのBlog

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         かなりゆったり…今日のCafeMAZEKOZE
         しばらくランチはお休みですが、
         ゆったりまったり…ご自分の言葉を持ってお話しにいらしてください。
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by cafe_mazekoze | 2011-07-01 17:43 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)

国立から長野へ + 「緑色のフィールド」

私たち家族が長野市…善光寺門前町に暮らし始めたのは2年と少し前。
ちょうど前回の善光寺御開帳の年でした。かつて自分が生まれ育った町であるとはいえ、町の気配は大きく変わりどこか違う町に来たような…、なんか随分と綺麗になったなぁ…そんな気がします。

長野市に暮らし始める前は、東京都の郊外の小さなまち…国立市(くにたちし)に長い間暮らしていました。大学がこの町から近かったことがきっかっけで暮らし始めた町ですが、ふと気がつけば学生時代から善光寺門前町に暮らし始める直前まで…25年間を国立市に暮らしていたことになります。
そんなこともあって、私にとっては、この二つの場所との関係は特別。
この二つの町の間に張り巡らされた網の目をたどりつつ今・ここに暮らしています。

私は美術家です。
美術家いう生き方を職業と言って良いものなのか、仕事と言って良いものなのか、未だに良くわかってはいませんが、とにかく美術…Artは私にとって欠かすことのできないものであることは確かです。
まぁようするに単なる“美術バカ”ですので、もはや何をするにつけても、自分の遺伝子に組み込まれてしまったらしい美術フィルターのようなものを通してしか何も考えられないし、動けなくなってしまった…ということ、それだけのことなのですが…。
それでもこの迷路のような世の中で生きていかなければならないので、私が美術やArtをとおして見たモノやコトを、なんらかの形に変換すること…それが自分の働き方となって、様々なお仕事をさせて頂いて今をなんとか生きています。
どうもありがとうございます。

東京なら美術でも生きてゆける…と思われがちですが、決してそうとは言えません。
美術のようなもの…Artのようなものに対する需要は、ある意味人口に比例するので、東京圏にはまだたくさんの、“のようなもの”の需要はあると思います。しかし既に美術もArtもデザインも建築も、「…のようなもの」、の点からすれば全てが混沌、曖昧になってしまったので、それが美術であるとかArtであるとかはもはやあまり重要ではなくなってしまっているような気がします。

そもそも、「美術で生きてゆく」とはどういうことなのか…は、とても難解な質問だと思いますが、そこが東京であっても長野であっても、美術によって社会と関わりを持ち続けてゆくことは簡単なことではないことだけは確かなことです。
・・・。
ま~た難しい話するんだから・・・と言われそうですが、作品をつくるだけで満足できるなら…、作品をつくるだけなら、それはさほど難しいことでは無い…けれど、美術で生きてゆくことはとても難しい…ということです。
お金がかかるから…、儲からないからつくり続けるのはむずかしい…、こうした美術と経済の関係も無視はできませんが、でもたとえ作品制作に必要な資金に不自由しなかったとしても、「つくりたい」というエネルギーを絶えず自分の内に持ち続けるということは、お金の問題とは別に次元の話しです。
ようするに、このエネルギーが途切れてしまえば、いくらお金があってもつくることはできないし、おそらくこのエネルギーこそが美術が社会とが結ばれる唯一の手立てであるように思います。
…とはいえ、
お金があったことなんてありませんから、ほんとうのところはわかりませんが・・・。

もう随分と長くこんな生き方をしていますので、たくさんの方から「美術ってなんですか」とか「美術って難しいですよね」とか「私は美術はよくわからないんですけど…」と聞かれたり、言われたりします。
…確かにその質問に答えを出すのは難しいと思います。
でも、きっと答えは私たちひとり一人の中にある…。
だからこそ、美術やArtは原始の時代から人類と共にあり続けているのだと思います。
私は美術作家がその答えを知っているとか、美術の専門家なら必ず答えられるとは思えません。
私は、そうした質問や感想の「美術」というところを「命」もしくは「生きる」に入れ替えてみると、少しだけわかりやすくなるような気がするのですが、はたしてどうなんでしょうね…。


このBlogは善光寺門前町にある、CafeMAZEKOZE からの日記です。
ほとんんどはマゼコゼ管理人のつねこさんが投稿しています。
そこに私…小池マサが投稿すると、Blog閲覧者がガタ減りになる傾向があるのはわかってはいても、たまに乱入投稿させていただいています。
ほんとうは、私だけのBlogもあることはあるんですけど、さびしがり屋ゆえ、このところは殆ど投稿していません。※そちらは、閲覧注意!…なんのこっちゃわからないことだらけです。

ですが、たまにはこちらにも載せてもいいかな…なんてのもあるので、
見直しながら、私が東京国立市で思っていたことなどをご紹介したいと思います。
まぁ今とたいして変わりませんが…。
以下は、2005年にローカルコミュニティー誌のために書いた文章です。

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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


“緑色のフィールド”


この世の中に偶然なんてものがあるのだろうか。

それが、“ほんの偶然“であればあるほど、その偶然は、自分であることを探し求めている自分を露出させる鏡のようなものである気がする。

この街に暮らしているのも、私にとっては、ほんの偶然の出来事の一つ。

一人で遊ばせておくには、まだちょっと早い娘との散歩。
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公園という場所がどうしても馴染めない私にとって、家からもさほど遠くない場所にあるこの街唯一の大学のキャンパスが、お気に入りの散歩コースとなっている。


この街の幸いの一つ。

それは、この大学の中にかろうじて残されている緑色のフィールドであり、過去から現在にまでに蓄えられた膨大な遺伝子がそこにはプールされていることだ。
ここで私が偶然出会った植物の数は多い・・。



東京とは言っても、ここまで山に近づけば少しは緑も増してくる。
・・・・・・。

本当は、「増す」では無くて、「残っている」と言うべきなのかもしれないが・・・。
まさか、こんなにも長く、この街に住むとは思ってもいなかったものの、これ以上東にも西にも移動する気にもならない。
もう何年も自分自身がつくりだした境界線上に留まり続けている。
四方を大小の山々に囲まれ、描く絵には、緑色の絵の具は欠かせない地方都市で育った私からすれば、緑の豊かさが気に入ってこの街に住んでいる訳でもない。
・・・・・。
「なら、何が気に入って・・・」という質問には、いつになっても上手く答えられない。

