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何事のおはしますかを知らねども有難さにぞ涙こぼるる


『神社の人民に及ぼす感化力は、これを述べんとするに言語壮絶す。いわゆる
「何事のおはしますかを知らねども有難さにぞ涙こぼるる」ものなり。
似而非神職の説教などに待つことにあらず。
神道は宗教に違いなきも、言論理窟で人を説き伏せる教えにあらず。』


上の文章は、明治45年、明治政府による神社合祀に対し、南方熊楠が神社合祀反対運動への協力を求めて東京帝国大学農学部教授であった白井光太郎氏に宛てた書簡文中の一文

(現代語訳)
「神社の人民に及ぼす感化力は、これを述べようとすると言語が途絶する。いわゆる
「何事のおはしますかを知らねども有難さにぞ涙こぼるる」ものである。
えせ神職の説教などを待つことではない。
神道は宗教に違いないが、言論や理窟で人を説き伏せる教えではない。」

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宗教学者・中沢新一は南方熊楠コレクション「森の思想」(河出文庫)で、この南方熊楠の神社合祀に対する意見書の中のこの部分について次のように書いている。

「秘密儀の宗教は、表象を立てない。何か本質的なものが、自分の前に開かれてくることを、全身で体験するとき、人々は「何事のおはしますかを知らねども有難さにぞ涙こぼるる」ような、不思議な感覚につつまれるのだ。それは、言語による表現や解説によるのではなく、神社と神林のトポスがつくりだす、ナチュラルな神秘感だ。人の世界を越えた、畏敬すべき何かの力を感じ取る。このような自然感情が、日本人に謙虚さと落ちつきをあたえてきた。」

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私は神道とは何であるのかを語るほどに神道というものを理解できていない。
神道のみならず、仏教であっても残念ながら同じように答えざるを得ない…。

ただ、熊楠がしたためたこの意見書には、熊楠を通じた神道を知ることができると同時に、熊楠の信じた生き方、熊楠が感じていた生命をありありと感じとることができるような気がしてならない。
それは単に神道という宗教が持つ歴史性や神秘性を守る為だけの行為では無い。
それは熊楠が一生をかけて見ようとしたこの世の全体性…熊楠が見続けた生命そのものの現れであり、この世の全ての生命に対する畏敬の表現であると思うのだ。


そう思いながら、熊楠のこの書簡を読んでみる…。


熊楠は書簡の中で、伊勢神宮を訪れた西行法師が詠んだと伝えられている言葉を引用する。


「何事のおはしますかを知らねども有難さにぞ涙こぼるる」



…何がいらっしゃるのかは知らないが、有り難さに涙がこぼれる。



私の何処かで…、
私の感覚の奥底で同調し震えるものがあることを感じる。

いつか何処かでその感覚に私も包まれていたことがある。

それはいつ
それは何処だっただろうか…

私の感覚はそれを覚えている。


熊楠が生きた明治の国家は、記紀神話や延喜式神名帳に名のあるもの以外の神々を排滅することによって、神道を国民のアイデンティティーを形成するための精神的装置にしようというもくろみをもっていた。
日本国家はそのもくろみを、その後、太平洋戦争終結まで持ち続けることになる…。


私たちが生きる「いま」という時代が、熊楠が神社合祀に孤軍奮闘反対したそれ以前の状態に戻ったとは残念ながら思えない。
それどころか…
私たちは森の木々を伐採し、破壊しながら、便利さをという幻想を、ただひたすら追い求め続けている。



何か本質的なものが、自分の前に開かれてくることを、
全身で体験するときはあるだろうか。

人の世界を越えた、畏敬すべき何かの力を感じ取る場所はあるだろうか…。



この世に生きる私たちは本当は誰も皆

「何事のおはしますかを知らねども有難さにぞ涙こぼるる」

そんな不思議な感覚につつまれながら生きたいと願っている。

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by cafe_mazekoze | 2011-12-27 22:46 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)

振動

起こることがあらかじめわかっている病など無いのはわかってはいても、病という突然が自分に訪れることを素直に受け入れられるほどに自分は成長できてはいない。
時に強がってみたり、何のことはない…と平静を装って日常の生活を続けてはいるものの、頭の何処かで時折、歯車が噛み合わずにカタカタと音をたてて回っているような気がする。

あれから半年以上が過ぎた年の瀬をむかえた今、自分は病院のベットの上にいる。
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数日前からの右目に違和感を感じ眼科の検査をしたところ、医師から緊急の治療を必要とする「網膜中心静脈閉塞症」だと告げられた。
既に発症している病との因果関係はわからない。
またもやの突然で家族に負担をかけてしまうことはなんとも気がかりではあるけれど、放置すると失明に至る可能性が高い状態…と言われては、おとなしく言うことを聞くしか無い。
数日間は点滴と点眼治療が続く。
今はまだ右目はよく見えないまま…
病院のベットの上で今年を…いや、これまでの人生についてあれこれ反省?する絶好の機会が今年のクリスマスプレゼントということだ。

半年ほど前…口腔内に発症した症状についての病名を特定することに多くの時間を費やした。その後の治療方針を方向付ける為に、ようやくつきとめられた病名
「抗ラミニン332粘膜類天疱瘡」
難治難病ではあるが、国が難病と認定し治療費を公的に負担する天疱瘡と類似してはいるものの現在のところは国の難病指定疾患には入らない。
そう言われて難病指定疾患を調べてみれば、難病が細かく分類されてはいるものの、特定難病疾患に指定されるかどうかの基準そのものはよくわからない。
患者の立場からすれば、もちろん治療費はかからなければそれはそれでありがたいけれど、自分以上に辛そうな想いをしている人の病が指定を受けられないでいることは多々あるということだ…。

粘膜類天疱瘡は、自己免疫が体内の特定の抗体に対して誤作用してしまう自己免疫疾患…その根本的な原因は解明されていない。膠原病や癌と言われているものも広い意味からすれば皆、自己免疫疾患ということになる。
自分の場合の抗体はラミニン332と呼ばれるたんぱく質の一種。
生体接着剤とも呼ばれるラミニン332は皮膚細胞間の接着に対して非常に重要な役割を担っているそうだが、最近の研究によって胃癌や肺癌とも深く関係しているということが解明されてきたという。
ようするに、体の各所が必要とする細胞組織間の接着力が自己免疫のある種の暴走によって阻害されてしてしまっている…自分の場合はそれがまず口腔粘膜で発症…ラミニン332が自己免疫によって攻撃されることで、表皮と真皮を繋いでいた接着力が極端に低下してしまっているらしい。
人間の皮膚は、外部にさらされたいわゆる表皮とその内側の真皮から成る。口腔はもちろん、胃の中も肺の中も心臓も…すべてが粘膜によって被われつくられている。
その全てにラミニン332は少なからず関与しているそうで、類天疱瘡は、胃粘膜に対する合併症リスクや目の粘膜への合併症リスクが上がるのが特徴だということだ。
そんな大切な役割を担ってくれているラミニン332なのに、私の免疫はなぜかラミニン332だけを必要に攻撃してしまうのだ。
免疫の暴走を食い止める為には、自己免疫力を低下させる必要がある…けれど、ラミニン332への攻撃を止めるように…と免疫に命令を出すことは難しい。
となると、自己免疫全体を下げることでラミニン332への攻撃力も同時に低下させる…そうしている間に既にできてしまった傷口を塞ぐ…というのが、現在の医学の主流なのだ。
最も大きな問題は、それ以外の病や外部から侵入しようとする様々なウイルスに対する免疫力を全て低下させてしまうこと。いわゆる副作用。
例えば風邪…たかが風邪されど風邪。自己免疫疾患という病を抱えた人々にとって風邪は大敵だ。
それ以外にも薬を使う以上は副作用は必ずある…。
もちろん、漢方を始めとする東洋医学や様々な自然療法など、現代医学の主流である西洋医学以外の選択肢もあるだろう。そうした選択肢には副作用が無いのかどうか自分には答えられないが、ただ、突然訪れてしまった病を前にした時、様々な理由があるにせよ、少しでも早く病を遠ざけたいと願うのは人間として当然の姿だと思う…。もしも突然の病が訪れることを素直に受け入れられるほどに成長できているのならば、落ち着いてそうした選択をすべきだと私は思いたいけれど…。

子供の頃から健康だけが取り柄だと思って疑わなかった自分に突如降りかかった難病…。10万だか100万だか分の1…の確立…そんな確立はいますぐに宝くじ用に変えてほしい。
まぁ…既に自分を自動車に例えれば現在の自分の愛車と同じ…走行距離15万km突破したあたりか…。
そう思えば、これだけ酷使してきた身体…あちこちにガタがくるのも当然かもしれない。


物質としての身体は明らかに自分自身に属しているものの、こうして病を抱えてみてあらためて思うのは、自分の身体のことは何も知らなかった…知ろうとしてこなかった…ということ。
自分にとって最も身近な神秘性をほったらかしにしたまま、自分はいったい何を追い求めてきたのだろう…。
『身体』とは一体何なのだろうか。


自分にとってArtとは生き方に近い。
優れたArtを生み出したい…というよりも、できることであればArtによってこの生を生きたいと思う。
もちろん、自分がこうしてArtという生き方を選んだ以上、実存する姿・かたちを無視することはできないし、そうした姿やかたちはその先にあるもの…この世の深層へと到達するための手掛かりとしてとても大切なきっかけでもある以上、そのきっかけとして私が何を選択し何をつくるのかは極めて重要だ。
美術家は実存をつくり出すことによって、今と過去…今と未来を繋ぐ役割を担っている。それがつくり出せなければ美術家として生きる意味は無いのかもしれない。
しかし…そうは思いながらも、自分は目の前にあるもの…いま見ているものを信じてはいなかった…そこにあること…その事実をずっと疑い続けてきたような気がする。

そうしていま…自分がArtを…美術家という不可思議な生き方を選んでまで追い求めてきた『何か』にとって決定的に足りないもの、見落としているものがあるのではないかと思う。
私にそう思わせるのは、こうして次々と自分に降りかかる病であることは間違い無いが、私がこの先で何かに気付く為にいま病があるのだとすれば、この病は私にとって必要なArtの一端なのかもしれない。

これまで自分は物質としての身体に殆ど興味を示してこなかった…。
いや…興味を示さなかった…と言うよりはむしろ、健康すぎるほどの自分の身体に自惚れ過信していたと言った方が正しいかもしれない。
そんな自分がArtを選んでしまったこと…さらに、ある頃からArtマーケットという価値観や移動可能なArtに対する疑問を抱きはじめたことに比例して、身体のみならずこの世の物質性…実存そのものへの興味そのものが遠退いていったような気がする。
その代わり…その一方で身体の非物質性…あるいは精神性やこの世の神秘性へと自分の興味は急速に傾いていった。

物質は見えがかりでしかない…けれど身体を構成するはずのもう一方…その奥底にある、目には見えないものこそがArtの本質に繋がっているはずだと考えるようになっていた自分…。
そんな自分がClimbingへと没頭していった理由もそうしたことと深く関係している。
…Climbingという範囲内とはいえ、身体を酷使しつつ、生命をより身近に感じることによって深く精神性を追い求めようとしていたことも否定できない。ただし、そんな極端な方法はやがてClimbingができなくなるほどに身体に支障をきたすことになるのだが…。


今年…私たちは3.11といういまだかつて経験したことの無い大きな揺らぎを経験した。自分の身に突然とも言える病が発症したのはその直後のこと。
これを単なる偶然だと済ましてしまうこともできるかもしれないが、自分にはこれが単なる偶然だとは思えない。
だからと言ってその因果関係を探る気も無いけれど、この揺らぎに身をまかせることによって、この先で自分が何と繋がってゆくのかだけはしっかり感じたいと思っている。

自分は、この世に存在するもの全てはある種の波動…そのものだけが持つ振動を伴ないながら存在していると信じている。
私たち人間一人ひとり、森をつくる木や草も、石も、水も、空気も…細胞も原子や分子も…全ては常に振動しながら存在している。
それぞれの波動、それぞれのリズムで振動しつつ時に同調を繰り返す。
同調することによってそこに新しい関係性が生まれる…。
世界とはこうして常に変化し続ける生命体そのものだ。

わたしたちが今年経験した大きな揺らぎは、それぞれの波動・リズムをある意味強引に同調させたのかもしれない。
おそらくは、それまでならば同調しずらかったものや、同調するにはまだまだ時間必要であったものが一斉に同調してしまうような大きな揺らぎ…。

病棟ですれちがう人…。
お互い言葉をかけることはないけれど、そこにすれちがう相手の振動を感じる。
       

              2011年12月26日  小池マサヒサ 記

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by cafe_mazekoze | 2011-12-26 23:07 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)

『八坂塾inわくわく堂;Rocketstoveワークショップ』

長野県大町市八坂の「わくわく堂」にて
『八坂塾inわくわく堂;Rocketstoveワークショップを開催します。

先週から今週にかけて少々慌ただしかった為、
直前のお知らせになってしまったこと、お詫びいたします。
お時間、ご興味のある方のご参加をお待ちしております。
      WSファシリテーター : リキトライバル 小池マサヒサ

 『八坂塾inわくわく堂;Rocketstoveワークショップ』
◆日時:12月17(土)・18(日)
(午前10時集合)
11時半開始ー16時終了
◆場所:長野県大町市八坂11​143 わくわく堂
◆参加費:おひとり1500円 (定員20名)
◆持ってくる物:温かい格好 軍手 お弁当(汁ものは準備?します)
※わくわく堂に宿泊可能 素泊まり1000円 (寝袋持参でお願いします)
◆WSの内容
 一日目:●Rocketstoveとは何かについて(レクチャー&ディスカッション)
       …今私たちが暮らす世界と繋がる道具…Rocketstove
       ●一斗缶ロケットストーブをつくる。(実践)
       (一人一台、一斗缶ロケットストーブをつくります。)
 二日目:●Sustainableな暮らしを繋ぐもの(レクチャー&ディスカッション)
       …Natural Building …自然素材の可能性
       ●わくわく堂に設置するRocketstoveづくり(実践)

今回のワークショップでみなさんがわくわくして、また生きる知恵になることを願っています。みなさんのご参加お待ちしてます。
※ご参加のお問い合わせは、RIKI-TRIBAL 小池マサヒサ 090-8505-1280 まで。
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今回、ワークショップを開催する「わくわく堂」は、旧長野県長野県北安曇郡八坂村、現在は大町と合併した大町市八坂の山村に移り住んだ家族…遠藤家が暮らす住まいでもある古民家。
Blog由朋
2008年12月から古民家を借り、ご夫婦と娘さんの家族三人で暮らしている。
正直なところ、自他共に認めるボロ家屋好き…廃墟マニア?の自分が、ほんとうに大丈夫なの?と思ってしまった素敵な古民家に暮らす遠藤さん家族。家は築100年弱ほどだそうだから古民家とは言ってもそれほど古い家ではないが、萱ぶきづくりらしい立派なつくりだ。私的には博物館級の貴重な山の家だと思う。
この家を見るだけでも十分に価値がある…とはいえ…ぼろさ古さはさておき、夏はさぞや涼しいと思う…けど、冬はマイナス15度になるそうだ。

長野県内の山村の過疎化の第一の理由は「寒さ」と言っても過言では無いと思う。
かつて…その昔山には、寒さを耐え、冬を乗り越えるだけの十分な価値…それ以上の山からの恵み、山の恩恵があったのだと思う。
そうした恩恵をもたらしてくれる山に感謝しながら山と共に暮らしていた人々。
もちろん今だって山の恵みも恩恵もあるだろうけれど、山の生活にもたくさんの化石燃料やはるか遠くでつくられる電気が欠かせなくなった今…山での暮らしは山の恵みだけでは維持存続できなくなってしまったということなのだろう…。

そんな過疎化した山村そのもののような八坂に彼ら家族が移り住んだのは、ちょうど私たち家族が長野市に暮らし始めた年の直前の年末だったそうだ…。
当初は山村で暮らすつもりで東京から長野へと考えていた私たち家族だが、その後のいろいろな理由もあって、結果的として善光寺門前に暮らすことになったのも何かの縁だとは思う。けれど、今も私は山で暮らすというイメージを常に持ち続けている。
そこが山村であるか山中であるかの違いはあるだろうけれど、とにかく私は山懐に暮らしたい。

実は今回のRocketstoveワークショップは、準備らしい準備ができてはいない…と言ってしまうと、参加される方々にはもうしわけないのだが、「準備は十分にできないけれど、まぁとにかくやってみますか…」から開催することになった。
私が今回このWSをお引き受けすることにした理由は、この「八坂塾inわくわく堂」の主宰者である遠藤家族の八坂での暮らしに私なりに何か手伝えることがあるとすれば…という想いから。
私は今、長野県と新潟県の県境…黒姫高原での暮らし…「はらっぱのーと」という場づくりもお手伝いさせて頂いているが、こうした人々のとりくみこそが、時代の最先端のとりくみであると思っている。
そんな彼ら彼女らがイメージする未来づくりに私の経験が少しでも訳にたつことができればとても嬉しい。

言うまでも無いが、長野県に限らず日本中の中山間地、農山村は何処もかしこも過疎化の一途を辿っている。私の父母が生まれ育った山村やその周辺の村々の殆どすべてが高齢化し過疎化している。
そんな状況の中、数値的にみれば過疎化を覆すような変化にはならないにしろ、彼らのような私よりも一回り以上若い世代が…若い家族が山村を選択し始めているという事実こそがこの世の真実…未来へと繋がるリアリティーだと思う。

ご主人の遠藤由くんによると、山村に移り住みたい…という彼らのような若い世代が徐々に増えてきている…八坂にはけっこういますよ…とのこと。
なんとなく噂さは聞こえてきてはいるけれど、それは本当なのだろうか。
本当なのだとすれば、そんな山村での暮らしを選択する彼らは何を思って…、かつてここで暮らした人々がこぞって離れようとする山村にあえて移り住もうとしているのかというところへと私の興味は向いている。
父母も祖父母もそのまた祖父母も・…山村で暮らし続けてきたからには、私の遺伝子のどこかには確実に山村での暮らしによって築かれてきた何かが潜んでいると思う。
東京から長野に戻って…今は街中に暮らしてはいるものの、山に出かけた時には必ず体の奥底にうごめく何かを感じる。
これはいったい何なのだろう…。
かつて岩にしがみついていた時も…。山中に入り作品の素材となる材料をあれこれ探している時にも感じる何か。
あの匂い…あの気配は、嗅覚や視覚などの感覚器を越えた遺伝子の何処かの震えとと共に感じているような気がしてならない。
遠藤くんをはじめ、この時代に山村を選択する人々は何を山に感じているのだろう。
私の興味は彼らの遺伝子を揺らす何かへと向いている。
その入口となるものの一つが今はRocketstoveなのかもしれない。