此処という場所が、此処であり続けているから。
私の中の、こちら側とあちら側の間に此処があるから。
だから私はこの街に暮らしている。
・・・と、今は答えることにしている。






娘を連れて大学の裏門を通り抜ける。

植物と大気が複雑に混じりあって放つ匂いの中に、ほんのわずか、土の匂いが含まれていることに気がつくと、木立の隙間から差し込む太陽の光は、幾分緑色に近いことを知る。
木立の上の鳥たちのさえずりに重なって、風が揺らす葉が触れ合う音や、木立の間を通り抜ける音が聞こえ始めると、私という存在もまた緑色のフィールドの一部であるということ。
・・・私たちが以前暮らしていた場所は、此処だったということを思い出す。



すずかけの木の実を、見つけて喜ぶ娘は、あっちにもこっちにもある実を拾い集めている。

彼女が集めるその実は、はるか昔の記憶と、はるか未来永劫まで伝えなければならないことによってつくられている。
彼女によって拾い集められたという出来事は、その実にとってのほんの偶然。
でもきっと、この偶然は、その実の中の何処かが待ち望んでいたはずの一つであって、次の瞬間には、記憶となって、その実の中の遺伝子の一部に書き加えられるのだろう。

そうやって、つくられるもの。
それを自然と呼ばなければならないと私は思う。



私が住んでいる場所・・・・。

私たちが日常的に使っている「住所」というものは、自然という観点を全く含んではいない。
勿論、現代に暮らす私たちが、その便利さや必要性を全て否定することはできないが、住所によって私の暮らす場所に郵便物は届けられたとしても、住所からは、その街の気候や地形、そこに生息する植物の種類を知ることはできないということを、私たちは忘れてはいけない。

私たちの誰もが、すずかけの実の持つ自然さと同じものをその内側に持っているにも関わらず、住所という効率化の手段を、無条件に受け入れることによって、自分たちが緑色のフィールドに暮らすものたちであることの意識が薄れ、其処に暮らす権利をも放棄しようとしている。



そもそも、植物の葉の緑らしさは、他の何物によっても感じられない緑と感じるように私たちはつくられている。

どんなに科学が進化しても、植物の葉の緑らしさと同じ緑色を、私たちがつくり出すことはできないだろう。
それがどうしてなのかはわからない。
しかし、そこには確実に「心動く何か」がある。
私は、その「心動く何か」が訪れる瞬間を逃したくないと思い続けている。
現代という時代に生きる私たちが、私たちもまた自然の一部であるということに気付く瞬間はとても少ない。
少ないからこそ、その瞬間を少しでも多くの人々が共有し、少しでも長くそれを持続させられる場づくりを私たち共通の目的としなければならないと思う。



私たちは長い間、いかなる他の存在にも依拠せずに自立して存在するべきだという幻想を抱いてきた。

それは、自分たちが暮らす場所に対しても変わらない。
自立して生きる為には、緑色のフィールドを支配する力が必要だと思い続けてきたのだ。
そうした幻想は、自然ばかりか、文化や歴史といった目には見えない関係性も含め、全て破壊する。

このような幻想を断ち切る為に・・・。
場所との関係性を築く為に・・・。

私たちは、場所との関係性を生きる植物という存在から多くを学ばなければならない。
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植物はまさに、場所との関係性によってのみ生きている。
土地に根を張り、自らは動くことができない、植物にとって、その場所が如何にして持続するかが=自己生命の持続に繋がる。
その特徴は、「次に託す・・」、あるいは、「他の存在に委ねる」といった、人間が抱き続けてきた幻想の逆にある。
植物の場所に生きる関係性は、自らが循環を促す一員となることによって築かれる。



私たちは、今すぐにでも、自分が暮らす場所に根を張る植物に一歩近づいてみることができる。

それが、場所に対しての関係性を生きるということへの最初の一歩となり、循環の一員に加わる意思表示でもある。
私たちは全て、緑色のフィールドに生きる権利を持つ者として、壊れかけた関係性を復元しながら、人間の生活のあり方を再発見し、持続可能な地域に転換する、あらゆる可能性を探り始める。
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by cafe_mazekoze | 2011-06-24 09:18 | RIKI-TRIBAL | Comments(1)

痛みや苦しみ 

このところ私に起こっている症状についての原因は未だ不明。
いくつかの病院を行き来し、総合病院への紹介状が出て、組織細胞検査?なるものに進んだものの未だ結果は判明せず…、原因が特定できていないのでいまのところ治療は難しいとのこと。
とはいえ、痛みはずっと続いたままなので、それをなんとかごまかす…あるいはそれを忘れられるようなことをしていないと気持ちがすさんでくる。口の内部と喉が火傷に似た状態でもあるので、食べるにも飲むにも痛みが伴うものの蕎麦だけは痛みも感じずに食べることができるのでこのところは蕎麦で生きている感じ。
幸い、熱があるわけでもなく、動くことができないわけではないし話しもできる。
「病気だと聞いたけど別になんともないじゃない」…とか言われたりもして…。
あらためて「痛み」は目には見えないものであることに気付かされます。

皆様から、いろいろなアドバイスやご心配を頂きありがたく思っています。
ご迷惑をおかけしている方、ほんとうにごめんなさい。

生まれてからこのかた、これといった病気にかかることもなく極めて健康、体力も腕力も人並み以上…の自分。おそらくそんな自分への過信、きっとそのあたりに何らかの原因があるのでしょう。
そんな自分について反省しすぐに改めたいという思いはあるものの、何をどう改めれば良いのやら…。
変われない自分にうんざりなのは今に始まったことじゃ無いけれど、なかなか改善しない症状に、焦ってもしかた無い…とは思いつつ、いったいどうなってるんだ自分…と、煩悩にまみれた私の焦りは募る今日この頃です。