マキ割、畑、田んぼ、囲炉裏作り、マキ風呂、冬の寒さはなんと-15度、仕事(現金収入)を作る、白炭焼き、静かさ、獣、夜の闇、月の明るさ…。
それまで神奈川県の街中で住んでた家族にとって、やることなすことが驚きと感動…今もその連続だという。
これが山の子、まさに自然児…という表現がピッタリ?な娘さんを見ていると、彼ら家族が八坂の自然と人に生きる知恵を教わりながら元気に生かされていることをありありと感じる。
そして現在、そんな彼らが暮らす古民家をコミュニティースペース、ゲストハウス、寺子屋として開放しながら、農を中心とした衣食住をみんなで考えながらこれからの暮らしをシェアしたいと願っているそうだ。


そんな彼らに私がシェアできるものがあるとすれば、それは、これまでの人生で私が感じてきた最も大きなリアリティー…。
それは「自分でつくることの喜び」しかない。

そこに暮らす彼らの代わりに私がつくってあげることはできない。
そこに暮らすと決意した人々にとっての最大の学び…いずれ最大の喜びへと進化するはずの、「自分でつくる機会」を私が奪うことはできない。
私にできること。それはつくることは喜びを、この場を共にする人々とシェアすることだと思う。

                     小池マサヒサ 記
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by cafe_mazekoze | 2011-12-16 11:18 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)

alternative

alternative…オルタナティブ
辞書を通じて訳を探すことは可能だけれど、自分の感覚として納得できるような訳を見つけることはできない。
「代案。代替物。即在の支配的なものに対する、もう一つのもの。特に、産業社会に対抗する人間と自然との共産型の社会を目指す生活様式・思想・運動など」とある…。
なるほど、間違っちゃいないと思う。でも何かが違う気もする…なにもそこまで反逆的なものではないような気もするが…。
alternativeという表現を良く耳にするのは音楽に関する用語において、または、サブカルチャーなるものを捉える意図で、オルタナティブカルチャーとしてalternativeが用いられる場合だろうか。
何はともあれ、これまで自分が選択する様々の近くに常にあり続けてきた何か…
それがalternativeであるような気がしている。


今年一年を振り返ることを強いられるようなこの時期は好きじゃない。
いつ頃からかこう思うようになってしまった。大人になった時から…ということか。
できることなら振り返ることなくこの時期をなんとなくやり過ごしたい…という、いい加減な性格は増すばかり。これがあれこれと歪みとなって自分にのしかかってくる…この歪でがんじがらめになってしまっている今日この頃。
生れてからこのかた、今年ほど強烈に歪を感じたことは無かった。
そう思いながら動けないほどの歪…これも自縄自縛なのか。
…だとしても、この自縄自縛から抜け出す術が見つからない。


もうだいぶ前になるけれど、この時期が好きじゃないのは、この国の今の時期だからじゃないか…って思いながら、12月のちょうど今頃から2カ月ほど海外に逃避していた数年間がある。
今思うとあの逃避は、大人になりきれないままの自分…これが世間とわかろうとしながらもどうにも折り合いが付けられない自縄自縛状態から抜け出すための名案だった。
少なくともその間だけは、Climbingしている間だけは解き放たれていたことは間違いない。
海外に…とは言っても芸能人がお正月にハワイに出かけるようなやつとはだいぶ違う…。
目的は岩山…Climbingするための海外逃避。

日本のこの時期は冬突入の真っ最中。
この時期に日本でClimbingできる岩山もあるにはあるけれどその数は多くはない。ましてやこの時期に山に出かけ、岩に登るからにはそれ相応の覚悟と根性がいる。冷えた岩はまるで氷のよう。
年間を通じて湿度の高い日本は、ある意味で湿度の下がる冬こそがClimbingのベストシーズン(クライミングシューズの靴底の摩擦係数が上がって…靴が滑らない…登りやすい)とも言えるのだが、冬であるからには当然のことながら寒い。寒さで体が思ったように動くには時間がかかる上に、お天道様が出ている時間は短すぎる。…おそらく日本のClimbingのベストシーズンは天候が安定する1月後半から3月初旬頃まで。
この時期の日本の山々はとてもとても美しい。
ということで…12月と1月は海外逃避向き。飛行機のチケット代も12月10日前後に出国、1月後半すぎに帰国するなら格安だったことも理由。
そうやって日本文化の集大成のような怒涛の年末年始を何回も海外逃避してきた自分…。
そのつけ?が今に回ってきているのかもしれない。

話しは少々逸れ気味になってしまったけれど、Climbingとalternativeには自分にとって同じ意味性が内在している。
Climbingが、産業社会に対抗する人間と自然との共産型の社会を目指す生活様式・思想・運動だとまでは言わないけれど、即在の支配的なものに対して考えたり思う時、その行為はとても有効な手段、きっかけであると思っている。
どんなに強がってみても、その相手は地球そのもの。
重力から解き放たれたいという願いもむなしく、岩にしがみつきながら自分の非力さ、弱さ、意気地無さ、非力さに打ちのめされ、自分に苛立ちながら…。だとしても、あまりにも大きすぎるそれに対してあまりにも小さな人間が挑み戯れている姿は美しい。そんな自分自身に酔いしれてみる瞬間があっても良いと思う。
そこは、支配するとかされるとかの区別の無い世界…自由で平等な世界が広がっている。
たとえそれが瞬間と言えどもそんな世界がこの世にはあるということを自分は岩にしがみつきながら感じていた。
そんなClimbingに没頭していたあの頃から随分と時が経ってしまった今、そんな瞬間に出会うことはめっきり減ってしまったような気がする。
それでもそんな今も変わらず私が追い求めているのは、あの時あの瞬間に感じたあの世界。
できることならこれからをそんな世界の中で生きてゆきたいと心から思うものの、街中に暮らしながら…SusutainableやArtとの関わりの中でその瞬間に出会うことは難しい。

Climbingを訳すことはalternativeを訳すことと同じく難しい。
確かにそれは山登り、岩登りではある…。
けれど、山に登る…岩に登る…これが何を意味するのかを翻訳辞書に委ねてみてもそれは所詮無理な話し。
alternativeもClimbingもそれはおそらくは感覚でしか捉えられないものだから。
BioregionalismやSustainableという捉え方、Natural Buildingという手法やrocketstoveやComposting toiletという方法…シュタイナーや南方熊楠という私を魅了する先人たちの歩み…。
私たちひとり一人の中にある感性の扉が開かれた時に感じること…。
その瞬間が訪れた時に感じる世界観…それが私の思うalternative…私の生きたいと願う広がりだと思う。
そうした世界観を感じながらそしてその世界に生き続けたい。
己の感覚、感性を信じてこの世を生きること…それが私がこの世の生き方としてArtを選択した理由だ。私がArtだと信じているものがはたして今この世界で言うところのArtであるかどうかわからない。まぁそれはもはやどうでもいいこと。
ただ、これがArtだと信じそのArtを生き方として選択してしまった事実を伝え続けることしかできない者たちが過去から現在まで、そしてこれからもこの世界の一端をつくり続けてゆく。
時には、所詮自己満足にすぎない…とか、無責任だと罵られ責めたてられることもあるかもしれない。
…申し訳ないと思う。自分の選択が結果とはいえ他人を巻き込み、迷惑をかけてしまったことについては謝らなければならないけれど、私と地球とが一対一で関係したことによって築かれる事実こそがこの世に築かれる唯一の真実だと私は信じている。
この真実の先に広がる広大な世界…alternativeな世界は私たちの感性の広がりと共に今も広がり続けているのだ。
                              小池マサヒサ 記



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by cafe_mazekoze | 2011-12-15 16:02 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)

理解

私たち人間の一生は、長くても80年から100年。
そんな私たちの一生を遥か越える…樹齢数百年年を越えるような大樹を理解するとはいったいどういうことなのかを考えてみれば、この世のあらゆる出来事の中で自分がほんとうに理解できていることなど何一つとして無いことに気づく。

悠久の時間軸の一点である「いまここ」から私に見える世界は、この世の事象のほんの僅か…世界のほんの一部分にすぎない。
けれど…だからこそ私たち人間は自らの内に『想像する力』を抱き、その力によって、この世界のほんの僅かな一点からこの世の全体を想像し、自分たちがいまいる「いまここ」を理解し、そしてこれから何処に向かうべきかについてを知ろうとしているのかもしれない。
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一般的に理解とは、物事の理由・原因・意味を正しく知ること…であるらしいけれど、理解が記憶や学習と深く関係してはいても、それらとは異なる連続する現象であること、しかも、独立した現象では無くこの世の様々と関係性を持つことによって理解は成立するという点でとても興味深い。