…というわけで、私の気は病んでいるのだと思います。
そんな時に自分の足が向くのは「山」。
最近のパワースポットブームで山の中の一点に人気は集中してはいるようですが、何はともあれ、山には気が満ちている…ということは確かですし、山から何かを感じ取って頂けるのならブームであろうがなんだろうがかまわないと私は思います。
気がつけば、先週から今週にかけては何度も善光寺門前町と山の中を行ったり来たりしていました。
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私の父と母、その父と母そのまた父と母…は長野市近郊の山村に生まれ育った人々です。私の先祖にあたる人々がいつ頃からなぜ山に暮らし始めたのかはわかりません。
私はそんな山村と善光寺門前町の境界線上にあるような町…戸隠山や飯綱山を源にする川の流れが最後のカーブをつくり善光寺盆地へとそそぎ込むそのあたり…川の流れの音が片時も途切れることなく聞こえるあたりで生まれ育ちました。
今もたくさんの親戚や友人は善光寺門前町の周辺に広がる山の中で暮らしています。

幼少の記憶の大半は山の記憶。
私の中にある遺伝子はそんな山の記憶で満たされているのだと思います。
山に出かけて気持ちが満たされるのは、遺伝子のプールに蓄えられた山の記憶と私が感じる山の気配が振動し響きあっているからこそ。
おそらく、遺伝子レベルでの体内振動を自然治癒力と呼ぶのだと思います。

山は豊かな恵みをももたらすその一方で、河川の洪水や土砂崩れによって一瞬にして全てを奪い去ることもあります。こうした土地に暮らし続ける人々の中に、山の自然への畏敬の念が生まれるのは当然のことだと思います。
山村に点在するどの集落にも必ず神社が祀られ、はるか昔からそして今も山の神々と共に山の暮らしは営まれています。

とはいえ、町の暮らしは便利さ快適さを増し、それに比較すると山の暮らしは不便だと言われるようになってから随分と時は経ちました。
山に暮らす多くの人々が百姓から農家へ、専業農家から兼業農家と移行してゆく流れは、善光寺門前町界隈の賑わいが徐々に長野駅周辺へと移り変わってゆく長野市街地の変化に比例して進行してきました。
町に暮らす人々の暮らしと、周辺の山村の暮らしが一体となって繋がりあっていた時代、それが、善光寺門前町の賑わいの姿であったことは間違いありません。
そしてそれこそがこの地域でしか成立し得ない「循環型の社会体系」そのものであったと思います。
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東北大震災という惨事は、私の遺伝子の奥底にある何らかを揺り動かしていると感じています。でもその「奥底にある何か」とは何なのか…。
正直なところ、私にはそれがまだわかっていない。
原子力エネルギー利用はすべきでは無い…。
でも、どんなに核の歪みや原子力エネルギー利用の歪を知ってみても、どんなに自然エネルギーへの転換が叫ばれても、私の中の遺伝子は、そうした知識や転換ビジョンぐらいでは振動しないことを感じます。
感覚として何かを感じてはいるものの、それを実感できないまま、あともうちょっと…でも掴めない…とどきそうでとどかないという焦りにも似た気持ちを抱いたまま、震災から100日目を迎えました。
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善光寺での100日法要に娘と参加した翌日、東北大震災から101日目。戸隠の古民家に移り住む友人宅の地鎮祭にお邪魔しました。
この集落は戸隠地区にあるのですが、戸隠山では無く飯綱山に降り注いだ雨の恩恵を受けて農耕が営まれてきた集落。その昔、そこからもう少し下った場所にある集落に暮らしていた人々が開拓し築いたのだそうです。
飯綱山南面から西面に降り注いだ雨は、戸隠連峰の最高峰、高妻山(標高 2,353m)に源を発する裾花川へと集まり、その流れは善光寺平を経て犀川、千曲川へ。その後もいくつもの流れは合流しつつ信濃川となり日本海に注ぎ込みます。信濃川水系の流域面積は11,900 km2、関東平野を流れる利根川、北海道の石狩川についで3番目。

森に暮らすことを決意しこの地に生き続けてきた人々の歴史…。
そこには常に自然との対話を繰り返しながら、自分たちが死んだ後のはるか未来を想像しつつ、自然と一体となろうとした人々の姿…生き様を感じることができます。
この風景の美しさを前にすると、私の遺伝子の奥底にある何らかが揺り動かされることを感じます。

この美しさをどうやって次の人に伝えようか…。
この季節の山々、そして山村の風景はほんとうに美しい。
この美しさは、自然と人々が共に紡ぎ出した美しさ。
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かつて森を開き、村をつくり、自然を敬いつつ、自然との対話を絶やさず山の暮らしを続けてきた人々の苦労は、私の想像をはるかに超えるものだったはずです。
そうした人々が便利さを求めていなかったとは思えないものの、長い年月をかけてつくられてきた山村の風景を見ていると、そこにある便利さは私たちが生きる現代の便利さとは何かが決定的に違うと思えてくるのです。
山の暮らしを選んだ人々は「便利さ」「快適さ」をどのように捉えていたのだろうか…と思います。
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「無痛文明」の著者、生命学者・哲学者である森岡正博氏は、あるエッセイの中で現代社会でもある「無痛文明」を以下のように語っています。

「文明が進歩することによって、何か大切なものを置き忘れてきてしまった、というような牧歌的な次元は終わり、文明は、私たちに「快楽」と「快適さ」を惜しみなく与え、それと引き替えに、私たちから「生きることの深いよろこび」とでも言うべきものをシステマティックに奪い去ろうとしているのではないか、というふうに私には感じられるのである。そして、私たちは、その事実から目をそらすための仕組みを、社会に中に張り巡らせて、私たちがみずからの「空虚」に気づかなくて済むようにしているのである。」
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森岡氏が「無痛文明」と呼ぶ現代社会とは、私たちの身の回りから「苦しみ」や「つらさ」が次々と消去されていくようなシステムであり、目には見えないこのシステムが社会全体をすっぽりと覆いつくし、いまなお、積極的にこのシステムを増殖させ進化させ続けている…そして何よりも、ほかならぬ現代社会に生きる私たち一人ひとりが、このようなシステムを裏側からしっかりと支えてしまっているということなのです。