「いまここ」である一点とその周辺に無数に散らばる「トキ」「トコロ」とが繋ぎあわされることによって起こる現象…「イマ・ココ」と「トキ・トコロ」が繋がり連鎖し、広がってゆく状態こそが私たちが生きるこの世界そのもの。
ようするに理解とは、この世を知るということに近いのかもしれない。
宇宙がどのように誕生したのかを科学的に物理学的に理解すること…物理学的アプローチに興味は湧かないけれど、「イマ・ココ」がたとえこの世界のほんの僅かな一地点だとしても、この一地点だけが持つ時間軸、そして、そこから繋がる関係性をたぐり続ければ、やがて私たちは宇宙にまで到達することは間違いない。
その限りない連鎖を起こす原動力…それは全て私たちに例外なく備わっている「想像力」に他ならない。
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認知心理学(cognitive psychology)は現代心理学の主流…情報処理の観点から生体の認知活動を研究する学問なのだそうだ。その認知心理学においては、理解には段階があるとされていて、下部から上部へ向かうその段階は具体的から抽象的であるとされている。
例えば「宇宙」についての理解を考えてみれば、まずは太陽だの銀河系だの?から始まり、宇宙についての基礎的なことを学ぶことに始まる…。そうしたスタート地点に近い段階…下部では、揺るぎなく具体的な事実を検証し記憶し学習する。その結果、寸分のズレも許されない具体的な目的に持った計算が可能になり、それによって人類は宇宙空間にまで飛び出せるようになる…という下部。
でもそれよりもっともっと先の宇宙について。光ですら数億年以上かかるというような宇宙そのものに対する理解とは、人類を宇宙空間に搬送する…というような具体性ある領域とは全く別のベクトルへと向いてゆく。
私には殆ど理解不能なビックバーンもそのベクトルに含まれるものだとは思うけれど、そもそも「宇宙とは何であるのか?」という疑問は、既に宇宙という空間や物質としての天体の話しでは無く、私たちは何処から来て何処に向かうのか?という精神の領域にあるような気がする。

日々私たちを翻弄し疲弊させる…それでいて手放すきっかけすら見つけられないコンピューターをはじめ、現代を圧巻する情報ネットワークと情報端末はまさにこの認知心理学による研究成果のたまものだ。認知心理学は、コンピュータの処理モデルを構築する、それを用いて人の認知モデルを再検証することはもちろん、最近では、意識や感情、感性といった問題にも取り組むようになってきているそうだ。認知心理学にはさほど興味は無いけれど、現代心理学の主流を担うとも言われるこの学問分野が、意識や感情、感性の領域に近づいてきていることはとても興味深い。
やがてこの学問に限らずあらゆる学問やあらゆる産業がまぜこぜになってこの領域に取り組んでもらいたいと思う。
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         水を汲みに行ったら孵化したばかりの蝶の群れに出会った。


僅かな期待、淡い期待、とでも言うべきか…。
「いまここ」を生きる私たちは、この世という現象…全体への深い理解を必要とする段階に向かって歩みを進めていると信じたい。
3.11以降、ずっと心の何処かにその気持ちを抱き続けているような気がする。
「いまここ」はその途上にあって、あらゆる刺激物が私たちを翻弄し、時に私たちを疲弊させることがあるけれど、それはそれでいたしかた無いことなのかもしれないとも思う…。形は違えども、そうやって私たちは過去から現在までこの世を生き次いできたのだから。
だからこそ、「いまここ」を生きる私たちがこれから向かうべき場所を知るためには歴史に対する深い理解はとても重要だ。ただしそれは、過去が正しく現在が間違っているとか、あるいはその逆とかを検証することが目的ではい。全ての歴史が「いまここ」へと繋がっているということへの理解のため…。
最も大切なことは、『全体を切り刻まずに網の目のように関係性を連鎖させ繋ぎ合わせること』
そのためにいまここを生きたいと思う。

…まずは今日やらなきゃならないことがたくさんあるけど…、
さぁ、どうする。

                           小池マサヒサ 記

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                  この美しさを理解するには…
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by cafe_mazekoze | 2011-09-15 11:54 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)

善光寺と門前町とカフェ

『急速な変化』はどこか危険な香りがする…。

平均的な成長スピードはどのジャンル…どの世界にもあるけれど、成長期をむかえた子供が1年に10cm以上も伸びることもあるように、例外的に平均を超えて急激に成長するような時期もある。自分の場合、既にはるか昔のことで記憶は曖昧だけれど、中学1~2年の頃に最大の成長期があって、関節やら踵が痛くなったことをなんとなく記憶している。
当時バスケットボール部だった自分は、身長が伸びることは大歓迎…けれど急成長は痛みを伴うということを体で知ったのもその頃だった。

先々週末に突然、足が痛くて歩けないと言い始めた娘。
覚えてはいないけれど何処かにぶつけたのかもしれない…と言ってはいるものの、徐々に足の痛みは増している様子…階段の上り下りもままならなくなってきたので、念のため病院へ。…付き添った妻によると、どうやら足というよりは股関節の痛みであることは判明したものの、「原因はわからないがこのままこの状況を悪化させると障害が残って、車椅子が必要になる」…という診断。
…えっ…それが診断? 脅かされただけじゃない?
患者の不安を拭うような一言も何も無く…原因として考えられることも聞けない…。
…ほんとにちゃんと聞いてきたの?…と妻を責めてしまった自分も恥ずかしいけれど、まったく人を見る気あるのかなぁ??って思う。
あ~あ…また病院が嫌いになっちまった…。

このところ、親の自分でさえ、随分と身長が伸びたなぁ…と感じるほどに娘の背は伸びた。これだけ急に成長すれば、体の何処かに歪が出でも不思議ではない。おそらくこのところの急成長が娘の場合は股関節痛という歪となって現れたのだろう。
…あれから一週間たってプールの発表会。
もう痛くないから泳ぐよ…見に来てね…とはりきって学校に出かけた娘は25Mを元気に泳ぎきっていた。
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「善光寺門前町」にはこのところ新しいお店が急速に増え始めている。
マゼコゼから歩いて数分といった近場にも新しいお店がもうすぐオープンするらしい。
そのどちらもがカフェになるそうだ。
たまに、「門前にこんなにカフェが増えてしまって大丈夫なの?」…という質問をされるが、ライバルが増えてそれでも商売は成り立つのか?・・・少ない客をとり合うようなことにならないのか?という疑問を抱く人がいるのも当然だとは思う。

…けれど、「いま・ここ」…善光寺門前町の可能性を高めてゆくためには…、
今は『カフェという場』が必要で、その数は少なくとも20軒以上…とイメージしている自分としては、今現在のカフェ数では…今のカフェでは…まだまだ私のイメージに遠く及ばない。
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マゼコゼもカフェ…となのっている以上、“カフェ”であることに間違いないけれど、一般的に認知されている「カフェ」と私がイメージしている「カフェ」では少々イメージが異なるかもしれない。
そういうカフェじゃなくてこういうカフェ…と「カフェ」を言語化して伝えることはとても難しい…。

でもあえて自分がイメージするカフェを強引に言語化してみるとするとすれば、
カフェとは『人の周りに人が集うことで場が築かれる状態』
「場」とは、ヒトやモノやコトが他の様々に影響を与えながら関係性をつくり上げる時間や空間のこと。
ようするに、カフェとは形態では無くて状態であると考えている私からすれば、カフェは必ずしも建物を必要とするものでもないし飲食店であるとも限らない。

カフェにとって最も重要かつ大切なもの…?
それは間違い無く「人」
人・・・
店主や店員である「人」、そして、そこに訪れる客と呼ばれる「人」

様々が互いに影響を与えながら関係性をつくり上げる時間や空間がカフェであるとするならば、カフェに完成状態は無く、日々刻々と変化する時空そのものがカフェであるとも言える。
カフェである店側が一方的に客にサービスを提供するのではない…。
客として訪れる人もカフェという時間と空間をつくる最も大切な要因…ここがなければカフェは始まらない。
店と客、そしてその周りに集う様々が関係しながら、共につくられる場…それがカフェだと私は思う。
そんな「カフェ」にはじめて接する人からすれば、カフェの敷居は高く感じるかもしれない…でも、いつしかそんな場を共につくることに加わってみてほしい。そうすればきっと敷居とは何であるのかを感じてもらえるような気がする…。

そんなカフェが善光寺門前町に20軒以上欲しい…。
まだまだその数には遠く及ばない。
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私たちが長野市に移り住んで来る前、私たちは東京都国立市に暮らしていた。
国立市は、長野市とは比較できないほどの小さなまちだけれど、古くからカフェがあったり、カフェの看板を掲げてはいないものの、カフェ的な場がたくさんあった街。そんな場から様々な会話が生まれる。国立という街に暮らしていると、まちがそうした会話と共に成長してきたことが実感できた。
そんな国立市に暮らしながら住宅街の片隅で10年間、カフェ的でもある“図書館ギャラリーPlanterCotatge"という場づくりを行ってきた私たち。
プランターコテッジは、そこで出会った仲間たちに引き継がれ今もそこから会話が生まれる場所となっている。

そんな国立市にも大きな変化が訪れている。その変化の大きな要因はバブル経済期以降沈静化していた土地価格の再びの上昇とそれにに伴う家賃の高騰があげられる。
駅前にあった小さなカフェは店を閉め、その代わりに全国でチェーン展開するカフェができた。気がつけばカフェばかりでは無い…居酒屋もドラッグストアーも大手チェーン店に変わり駅前の雰囲気は大きく変わった。
駅前商店街の組合長さんによると商店街組合に加盟しているお店は随分と減ってしまっているという…。
こうした状況をして一概に、大手チェーン店が良くないものと決めつけることはできないけれど、そうした店舗がいくら増えたとしても、まちに暮らす人々が人の周りに集い、そこから会話が育まれる場となってゆくことを想像しずらいのは私だけではないだろう…。
まちの会話が育まれる「場」が失われてゆくことは、「まちのありよう」にとってとても重大で危惧すべき出来事だと思う。


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            江戸時代中期以前の善光寺町とその周辺図
                    (長野市立博物館蔵)          
          この頃の善光寺は現在の仲見世の真ん中あたりにあるが
          その後焼失…現在の場所に再建される。


長野市における中心市街地の衰退化…あるいは中心市街地の人口減少、少子高齢化が危惧されいることもまた事実。
ただ、「中心市街地の衰退化」と叫ばれてはいるものの、何をして衰退化…と言っていいるのかをこのあたりでもう一度真剣に考えるてみる必要性があるような気がしてならない。

かつて日本が高度成長期を迎えるにあたり膨大な人の移動が始まった。都市人口は急激に増加する。
それは長野市も同じ…農山村から都市部へと人の移動が起こり、市街地の人口は急激に増加する。やがて市街地の人口が飽和状態に近くなる頃には人々に経済的な余裕が生まれ、それと同時に住宅需要が増し、中心市街地からその周辺域へと人々の拡散移動が始まった。
この頃から中心市街地は商業と経済の中心地としての役割が明確となり、かつて門前町に暮らしながら商売も営んでいた人々の多くも、商売や仕事は中心市街地…寝食はその周辺地域という二か所での暮らしがあたりまえになってゆく。
こうした暮らし方の変化は早くは昭和40年代中頃から…最盛期は昭和50年代後半というところであろうか…。1970年半ばから80年代半ば(昭和45年頃~昭和55年頃)が長野市にとっての、暮らし方…まちのあり方にとっての大きな変換期だった思うが、この頃既に「ドウナツ化現象」と呼ばれる中心市街地の人口減少は地域社会問題化していたものの、やがておとずれる新たな問題…中心市街地全体に様々な歪が連鎖し生じるであろう意識はまだまだ希薄だったような気がする。

いま、こうした歴史を振り返ってみれば、現在の中心市街地の様相を容易に想像できるような気もする…。
しかし悲しいかな人間は…いま目の前で起こっていることにとらわれる。
我が身に降りかかって…、自分の目で見てはじめて自分事としてとらえられる…。

中心市街地という分け方…括り方に疑問はあるが、少なくとも、いま私たちが暮らす善光寺門前町は決して衰退しているわけではないと私は思っている。
少子高齢化は単に現状であり、中心市街地から商業的な必要性が減少し、経済的に衰退したとはいえ、それがそのまま町の衰退であるとは限らない…。
かつて長野市の経済を険引した中心市街地を再び活性化したいと願う人がいるのはわかる…でもいまのところ、この地域が長野市街地で再び経済的、商業的中心地となるイメージをいったいどれだけの人が共有できるのだろうか。

いま大切なことはより明確な町の希望…イメージが交差するような会話が育まれる町をつくることだと私は思う。
想像する力…たくさんの人が想像する力を持つことができればやがて次の創造に向かうことができると私は信じている。
そのために、いまここにそんな会話が育まれるカフェがあって欲しいと思う。
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このところ門前町が急速に変わり始めていることは単に出来事であって、ここに想像が起こり創造され、やがて成長に至るかどうかは今はまだわからない…。
いまは決して急成長では無い・・・まだ何も始まってはいない…。

とはいえ、この変化が急速な変化である以上、何処かしらに歪が生じる危険性が潜んでいることを私たちは過去の様々な経験から学びとることができるはずだ。
中心市街地の人口が空洞化していったことや、人々の生活が郊外へと拡散していったこと…。そこに潜む歪を人々はどのように感じていたのであろうか…。

私の娘が経験しているような体の成長過程に生じる歪であるとか、あまりに急激なダイエットから生じる歪は、その本人が痛みとして感じることのできる歪となってあらわれる分、ある意味とても理解しやすく、さらにその歪は修正しやすいのかもしれない。
それに比較して「まち」の急速な変化に生じる歪は、体に対する痛みとは別のかたちで現れる…。
「まち」が生じる痛みは私たちが体に感じる痛みとは少々性質が異なる分、とても厄介…その痛みの特徴は人と人との間にある関係性を蝕んでゆくところにある…と私は考えている。
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美術家の立ち位置は、美術家ひとり一人皆違うのが当然…。
美術家とは誰に頼まれるわけでも無く、自らの立ち位置を決め、美術を通じて“いまここ”を生きる生き方のことだ。
自分にとっての興味は「目には見えない関係性」・・・そして関係性の連鎖がつくり出す網の目のどこかしらに生じる「歪」そして「痛み」にある。
美術(Art)はそれらを捉え感じるための気付きの瞬間へと私を導いてくれるもの。
「まち」と呼ばれる時空に意識が向くのもまた、そこに複雑に絡み合った関係性の網の目を感じるから…おそらくはその網の目の何処かには歪や痛みがあるからかもしれない…。


長野市で…しかも善光寺門前のカフェにそんなに人が来るのか?…と聞かれれば、
今はまだ、「さぁ、どうでしょう?来るといいですねぇ…」と答えることしかできない。
商売の常識からすれば、この場所で…いまのままの門前でカフェ経営だけで生活してゆくことは限りなく不可能に近い。
この限りない不可能を多少なりとも可能の方向へと近付けてゆく為には、お互いが切磋琢磨しつつ「カフェ」が門前町の必要性として、町に暮らしている人々、周辺地域の人々、長野市に暮らす人々、善光寺とその門前町に観光で訪れる人々…に周知されてゆくしかないけれど、その道筋は今はまだとても険しい。

「なぜカフェなのか?」…は、善光寺門前町でカフェという「場」をつくる当事者、また、それらの人々と行動や活動を共にする人々にとって共通するとても大切な問いかけだ。
この問いかけに対する答えは、質問者への返答というよりはむしろ“自分はこの町との関わりをどのように考えているか”…自分がつくろうとしているカフェが町にあることをどのようにイメージしているのか”について自らが確認することだと私は思っている。
是非ともこの問いかけにそれぞれが答えてみてほしい…。
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善光寺門前まちしか考えていなかった…、ここが気になったから…、この町が好きだから…、ただなんとなく…、物件があったから…、話題性があるから…、儲かると思ったから……。
それぞれにそれぞれの理由があるのは当然だ。

…でも、それでも私たちには“いまここ…善光寺門前町”を選択したという共通点がある。
そしてこの共通は単なる偶然では無い。
共通点を生みだした背景には、感じはするけれど目には見えない何かしらの空気感のようなもの…いまここだけにしか無い気配のようなものがきっとある。
出発点、きっかけは違えども、目には見えないこの空気感あるいは気配を感じ、そして私たちは“ここ”を選択してしまったのだ。

この空気感をつくり出している何か…それこそが社会という目には見えない全体像…『時空』であることは間違い無い。
社会とは目には見えない関係性が網の目のように繋がりあうことによってつ形づくられている時間と空間だとすれば、ほんとうは「私」と関係の無いことなどこの世界には何一つとして無いのかもしれない。
いま目の前にあるモノ、起こるコト、出会う人・・・
本来それら全ては私と間になにかしらの関係がある。
そこに関係性が見出せるかどうか…それは「私」がその関係性を意識するかどうかにかかっている。
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私たち家族が長く暮らした東京、国立市を離れ、長野市へ…善光寺門前町の片隅に暮らし始めた理由は幾つかあるけれど、善光寺の存在がそうした理由の一つであることは間違いない。
私は「善光寺」とは、自己意識に向きなおる為に用意された壮大なプランであり、あらゆる芸術が集合した総合芸術時空間だと思っている。
この時空間は、そこにあり続けることによって日々変化し続け、いまもなお成長し続けている…。
もちろん仏教という信仰や哲学性に興味が無いわけではないけれど、私にとってはそれ以上に、変容・成長し続ける善光寺がつくり出す時空に興味は尽きない…。

私たちひとり一人は、一つの社会の中に生きている。
けれど、この社会の大きさ…広がりを私たちひとり一人は別々に…個々に感じているために、社会が一つの繋がりの連鎖によってつくられているという全体性は気がつきにくい。
善光寺とはその全体性を私に気付かせたとても大きなきっかけだ。

かつて善光寺門前には全国からたくさんの人々が善光寺を目指して集まってきた。
宿坊をはじめとして門前町全体が『人の周りに人が集うことで場が築かれる状態』であったと思う。
私の感覚からすればこの状態は町のそこかしこに『カフェ』があるようなもの。
カフェ文化は長野には根付かない…という人も多いけれど、歴史的に考えれば善光寺門前にはカフェ文化が根付いていたと私は思っている。
だからと言って、ただ単にノスタルジックに過去を追い求める必要はないけれど、この町ならではの人の繋がり方を過去に学ぶことはとても重要なことだと思う。