私たち誰しもが、人生のなかで、つらいことや苦しいことに、なるべく出会わないように願っています。苦しいことやつらいことになるべく出会わないで済むような社会をみんなで作り上げていくこと…そこにむかって皆が協力しつつ歩むこと。その方向・目的には何の間違いもなかったはずです。
しかし、便利さや快適さが日々向上し続け、モノに囲まれ、苦しみから遠ざかり、安定した生活を手に入れ、気持ちのよいことをたくさん経験できるようになったにも関わらず、なぜか心は満たされない…私たちは皆それを薄々感じてはいるものの、ただひたすら便利さ快適さを求め続けるしかないほどに無痛文明は巨大化してしまっているのかもしれません。
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私たち自身がここまで強大化させ続けてきた社会を根本から変えることは難しい。
難しけれどそれをしなければ私たちひとり一人の心にできた空虚さはやがて社会全体を覆う空虚さとなり、やがて疑問も問題も興味も感じない…生きているのか死んでいるのかもわからない…そんな社会がつくられてゆくような気がします。

もしもこの空虚さが覆い始めた社会の中で「生きることのよろこび」…、「生きているという実感が全身を駆け巡るような感覚」を回復させる手掛かりがあるとすれば、その鍵はきっと、「痛み」や「苦しみ」「辛さ」のような現代社会が排除しようとしてきたもの…その周辺にこそある気がしてなりません。

「痛みや」や「苦しみ」は何も病気や怪我だけに限りません。
社会の標準から見たときに「病」として見えるもの…。
なぜか私は幼いころからずっとそんな病的な何かに魅了されてきた気がします。
岩に登ることだけ…それだけを考えていた頃も、PlanterCottageをつくった頃も、善光寺門前に移り住んだ今も…。
この社会であえてArtを選択し、Artによって生き続けてゆこうとすることも社会標準からすればりっぱな「病」なのかもしれません。
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今現在、自分が抱えている「痛み」はもっと大きな痛みを抱えている人々に比べたら取るに足らない痛みなのかもしれないと思います。
でも、「痛み」を感じているのはその人自身であって、そもそも、他人の痛みを自分の痛みと比較することなど誰もできないはずなのです。
そう思ってみると、痛みに大小はありません…。
大切なことは、他人の痛みを自分の痛みに置き換えて判断するのではなく、他人が感じている痛みは何に繋がっているのかということ…その痛みの周辺にある目には見えない社会と同じ今を生きていることを思えば、人の痛みを知る…ということは、実体のない、目には見えない社会を見ようとすることでもあるような気がします。
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町の暮らしは便利で快適です。
山に暮らしてきた人々が便利で快適な町に憧れ、山の暮らしを便利で快適にしようとすることを私たちは誰も否定できません。


山はほんとうに美しい。
この美しさをどうやって伝えようか。


小池マサヒサ 記
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by cafe_mazekoze | 2011-06-23 11:44 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)

自然

善光寺門前の表参道は北国街道でもあたったことから、この一帯は門前町であると同時に宿場町の役割も兼ねた町…善光寺町とも呼ばれ、この善光寺町が現在の長野市へと至っている。


このまま東京で暮らすのか、それとも…。

超強力な東京という引力圏から外に飛び出すには、娘の小学校入学という超強力なエンジンを使わせてもらうしかない…タイミングはたった一回だけ。

私たち家族が長く暮らした東京から自分の生まれ故郷の長野へ半ば強引に引っ越すことを決意し…とは言っても、18歳で東京に行ったままだった私にとっての長野は、地図上の長野市よりずっと狭く限られた範囲。
そんな長野で暮らせそうだな…と思える場所となると、その範囲はちょうど自分の通った中学校の通学区程度の範囲とほぼ同じぐらいまで狭まってしまった。
結果、かつて善光寺町と呼ばれた町の片隅に暮らすことに決めたことで、ある意味必然的に、私たちと善光寺門前町との関わりは始まった。


昭和30年~40年初頭頃をピークとした善光寺門前町の賑わいは徐々に長野駅方向に向かって移行する。
中心市街地が駅周辺に向かって移行していった町は長野市に限ったことではないが、善光寺という地域の歴史文化遺産拠点から長野駅という交通・物流の拠点に向かって市街地の中心が移行することは、社会の近代化の方向性からしても必然であったと思う。
ただ、この必然は善光寺がこの地に置かれた1300余年前から続いてきた善光寺を中心とした町の歴史からすれば、これまでにはなかった大きな一大方向転換であったと思う。
そんな中心市街地、門前町では以前から…つい最近まで賑やかだと思っていた長野駅前でさえ、既にたくさんの空き店舗が目立つようになった。
買い物客は中心市街地から郊外へと向かって拡散し、中心市街地としての役割は年々曖昧さを増すと同様に、長野市は今後いったいどこに向かって歩もうとしているのかは全くわからない。

いわゆる中心市街地の衰退ぶりは今に始まったことではない。
自分が小学校に通っていた頃だから、既に30年以上も前には、中心市街地の空洞化問題は「ドーナツ化現象」と呼ばれて日常的によく聞かれるフレーズだったし、門前町からほど近い山間地の人口は減り続け、山村の小学校へ通う子供の数も減る一方だったことは子供だって知っていた。

中心市街地の衰退化と市街地の郊外化、中山間地の人口減少に伴う高齢化…、
こうした「今」はどれも30年以上前に始まっていたこと。
ほんの少しだけでも全体を見渡しこの町の未来を想像していれば、30年後の今はもう少し違っていたかもしれない…。
とはいえあれから30年。
中心市街地には巨費を投じた建物がつくられ、町並みは大きく変わった。
それなのに、中心市街地の衰退化は依然として問題視され続けたまま…。
中山間地の人口減少化や高齢化問題はさらに深刻さを増し、市内いたるところの商店街は疲弊し続けてしまっている。
町の活性化とはいったい何をして活性化と言うのだろうか。