社会は一つの繋がりの連鎖によってつくられているという捉え方…こうした捉え方、はホリスティックとも言われるが、こうした意識をどのように育むか?…こそが、3.11を経験している私たちが、これからの日々を生きる上でとても大切で重要なことであると私は思っている。
別々の命を持ってこの世に生れた私たちが一つの社会という場を共有しながら生き続けてゆくためには、まず第一に、社会…あるいは、町や村は一つの繋がりによってかたちづくられている…という意識が育まれる必要性を強く感じる。

この育みの過程の担い手は、時に「家庭の子育て」であり、「地域の子育て」であり、「ご近所づきあい」であり、「学校」であり、「社会」…である。
社会とは時に家族であり、暮らす町であり、世界でもある。

繋がりあうことの大切さ、重要性をいつ・どこで・どのようにして感じ、それをどうやって、一つの社会へと繋げてゆくか…。社会を分断せず一つの有機的な繋がりとしてホリスティックに捉える意識へとどのように繋げてゆくか…は、私たちにとってとても難しく険しい道のりだけれど、これこそが私たちがいまもっとも大切にしなければならない感覚だ。


ひとり一人の個性が損なわれることなく、一つの社会を生きとし生けるもの全てが共有し、生き続けられること…そうやって命が次へと繋がってゆくこと…。

そんな社会は絵空ごと…綺麗ごとだと思うかどうかは、私たちの想像性…創造力の力次第…。
イメージすること…。
それこそが、町のそこかしこにカフェがあってあたりまえの門前町となるためのはじめの一歩だと私は思う。

小池マサヒサ 記
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by cafe_mazekoze | 2011-09-01 21:48 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)

そして美術家は今日も面倒くさい奴だと思われる。

天邪鬼(あまのじゃく)とは、「古事記」や「日本書紀」に登場する、「天探女」(アメノサグメ)という女神の名前が、日本に仏教が伝った後、人間の煩悩を表す象徴として語られる、四天王や執金剛神に踏みつけられている悪鬼や日本古来の天邪鬼とイメージが集合し転訛したものだそうだ。
本来、天探女は天の動きや未来、人の心などを探ることができる巫女を神格化した存在だそうだが、古事記が書かれた時代というと…政治と祭祀が一体であった時代…時に神託を捻じ曲げることもあったであろう巫女の存在は神への反逆であり、災いとなると受け止められ、その存在は神とはいえ微妙な存在であったことは容易に想像できる。
そんな古事記の説話が後に、人の心を読み取って反対に悪戯をしかける小鬼…天邪鬼へと変化していったと言われている。

人の心の内を探る力を持つがゆえ、こうすればああしてみたり…ああすればこうしてみたり…と、わざと他人の言行に逆らったり、行いをあざけ笑っては困らせる…というひねくれもの。いつも一緒にいるのは嫌だけど、でも身の回りに一人ぐらいはいそうな面倒くさい奴。
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                   十返舎一九 の「天邪鬼」


「美術家」とは、「天邪鬼」のようなものなようなものかもしれないと思う。
世の中の足元に踏んずけられながらも、自分の思ったことを言いつづける小鬼…。その存在や行動が世の中の体制に大きく影響することは無いけれど、「ああ、またあの面倒くさい奴が何か言ってるぞ」…って感じ。
行いや考えを嘲笑われれば誰だって腹も立つ…でも、そういうことがあるからこそ本当に自分で考えているかどうかを確認できたりする…ってこともあるはずだ。
小鬼だろうと邪鬼だろうと何だろうと、天邪鬼のような存在に嘲笑われるようなことがなかったら、人間なんてすぐに自惚れるし、自分で考えたりしなくなる。きっと自分で決めることなんてことはしなくなってしまうような気がする。

過去から現在まで語り継がれる数多の神々。
そんな神々の歴史を遡り、天邪鬼に転訛したと言われている「天探女」のことをあれこれと想像しているうちに、「悪神」と呼ばれ、語り継がれているその存在がなぜ悪神とされてしまっているのかについて強く興味惹かれるようになった自分…。
そこにはどうも私の美術への興味へとつうじる何かがあるような気がしてならない。

まぁ…だからと言って美術家が根拠も無く人をあざけ笑ってばかりいる…ということでは無いけれど、美術とは本来、何かに対しての答えを出す為にあるわけでは無い…と私は思っているし、作品を買って頂いたり、仕事をさせて頂けることはもちろん嬉しいしありがたいことだとは思っているものの、「その作品にはもう大した価値は無いと思うよ…」な~んて思ってしまう天邪鬼な自分。
作品が無駄なものであるとは思わない。けれどそれは、「自分で考え自分で判断する」という心の内に沸き起こる気持ちを掻き立てる為の何か…、作品はあくまでも「気付きのきっかけ」…入口でしかないとずっと思ってきたし今もその気持ちに変わりはない。
作品の価値とは作品に対峙したその本人とその作品との一対一の関係性の中で育まれるものである以上、そこには本来、他者からの評価や社会的評価は一切必要無いはずだ。
美術の専門家からの評価はもちろん学校での教育も、外部の評価は全て「自ら(鑑賞者の)の内に沸き起こる気付き」のチャンスを奪うものでしかないと思う。

…だから、勝手に感じて勝手に思えばいい。
感じないものには感じない。
ただそれだけのこと、恥じることでも何でもない。
そこからは気付きに至らなかった、ただそれだけのこと。
気付きの入り口は他にだっていくらでもある。
この世にはまだまだ無数の美が散らばっている。

美術家は、自らが自らに課したテーマに対して、ああでもないこうでもない…と考え続けるわけだし、その結果や過程が時に作品となると思えば、作品らしき何かしら(ものや行為)には美術家が導き出した“答えらしきもの”が潜んではいるとは思う…。
けれど、美術家の天邪鬼たる資質は、だからと言って、作品は必ずしも答えであるとは限らなかったり、たとえそこに答えとおぼしきものがあったとしても作家の本心かどうかも解らない…というひねくれさ加減にある。

この世に漂い、見え隠れする正解や答えらしきものの多くは、人の想像性を奪い去るものでしかないと私は思う。
そうした正解や答えらしきものの多くは、私たち人間が“自らが経験し考える”という人間にとっての最も大きな可能性を、“苦労や面倒なこと”へと巧妙にすり替え、その面倒さや苦労さから逃れようとする者を誘い込み、逃がさぬよう周到に計画された道筋を用意する…。
正解や答えはその道筋の最も奥深くに置かれ甘い芳香を漂わせている。

でも既に、私たちは苦労や面倒さを遠ざけながら正解や答えらしきものを求める歩みを止める術を忘れてしまっているのかもしれない。
あらかじめ用意された答えを求めて歩みつづけるしかない…。
その答えに到達することが生きる目的であると信じて疑うこともない…。

もしも美術にそんないまここを生きる私たちにとっての共通の価値を見い出せるとしたら…そんな可能性がもしもあるとしたら、それは天邪鬼になることぐらいしか無いんじゃないかと思ったりするのだけれど…。
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                  暑中お見舞いもうしあげます。


美術家は「天秤の重り」のようなものだとも思う。
一本の棒の両端にバケツやカゴみたいなものがぶら下げてモノを運ぶアレ。
私たちは全てこの天秤を担いで「いまここ」を生きる宿命を背負っている。
天秤の一方に重さがかかりすぎている時にはもう一方に重さを加えなければ歩くことすらままならない。美術家はそんな天秤の重りのようなものだ。

世の中の流行とは多数派がある一点に集中することによって引き起こされる。
この状態を天秤に例えれば、流行とは多数派が天秤の片側に集中した状態…私たちが天秤を担いでこの世を歩まなければならないとすれば、この状態ではバランスが保たれていないのでとても歩きづらい…というよりそもそも天秤を持ち上げることさえできやしない。

流行が悪いわけじゃない。
あくまでもこの世の状態はどうなのだろうか…バランスは取れているのか…ということだ。
天秤を背負った私たちが前に進むためには、天秤のバランスは重要。
バランスが取れていなければ、バランスを取るために何らかの「重さ」が必要だ。
もしも美術家の必要性はと聞かれたとした、そんなことぐらいしかないんじゃないかって答えると思う。

とかく芸術家は、少数派…マイノリティーであることに満足しているとか、それを望んでいるとか、常に反体制の側に付きたがる…というイメージを持たれがち…。
事実としてそのような傾向が強いとは言え、だからと言って芸術家が皆同じことを考えているはずも無い。
他の美術家がどう思っているのかわからないけれど、少なくとも私にとって最優先は、マイノリティーさであるとか、反体制の側に立って行動することでは無く、この世を生きる私たちが担ぐ天秤の均衡を保つことにある。

なぜなら、そうしなければ見えないものがあるから。
それが見たいからこそ私はこの世の生き方として美術家という生き方を選んでしまったのかもしれない…。
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美の本質とは何よりも生命の本質と大きく関係していて、美術からここを切り離すことは決してできないと私は思っているけれど、美の本質と生命の本質が如何に融合し混ざりあい、そしていったいそれはこの世の何をつくり出しているのかを見てみたいとずっと思い続けている。
でも、それを見たからと言ってどうなるのかはわからない。
自分だけならまだしも、家族や友人まで捲き込んで…。
いつか何かの役に立ったらいいなぁとは思うけれど、今は残念ながらそれもわからない。
ごめん、みんな。
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目には見えない…けれど常に変化し続けるこの世とは、生命の本質がこの世のあらゆるものと繋がりあうことによって現れる巨大な生命体そのものだ。
私たちは、この生命体のことを『自然』と呼んでいる。

山・川・巨石・巨木・動物・植物などといった自然物や、火・雨・風・雷などといった自然現象は人々に数々の恩恵をもたらすいっぽう、地震や台風、火山の噴火、土砂崩れや河川が氾濫などの風水害など、時に、人の暮らしに対して甚大な危害を及ぼす。
そうした自然の大いなる力を感じながら…接しながらの日々の暮らしの中に、「人間の力をはるかに超える何か」を感じるのは当然だ。

何かを感じるけれどその何かはけっして見ることができない。
不可視の…人間の想像をはるかに超越した力がこの世の中には存在しているという感覚を常に抱き続けながら私たちはこの世界を生き続けてきた。
「この世」とは、「見えるもの」と「見えないもの」その双方が互いに関係しあうことによって形づくられていて、人が見ることのできない側には、人間の想像をはるかに超越した力を持つ「何か」があるということがこの世を生きる者の常識であった時代はさほど遠い昔のことでは無かったはずだ。
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「自然」とはその「何か」の表れであると想像しつつ、自然に内在する力を認めざるを得なかった時代…その時代に生きた人々が自然災害を人間の想像をはるかに超越した力を持った「何か」の怒り…祟り(タタリ)と考えるのは極めて自然な現象で、その「何か」の怒りを鎮め、恵みを与えてくれるよう願うと同時にこの「何か」を心の内に常に抱き続けることで、「目には見えないものを想像する力」を持とうとしていたのだと私は思う。
そういった人々が「何か」に対して畏敬の念を抱き、やがてそれを崇敬するようになってゆく過程の中に、「美の本質」と「生命の本質」が混ざりあい繋がりあうことによって創造されるもの…この世に必要不可欠な何かがなんとなく見えてくるような気がしている。

自然と一体となった暮らし…自然の中に生命を感じること…自らの内に起こる気付き…想像すること、そして創造される「何か」
太古に生きた人々全てが、自然の中に「何か」を感じ、想像し、創造できていたかどうかはわからないけれど、少なくとも自然が自分たちの生命と大きく関係していること、そして自然を自分たちから切り離すことは決してできない…ということについては、現代に生きる私たちよりはるかに多くの人々が実感できていたであろうことを疑う余地は無い。
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自然と呼ばれる生命体と私たち一人ひとりの生命との間にある関係性。
私たちはこの関係性を理解しようと努力してみてはいるものの、「人間の力をはるかに超える何か」を自然の中からに感じ取ったり、自然に内在する大いなる力を感じつつ、その力に対して畏敬、畏怖の念を抱くことが困難な時代に生きている。
それは一体どうしてなのだろう…。
もしも私たちが生きる“いまここ”が、自然の中に「何か」を感じ想像しながら生きた太古の時代から進歩したとするのなら、その進歩とはいったい何であるというのだろう…。

面倒さや苦労さから逃れようとする者たちを誘い込み逃がさぬよう、そしてあらかじめ用意された答えらしきものにたどり着けるよう周到に計画された道筋。
この道筋は常に“便利さ”というファシズムに覆われている。
この道筋の最奥に用意されている答えらしきものには、私たちが自然から何かを感じるために必要な感性を麻酔させようとするものが潜んでいることを決して忘れてはならないと私は思う。


天探女はそんなこの世の進歩を何と読み、いったい私に何と伝えてくれるのだろう。


小池マサヒサ 記



『古事記』の葦原中国(アシハラノナカツクニ)平定の記述
天照大御神が高御産巣日神(タカムスビノカミ)と語らい、天菩比神(アメノホヒノカミ)を派遣したが役目を果たさなかったので次いで天若日子(アメノワカヒコ)を派遣した。しかし天若日子は、は大国主の娘、下照姫命(シタテルヒメ)と結婚し、葦原中国(アシハラノナカツクニ)を得ようと企んで8年の間復命しなかった。そこで思金神(オモヒカネ)は鳴女(なきめ)という雉を送り、天若日子の真意を糺す事を天照大御神に進言した。雉は天若日子の家の門の楓に止まり、「おまえは葦原中国に派遣され、荒ぶる神々を帰服しろと命ぜられたが、なぜ、いまだに復命しない。」と天照大御神の言葉を伝えた。天探女はこれを聞いて、天若日子に「この鳥の鳴き声は不吉だ」と伝えた。そこで天若日子は弓矢で鳴女を射殺したが、その矢は鳴女の胸を貫き天照大御神と高木神(タカギノカミ/タカムスビノカミの別名)のもとに届いた。これを拾った高木神は、「悪神が射た矢なら天若日子には当たらぬが、天若日子に悪い心があるなら当たる」と言挙げし、矢を投げ返すと、その矢は天若日子命の胸を貫いた。 
【Wikipedia 天探女 を参考】
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by cafe_mazekoze | 2011-08-12 23:01 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)

内と外

このBlogを覗いて下さっている方には、私が日頃何を想いながら何をしているのかについて…、私の日々の不穏な?行動や、メモリー一杯にまで膨張した思考の断片をほぼ無理やり垣間見ていただいています。カフェマゼコゼは、私たちRIKI-TRIBALが行う主要な活動の一つです。RIKI-TRIBALではArt・美術をその活動の中心軸に据え、モノやコトやヒトが必要とする関係性を考えながら、「一緒につくる」を通した様々な『場づくり』を行なっています。
Blogには、思いの丈をとりあえず書き始めてしまうこともよくあることなので、私が何を言いたいのかさっぱりわからないことも多々あるかとは思いますが、そんな時はサラっと軽く受け流してしまってください。
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      〔千曲市 森将軍塚古墳:築造は4世紀末。
       考古学者か探検家になりたかった私…ようやく古墳に至る…〕


日常、自分は「美術家」と称して動き回ってはいるものの、正直言って、この世の中で「美術家です」と説明されて即納得できる人なんているのかしら…とも思っています。
それなのにあえて「美術家です」と自己紹介するのは、どちらかと言えば自分自身への確認…問いかけの意味が大きいような気がしています。
かつては、自分が「美術家」と名のることも、人からアーティストと呼ばれるのすら嫌で嫌でたまらない時期もありました。いま思えば、自分が暮らしていた東京という大都市圏にはもちろん、日本中のたくさんの美術家やアーティストと名のる人の中に埋没しそうな気持ちだけが増して、「俺はあいつらとは違う!」…と言いたかっただけの裏返し。自分が自分として生きること…美術家として生きることに腹をくくれずそこから逃げ回っていたからのような気がします。

そして今、「腹はくくれているのか」…と聞かれてその返答に多少の戸惑いはあるものの、とりあえず、長野市に暮らし始めてからは周囲の人々には努めて「私は美術家です」と話しかけるようにしています。これにはそれなりに勇気も必要ですが、こうすると不思議なことに、人の心と自分の心が少しだけ近づくような感じがする…共鳴する…心が揺れる…そんな気がする。
もちろん、人々の私に対する反応はそれぞれですから、共鳴や揺れは必ずしも好印象へとつながるとは限りませんが、それでも日常の暮らし中に「美術」という言葉だけでも投げ入れることで、まちや人が少しずつはっきりと見えてくる…そんな実感があります。
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      〔土をつくり出す生き物たちを感じる…私たちと彼らは同じいまを生きる。
       コンポストトイレは地面の下の世界への入り口。〕


「美術家です」…と聞いた人からすれば、「変わった職業」もしくは「珍しい人」、時には「厄介な人」「関わりたくない人」なんて思う人もいるかもしれません。
これは、美術家で無くとも他のどんな職業であろうとも、私たちは、人の表向きの職業や肩書を見たり聞いたりした上で、まずは体系・統計化された中にその表向きの情報をあてはめて、そこからこれからの自分との関係性をイメージすることに慣らされてしまった…いつのまにかそんな出会い方が一般的、平均的な“人と人の出会い方”なってしまったような気もします。
それに対して、いわゆる「一目惚れ」や、「なんとなく気になる…」というような「直感」あるいは「勘」と呼ばれるような何かから始まるような出会いにはなんとなく躊躇しがちなってしまったような…。
ときには勘や直感が外れて痛い目にあうこともあるだろうけれど、だからと言って体系・統計化された情報だけではなんとなくものたりない…というか、先入観に邪魔され、腹を割って人と接することに臆病になったり、人目ばかりを気にしてしまったり、人に近づけないのはどうなんだろう…、人への近づき方をあれこれ考えるなんて、なんとも回りくどい気がするのは私だけなのでしょうか。
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            〔進歩・発展…それがいまなのかどうか…〕


表層にまとっているイメージのその先…。
表層が剥がれ、その内側と出会った時に「その人のその人らしさ」や「その人のその人らしい生々しさ」に出会う瞬間があります。
私たちはこの瞬間を通じた内側への気付きによって、体系・統計化の呪縛から解き放たれ、はじめて、生身の人間と人間…その人らしさと自分らしさが正面で向き合うことができるようになる気がします。