これが経済。
経済が成長し続けるとはこういうこと…。
自分はそう理解している。


ここ最近、門前町はことさら元気をとり戻しつつある…といった感がある。
かつて、中心市街地の中でも特に中心であった善光寺門前町の賑わいが衰退して久しい中、新しいお店ができたり、町のそこかしこで賑わいが創出されたり、新しい住民が町に加わることは喜ばしいことだと思う。
…とはいえ、私たちが暮らす長門町(ながとちょう)の小学生はたった一人…我が家の娘だけ。今年から町の育成会は私が引き受けることになった。
門前町で暮らすという現実の中で、「何ともなぁ…」と思うことは多々あるけれど、光と影が交錯するような「今ここ」を感じながら、自分が次に向かうべきトコロを予感させてくれるのもまた善光寺門前町ならではの魅力だと思う。

かつて、善光寺門前町は長野市の中心だった。それは、長野市がいまよりもずっと小さかった頃、買い物をするにも映画を観るにも全てが此処にしかなかった時代。
門前町にはここにしかない、たくさんの便利さがあった。
やがて、今ある便利さよりさらに便利な便利さを求める人々は増え、便利さへの欲求は加速し、そして善光寺門前町は便利では無くなったのだと思う。


祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。


善光寺門前町はまさに「諸行無常」



現在の長野市が善光寺門前町の発展した町であることを思えば、この町が何を芯として共同体を築いてきたのか、どの方向に進むべきなのか、町とは何であるのか…について、善光寺門前町のそこかしこに感じることができるはずだ。
そう考えれば、善光寺門前町は既に門前に暮らす人々のためだけにあるのではない。


善光寺の周囲には何層にも重なる山々があり、その山々には山の人々の暮らしがある。
そうした山々を背景として善光寺が置かれその門前に町ができ人々の暮らしがある。

現代に暮らす私たちの視点はどうしても、国宝指定建造物である善光寺本堂を擁する善光寺、もしくは善光寺に極めて近い門前町にだけ気が向きがちだけれど、
そもそも、善光寺とは何なのか…人々は、何を求めて日本各地津々浦々からはるばるこんな山国の奥深くにある善光寺を訪れていたのかを考えてみれば、そこには日本人が持ち続けてきた死生観が深く関係していることに気付く。
もちろん、日本人が全てが同じ宗教を信仰していたわけではないし、同じ死生観を持っていたわけではないだろう。ただ、ほんの少し前までの日本人の大半が、土を耕しながら、日々自然と向き合って生きていた人々であったことを思えば、「人は死ねと土となって自然に還る」という死生観はごくあたりまえの捉え方であったのは間違いないと思う。
こんな自分でさえ…、土を耕してもいないし自然とはたまに関わるだけの暮らしをしている自分でさえも、「死んで土に還る」という表現に何の違和感も感じないのは、土を耕し自然と向き合いながら暮らしていた人々と同じ土の上、同じ時間軸の延長線上に生きているからに違いない。

そうした死生観を考えつつ、もう一度、善光寺とは何なのかを考えてみれば、善光寺の周囲にあるもの…善光寺のまわりの山々やそこから通じる川の流れや門前の暮らしも、これら全てが一体の「自然」であって、この自然そのものが善光寺として立ちあがってくような気がしてくる。

善光寺はもちろん善光寺をとりまく全体性、それこそが「自然」であり、私たちはその自然の中に生きている…「人は死ぬと土となって自然に還る」とは、「人も死ねば自然になれる」ということでもある。
それが成仏であり、極楽浄土とは自然の姿そのものであると善光寺は伝えているのだと私は思っている。

建造物としての善光寺、場としての善光寺はこの全体性を感じる為の中心点、視点、あるいは装置のようなもの。人々は善光寺を参拝することを通じて自分たちが生きているこの世の時間の尺度とは違う時間尺度、この世の範疇をはるかに越えた物事の捉え方、誰しもがやがて向かう「自然」という世界観を現生において体現し、自然との一体感を…、この世の全体性を感じようとしていたのだと思う。
それはまさに究極の持続可能性=sustainabilityの学びの場。
長い歴史の中、人間もまた自然なのだという意識の育みは続いてきたのだ。


環境を守る…あるいは自然を守る…という意識を持つことは大切なことだと思う。
けれど、自然と人間を別のものとして、自然は私たち人間の外側にある状態…という捉え方をしている限り、本当の意味で自然を守ることはできないと私は思っている。
そもそも私たち人間は自然と一体であらねばこの世を生きてゆけないのだ。
自然も人間も同じ生き物。同じ世界を生きている…同じ世界をつくっている。
命あるものはもちろん、土や石や水のような生命が宿っていないものも全て含めて、同じ世界を生きている…。
私たちは「今」そうした全体性こそが自然であると感じなければならないのではないだろうか。


善光寺はそうした意味からして「今」最も大切な役割を担うことができると私は感じている。
だからと言って善光寺への信仰心を持てと言うつもりはまったく無い。
信仰する心とは、強制されるものでも義務でもなく自然でなければならない。
けれど、善光寺に流れる全体性…空間性(周囲の山や川や人々の暮らし…)、時間性(伝説の領域も含めた歴史の流れ)を感じようとしなければ、単純にもったいないと思うだけのことだ。


私たちは「自分」という意識を持って生きている。
自分がある限り、想像は無限、想像は永遠に自由だ。
でも、この自分という意識を持っているせいで、生まれたまま…自然のままに…あるがままに生きてゆくことはとても難しい。
生きてゆく過程で、自分の中に沸き起こる欲望は、自分と他人を比較したり羨んだり恨んだり傷ついたり苦しんだりさせる。
こうした欲望が自分の中に生じることも、生きてゆく上での自然と捉えることもできるのかもしれないけれど、自分が自分であることに打ち拉がれた時、あるがままの自然によって助けられ気付かされることはとても多い。


私たちは全て皆、自然の中に生まれ、自然の中に生き、そして自然に還る。

善光寺門前町の背後には今も自然が満ち溢れている。


小池マサヒサ記
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by cafe_mazekoze | 2011-06-16 10:31 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)

山の匂い

このままじゃどうしようもない…という無力感に覆われ、何かに押しつぶされそうで、それを必死に払いのけようとする時、そんな自分のずっとずっと奥底にほんの僅かながら煙が出始めているような感覚がある。
それは、火起こし棒を擦って火種をつくる時に似て、煙が出始めたこの瞬間からのほんのしばらくが最も辛く、でも火を起こすためには最も大切な瞬間であることに似ている気がする。
もう少し、もう少しだけ我慢すれば煙の根元に火種ができる。
そうしたら、火が産むことができる。


“今”そして“ここ”は間違いなく大切だけれど、今・ここに何を感じ、そして何処に向かうのかを想像することはそれよりも、もっとずっと大切だ。
かつての私たちが今・ここを生きながら、向かおうとしていたその場所に、今、私たちは立っているのだろうか。

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もう何回目になっただろうか。縁があったら長野に移り住もうと思う…という友人の暮らす場所を探しに山に向かった。
彼らはもちろん、彼らにつきあいながら一緒に場所を探している自分も、“今・ここ” を見つめながら…でも、そこに見ようとしている風景は、自分たちが向かおうとしているその先にある風景。
かつて先人達が、目の前に広がる森をわたる風を感じながら、木々をみつめながら、鳥たち行方を目で追いながら、自分たちが向かおうとしている未来を想像していたように。
生きる場所を決めるということはこういうことなのだろうと思う。
今ここに吹く風を肌で感じながら。初夏を感じながらこの場所の冬を、そしてそこに暮らす自分を想像する。


町の暮らしは快適だ。
あの頃と比べれば歩く人の数は少ないけれど、同級生のあの娘が暮らしていた家は無くなって、幅の広い道ができて、自動車の数は随分と減った気もする。あの頃、遠くの山の見晴らしはこんなに良かっただろうか。…空はこんなに広かっただろうか。
町はあの頃よりずっときれいになったような気がする。
でも、何か違う。


町の暮らしは快適だ。
今日の風向きはどっち、
今日の風は山の匂いがする。


小池マサヒサ 記

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by cafe_mazekoze | 2011-06-06 10:34 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)

RIKI-TRIBALなArt

長野市に暮らすようになって、カフェマゼコゼという場所を持ってからは、マゼコゼの小池さん、とかマゼコゼさんって呼ばれるようになってしまって、私たちの屋号…RIKI-TRIBAL(リキトライバル)は殆ど知られていない。
結果、小池さんていつもマゼコゼにいるんですか?とか、ほんとうは何する人なんですか?…って感じで、私が何者なのか知らない人は多いと思う。
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RIKI-TRIBAL的には、Cafeマゼコゼは 妻であるつねこさんの担当 、RIKI-TRIBAL的なArt担当が私・・小池マサヒサ。
…?        
まぁ、これでRIKI-TRIBALを知って欲しい。。。ってのはどだい無理な話し…。
でも正直
これじゃぁやばい!!…と思う今日この頃
  
昔も今も、東京に暮らしている時も長野で暮らし始めた今も、RIKI-TRIBALなArt活動?ってのを面倒臭がって伝えていない…伝わっていない。
ほんと…どうしたらいいのだろうか?…誰か教えてほしい…。
RIKI-TRIBAL WEB
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               2002年のPlanterCottage外観

RIKI-TRIBALという屋号で活動を始めたのが1999年3月。東京の国立市にPlanterCottageという場づくりを始めた時と同時なので、RIKI-TRIBALとしての活動は13年目。 
 PlanterCottageBlog
できること・していることは昔も今も変わらず…変われず? RIKI-TRIBALは、Sustainabilityをテーマに「場をづくり」を行っています。
Sustainability…持続可能性は、循環が連鎖する状態…ぐるぐる周りめぐって元に戻る…みたいな感じ。
テーマは実に素晴らしいと思うのですが、現実は、日々のあれこれに追われて眼がぐるぐるまわっちゃって、なかなか前に進めない…という矛盾を抱えているのがRIKI-TRIBAL。

本屋さんや美容室や飲み屋さんや花屋さんやカフェや○○さん宅をつくったり、大工さんになったり左官屋さんになったり水道屋さんになったり、看板や椅子やテーブルや棚や照明や薪ストーブをつくったり、子供と一緒にキャンプしたり、絵を描いたり工作したり、山に木を切りにいったり、薪を割ったり火を焚いたり…。
まぁ、RIKI-TRIBAL的にあれやこれや色々やってます…ってのが本当なんだけど、そんなあれやこれやを、とにかくみ~んな知ってもらうしかないんだろうなぁ…って思います。
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                   文京区O邸鉄鍛造門扉
私がつくる時、多く使う素材は鉄、木、土。特に鉄は鍛造(鍛冶屋仕事)という手法を用いることが多くて、この写真にあるような大きなものをつくるのは時間もかかるし体力的にも結構大変。

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                   下北沢雑貨屋DJENNE
アフリカに魅せられた女の子が始めたアクセサリー屋(既に閉店しました)砂漠の遊牧民のテントをイメージし天井には海に流れ着いた大量の流木を使っています。

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              代々木上原の古本屋Lospapelotes
人気の古本屋さん。Art本や絵本もたくさんあります。自分的にこのデザインは結構お気に入り。小田急線代々木上原下車1分です。

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               国立市の茶道具屋 茶室 虚空庵
残念ながら既に閉店してしまったけれど、自分的にはかなり入り込んでつくった茶道具屋さん。けれど・・・
う~ん、やはり閉店は店舗の宿命か…と考えさせられます。

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            国立市 A邸のベランダ 空き缶積み+左官
オルタナティブ工法?空き缶積み。 空き缶積みは大きな強度が得られることは研究で実証されています。
それに+左官で自然で自由なラインがつくれるので、私的にはお気に入りの手法です。

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                  横浜市 H邸 アジアンなキッチン
ネパールに何度も旅行に行っているという夫妻の住む家の、洞窟のようなキッチン。

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                 日野市 自然食料品店 自然甲斐

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                 川崎市 M邸 洗面台

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              吉祥寺 美容室Laugh tab floor
東京武蔵野吉祥寺の、路地裏にある美容室。鉄と土を大量に使い、暗めの照明の店内は美容室というよりはバーな感じ。かっこいい!です。

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                岩手県葛巻町 森と風のがっこう
岩手県葛巻町の山村の廃校となった学校をつかって続けられている場づくり。
今年から開催される循環の森づくりでは私も講師としてワークショップを行います。

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                  RIKI-TRIBAL 代表


…ということで、コンポストトイレについてのあれこれも、RIKI-TRIBAL的なArtな仕事についてのお話しです。

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Q:なぜコンポストトイレなの?って聞かれて、
A:興味があったから…と答えてしまえば、
やっぱり小池さんてちょっと変わってますね。で終わってしまうかもしれません。
だから、今回はちょびっとだけ社会背景も交えながら、自分の浅はかな知識をひけらかしてしまおうと思います。


Ecological sanitation…エコロジカル・サニテーションって聞いたことはありますか?
Ecological sanitationは文字にするとちょっと長いので、Ecosan とか Eco-san(エコサン)と書いたり言うことがほとんどです。
これを簡単に言ってしまえば、「生態系を考慮した衛生のしくみ」
もう少し詳しく言うと、
「人や動物の排泄物を、水を使わずに汚染や病気を防止・安全なものに変化させ、農作物の育成に利用する方法」
ようするに、“うンコとおシッコを肥料にしちゃえ!”っていうしくみ…と覚えても間違いじゃありません。
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うンコもおシッコも資源として活用すればゴミじゃなくなる…という循環のしくみそのものがEcological sanitation(Ecosan) 
“Composting toilet”はEcological sanitationを具体化する装置です。
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ほんの少し前までの日本には、排泄物(うンコやオしッこ)を廃棄物としてでなく資源として扱い、その中に含まれる栄養素を再利用するしくみが暮らしの中のあたりまえとしてありました。
江戸時代の中期にはし尿のリサイクルシステムが完成し、し尿の買い取りのしくみがつくられていたようです。
江戸時代からSustainability(持続可能性)を学ぶ…は今や常識になりつつあります。

昭和に入り工業発展が国の政策として重視されるようになると、次第に農村から都市に人口が集中し始め、し尿の供給はだぶつき始めます。
都市部ではし尿の浄化が必要になりますが、その殆どは海洋投入処分をせざるを得ない状況になります。そして戦後…昭和20年代半ばになると食料不足から化学肥料が大量に利用されるようになり、し尿の需要は更に低下します。
これにさらに拍車をかけたのが、GHQの指導で昭和25年に作成された、「し尿の直接農地散布禁止令」でした。結果、町中にし尿が溢れ、あらゆるところに不法投棄され始めたことで伝染病が大流行。
都市部には下水道の整備と共に超大規模なし尿浄化槽が造られ、発生するし尿の処理が始まり現在に至っています。ちなみに2010年の日本の下水道普及率は73.7%、長野県は78.5%、長野市は84.7%、東京都は99.2%だそうです。
http://www.jswa.jp/suisuiland/3-3.html

Ecosanの取り組みが積極的に行われているのは、先進国側から発展途上国と呼ばれている国々がほとんどです。
でもしかし、こうした国々こそEcosanでは先進国なのです。
ようするに、下水道が普及率が高い国々、都市ほど、エコロジカルサニテーションへの注目度、必要性は低くなるということ。
Sustainability(持続可能性)のリアリティーはEcosanのリアリティーに比例します。
超がつくほどの巨額を投じて建設され維持管理される下水道や汚水処理場が整備されたにも関わらず、下水道を使わない…トイレも水洗化しない…なんて人は、間違いなく変わり者…あきらかにマイノリティーです。
でも、そんなマイノリティーな人々がみんな社会に迷惑をかけている…かけてしまうとは限りません。
でもしかし…そうとは言っても、今の日本の状況を考えれば下水道や下水処理施設型からEcosanに切り替えることはできないでしょう。
だからこそEcosanには大きな可能性がある…もっとたくさんの人がEcosanを知って、そしてEcosanを経験してみてほしいと思います。
それは、私たちが矛盾を抱え込まないための大切な一歩なのです。
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言うまでもなく、3.11の被害はあまりに甚大、深刻ですが、電気、ガス、水道といったインフラ=infrastructureの損傷は想像以上に大きく、完全復旧にはまだまだ時間がかかりそうな状況のようです。
各地で上水道が破壊され、水道からの飲料水確保は難しくなっていますが、それ以上に、下水道と下水処理施設の損傷の影響はかなり深刻。上水にくらべ下水は目に見えづらいので気がつきにくいのですが、汚水の処理ができなくなるということは、汚れた水や排泄物の行き場所が無いということ、簡易トイレに溜まった排泄物を収集しても処理することもできなくなってしまうのです。
2011年4月1日の国土交通省の発表によると、岩手県、宮城県、福島県にある下水処理施設147カ所のうち設備損傷が47カ所、稼動停止中の施設が21カ所という状況。復旧には2年から3年かかると見込まれているそうです。
下水処理施設の被害が大きかった理由は、排水施設はどうしても標高の低い場所に作る必要があるため、当然津波の被害も受けやすいから。
東北地方の中でも、下水道が整備され、超大規模なし尿浄化槽による下水処理システムの普及率が高い都市部ほど、事態は深刻です。
こうした現実も、超巨大インフラに頼らざるを得ない私たちの暮らしそのものが抱えてしまった矛盾なのかもしれないと思います。
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私の感性をビリビリ刺激してやまない、故フンデルトヴァッサー氏がデザインした、大阪舞洲スラッジセンター。
当初の計画からかなりの変更を余儀なくされたようですが、それでもフンデルトヴァッサーが下水処理場をデザインしたのか?についてもっと日本人に知って欲しい・・・。
下水処理場には汚水を処理する『水処理施設』と、汚水を処理した後に残る汚泥を処理する『汚泥処理施設』がありますが、この舞洲スラッジセンターは『汚泥処理施設』です。



自然界では動物の排泄物は、植物の栄養素を供給し土壌の状態を良く保つという本質的な役割を持っています。
自然界における動物にはもちろん人間も含まれます。


人間の排泄物中の植物栄養素のほとんどは尿中に発見されているそうです。
成人一人当たり年間で約400 L の尿を排出し、それには4.0kgの窒素、0.4kgのリン、0.9kgのカリウムが含まれている。しかもこれらの栄養素は植物に吸収されやすい理想的な状態…窒素は尿素の形で、リンは過ジン酸塩の形で、カリウムはイオンの形でで存在するしていて、尿中の栄養素のバランスは化学肥料のバランスと比べても十分に適しているということです。

あぁ…もったいない、もったいない。



Q:ではなぜ?これが使われず下水道に流されてしまうのでしょうか?

答えはRIKI-TRIBALまでどうぞ。   


小池マサヒサ 記
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by cafe_mazekoze | 2011-06-04 10:18 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)

抱えた矛盾

Cafe MAZEKOZEを運営している私たち…RIKI-TRIBALは、
黒姫高原の麓にある旧開拓農家での暮らしの場づくり…「はらっぱのーと」のお手伝いを始めています。
先週末は台風の影響であいにくの空模様でしたが、日曜日はその「はらっぱのーと」のお披露目?を兼ねた集まりもありました。
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「はらっぱのーと」の場づくりのお手伝いではまず第一にトイレづくり。
いわゆる“ぼっとん式トイレ” を “コンポストトイレ(バイオトイレ)”につくり替えます。
コンポストトイレ…Composting toilet は、今を生きる私たちが忘れがちな「大切な何か」を感じ、気づくためにとても有効なものだとずっと思ってきました。
ですから、先の3.11があったからというわけではありませんが、3.11やその時から始まっている様々がさらにその気持ちを後押ししていることは確かだと思います。

これから少しづつコンポストトイレやその周辺のことについて私(小池マサ)なりにお話ししてみたいと思います。
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3.11によって、社会が抱えた矛盾が見えてしまいました。
抑え込んでいた矛盾を抑えきれなくなった…、
その点からすれば、3.11以前と以後で大きな違いがあるような気もします。
安全・安心の前提が大きく揺らいでしまっているのも、そもそもそこに矛盾があったから…3.11によって安心・安全が抱えた矛盾を抑えきれなくなったのだと思います。
でも…、
矛盾は社会のみならず、人はそもそも矛盾を抱えながら生きているのだと思います。
…自慢なんかできませんが、私をたたけば矛盾と誇り埃しかでてきません…きっと。
もちろん矛盾は無いほうがいいわけで、矛盾を推奨する気もその必要もありませんが、
ただやみくもに、一方的に、“矛盾はあってはならないもの”とすることによって、矛盾は抱え込まれ、隠され、その結果、歪みとなって、さらに大きな大きな矛盾をつくり出してしまうのだと思います。

その解決策があるとすれば、それはきっと「抱え込まないこと」
3.11後のこれから。
「抱え込まなくていい」 そんなコミュニティーをつくりたい 心からそう思います。
安心や安全、便利さ、快適さ… 矛盾はどうもこのあたりに溜まりやすいということを多くの人々に気づかせたのが3.11なのかもしれません。
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何億年、何万年という時間軸上のほんの一瞬である「今」を生きている私たち。
この世の中の全ては例外なく「今・ここ」を共有し…関係しています。
そうした関係が集まってつくられる網の目の中に、「今」そして「ここ」もあるのだと思います。
この一瞬である「今・ここ」は、例えれば、薄い一枚の紙の厚みのようなもの。
紙一枚の厚みを目で測るのは容易ではありませんが紙が何枚も重なれば厚みも目で計れるように、「今・ここ」が積層した結果が歴史時間という厚みとなって私たちに見えてくる、把握できるようになるのだと思います。
そして、薄紙一枚である「今・ここ」、その薄紙一枚一枚のあいだ…そこにあるのが関係性。関係性は厚みがありませんし目にも見えませんからそんな関係性だけが幾ら積み重なっても同じこと。
でもそんな厚みも無い、目にも見えない、曖昧で捉えどころの無い、あるか無いかもはっきりしない…そんな関係性によって「今・ここ」は積み重なり、それはやがて歴史として語られるようになる気がします。

私の最大の興味はそんな関係性。
RIKI-TRIBALでは、この目には見えない関係性を実感する為の有効な方法として、Artに、そして、自分でつくること に注目してきました。
とは言え、Artならなんでも、自分でつくればどんなものでも、関係性を感じられるとは限りません。
あたりまえなことですが、やはり重要なことは、「どうやってArtするか?」「どのようにつくるのか?」
自らの感性の働きによる『気づき』がそこにはあるのかどうかということだと思います。

私はずっと美術家でありたいと思い続けてきましたし今もその気持ちに変わりはありません。美術家とは職業というよりは、自らの感性の働きによる『気づき』を他者に示す生き方のことだと思っています。
もちろん私は作品もつくりますが、それはあくまでも生き方が招いた結果。
食事をして消化吸収して最終的に排出され出てくるアレのようなものです。
こんな例えを持ち出すと、私の作品は買ってもらえなくなりそうですが、Art作品の本質ってそういうものだと思っています。排出されたものだからといってそれが全てゴミ…つかえないもの…という意味じゃないんですね。人がゴミだと思っているものも私にとっては宝だと思うものはいくらでもあります。
そう、ボロボロの空き家なんてのもそうかもしれないですね…。
この続きの話は長くなりそうですからまたにしようと思いますが、だからこそ、コンポストトイレ…Composting toilet は、私を魅了してしまうのです。

それが自らの感性の働きによる気付きなのかどうかを判断することすら難しい現代社会。
「気づき」に対して常に敏感でいることはとても難しいことだと思います。
目には見えないものを感じようとし続けることは「今・ここ」を捉え、積み重ね、そして歴史となる為にはとても大切なことだと思っています。

それでは、今回はここまで。  小池マサヒサ記

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The Humanure Handbook の2005年版 
これまでに全米だけでも40,000冊売れ、現在は10ヶ国語に翻訳されているようです。
日本語版はありません。初版がMAZEKOZEにあります。
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The Humanure Handbook is available in Hebrew(イスラエル語版)
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The Humanure Handbook is available in Korean(韓国語版)



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by cafe_mazekoze | 2011-06-02 09:03 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)