ある時からどうやら私にとっての興味はこのあたりにあると感じつつ、それに対して「美術」とはいったい何なのか…そこにはいったいどんな関係性や意味があるのかに私の意識は深く向いて行ったような気がします。「美術」とは「生命」との出会いの瞬間へと導く過程にあるもの…そう私は思っています。
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              〔雪の上のArt…ここは緑のフィールド…〕



表層のその内側…けっして目には見えない不可視である内面領域に他人を招き入れようとする人は少ないし、「注文の多い料理店」じゃないけれど、どうぞどうぞ中へ…はこの世の中、なんとなくきな臭く感じるし、そもそもそんな“やばさ”にさえ気付かないようではそれなりに苦労したりするこの世の中。
ましてや、他人の内面にこちらから強引に入り込めばどうなるのかを想像すれば、体系・統計化された一般論はこの世の中では必須なのかもしれない。体系化された一般的なイメージとはいえ、人が見えないよりはまだ良しとするか…ちょっと臆病すぎるような気もするけれど、そうやって少しずつ人に近づいてゆくつながり方…それが現代の生き方であることはだれも否定できないと思います。

…と言いながらも、こともあろうに自分は「美術家」という根拠に乏しい生き方をこの世の生き方として選んでしまった。
もちろん、美術家だから人とは違う…ということではありませんが、それでも美術あるいはArtが人の心という領域=不可視の領域と深く関係しながら成立している…してきた、ことを思えば、「美術家として生きる」ということは、目に見えるもののその先にあるもの…目には見えないけれど確実にある何か…不可視の領域への探求役を買って出てしまったようなものかもしれません。
…で、なぜ美術やArtなのか…は「直感」としか言いようがないけれど、この世をかたちづくる生命を見たい、知りたいと思えば思うほどに、見えると見えないの境界線が邪魔になるような感覚が増してくる…もしかすると美術はその境界線をいとも簡単に乗り越える手立てとなるのかもしれないという淡い期待。
そんな淡い期待と思うようにはいかない煩わしさの両方を抱えながら今を生きるのもそれはそれで悪くはないと思う今日この頃です。
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               〔勘…可能性〕



「美術」という言葉は明治時代に入ってから大量につくられた新しい日本語のうちの一つ。ラテン語(artes liberales)→英語(liberal arts)を和訳した際につくられた造語で、西洋化近代化を目指した当時の日本がArtという概念を日本にとり入れるにつけ、この西洋のArt概念に最も近い日本語として用いられたのが「芸術」…後に絵画や彫刻などが区別され「美術」とされたようです。

言葉はその国・その地域が持つ文化の蓄積の結果です。
なので、そもそも文化背景が異なる外国語を自国の言葉=文化に瞬間的に置き換えることは本質的には不可能なことであるはずですが、交通や通信網が整備され世界の距離感が薄らいできた現在では、異なる文化の蓄積である言葉が持つ独自性もまた薄らぎ、言葉の背景にある文化を理解していなくとも、自国の文化になぞらえ、言語に関する情報だけを体系・統計化し自国の言葉に変換することが可能になってしまいました。私自身、「Art」と「美術」を曖昧に使ってしまっていることも反省すべきなのですが、そもそも「Art」と「美術」とは異なるもの…それぞれの言葉を生み出した背景にある文化が異なることを私たちは忘れがちだと思います。

「美術」と呼べるものがかつての日本には無かったのかと言えば、そんなことは無いと誰でもが思うでしょう。ただし、おそらくこの質問に対して多くの日本人が思い浮かべるのは「美術」であって「Art」では無い…。いまだ多くの日本人は「美術」の感覚は持ってはいても「Art」の感覚は持ってはいない。言葉は文化によって育まれることを思えばそれはそれとしてあたりまえのことだと思います。
とはいえ、日本人には「Art」は理解できないということでもありません。
すでに「Art」も日本の文化の一部分であることは事実ですし、「Art」も日本語として文化を育むものに進化しなければならないと思います。
文化とは時代と共に育まれ続けるもの…日々変化し続けるものである以上、美術も常に変化し続ける。「美術とは何」という答えは無いし、その必要すら無いと私は思います。
中でも、「現代美術」は、現代社会における美のありようを見ること・考えることによって、現代社会の本質を捉えようとする「あらわれ」です。そう言った意味からすれば現代美術は、社会を呼吸することを通じてのみ現される美術ということであり、美術家が現代を如何に呼吸するかに始まるもの…消化吸収しその栄養素を体内に取り込んで最終的に排出されるものの中に作品と呼ばれるものもあると私は理解しています。
美術作家が現代社会を如何に呼吸したのか…を作品だけから読みとるのは難しく感じるかもしれないけれど、美術家が社会の傍で何をどう呼吸するのかが見えることは社会にとってとても大きな意味があるような気がします。
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              〔森と風のがっこう…〕


Blogによって、どんなに夜中でも早朝でも、いつ何時でも自分の想いの丈を自分の外側に向かって放出できるのは、私にとってかなりありがたいことだと思います。
もう長いことこんな生き方を続けてきたからでしょうか、スポーツを続けてきた人が体を動かさないでいるとなぜか調子が悪くなったように感じたりするのにも似て、私にとっては、自らの内に溜まった思考を何らかの形で外側へと押し出さないと苦しくなる…という体質に変化してしまっているのかもしれません。
もちろんそれがBlogじゃなければだめということではありませんが、私にとってBlogもまた自分の内側と外側をつなぐ媒介役として機能しているということです。

私は、それが美術的であったり、よりArt的なものをつくることもあるし、時には家だったり店だったり庭だったりすることもあります。また、そうした姿形あるものばかりでは無く、計画やデザイン、プランニング、企画、ワークショップといったことも行います。
それらどれもが私にとっては、自分の内側と外側をつなぐ媒介としてあるだけで、自分としてはそれらの間にはなんら区別はありませんが、社会一般的には手や体を動かしながら考える仕事は、「美術的なもの」と「職人的なもの」に…、その他は、「計画性・デザイン・設計性の強い仕事」と「ワークショップ的なもの…教育的な仕事」などに体系化されてしまいがち。
このような体系・統計化することによって仕事を分類し、社会をシステムとして捉えることも時に必要なこともありますが、こと「美術」という「個人」に端を発するものを体系立てて理解しようとしてしまうと生命の本質を見失い、否定することにも成りかねない…。
社会の中に様々なシステムを見つけ出すこともできなくはないけれど、システムとはあらかじめそこにあてはまることを前提として物事を捉えがちで、「あてはまること」と「あてはまらないこと」といったシステム的な捉え方は、最終的には世界を二つに分断してしまう危険性を常にはらんでしまっているということを私たちは忘れてはならないと思います。
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私たちはそもそも、ひとり一つずつの生命を持ってこの世に生まれてきました。
この生命をシステムとして理解しようとしたその瞬間に、「個」が発する意識は予測されていたものとしてシステムに組み込まれ、呑み込まれてしまうような気がしてなりません。
人に出会った瞬間に、何かの縁を感じたり、この人とは前に会ったような気がする…といった幻想や妄想は、システムとしては不安定、不完全と認識されたとしても、幻想や妄想、人の想像性のその先には私たちが未だ経験したことの無い未知の領域や、限りない生命の可能性が潜んでいると私は信じています。

「想うこと」もまた、私という生命があるからこそ成せることである以上、現実を想うことと非現実を想うことには本質的になんら差は無いし、そう考えれば、現実と幻想の境目も所詮は私たち自身がつくり出したものにすぎません。だから、手に取れるもの、目に見えるものだけが現実であって幻想・妄想は本当は無いもの…非現実だとは私にはどうしても思えないのです。
美術とは私にその境界線は越えられるということを私に教えてくれたものでもあります。
生命とは、内なる世界と外なる世界をつなぐことができた時にはじめて薄っすらと…でも確実にあるものとして感じることができるものです。

私はいま、長野市に暮らしながらこの世にひかれた様々な境界線を感じながら生きています。そして、ここには、ここがまだ水内(みのち)と呼ばれていた頃…はるか昔からあり続けてきた善光寺があります。
ある時、そこに私が追い求める「美術」がこの善光寺にある…ということに気が付いた瞬間、それまでどうしても解けなかった糸がスルスルと解けてゆくような感覚がありました。
それは、内なる世界と外なる世界は一体であるというこの世のリアリティー。
その時そこに境界線はありませんでした。

目に見えるもの、目に見ないものは常に表裏一体…「現実とはこういうもの」ということを私たちに伝えてくれるものと共に暮らすこと。
暮らすとは生命を感じとること。
文化を育み続けながら共に暮らすことの中に「生命」との出会いの瞬間はあるのだと思います。


小池マサヒサ 記
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by cafe_mazekoze | 2011-08-01 19:03 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)

煩わしさ

病名を特定するには至ってはいないものの、ほぼ自分の体の現状…病気?症状?が医学的に何という病名なのか“二つのうちのどちらか”…まで付き止められた。とはいえ、いまだ食べれるものはかなり限定されたまま…。病名はあくまで病名なだけなわけで、自分としてはまぁともかく“今を生きるしかない”…って感じ。でもなんでだろう…このところ気持ちが軽い気がするのは…。

いま自分の身のまわりで起きているすべてがメッセージ…なのかどうかはよくわからないけれど、全体とは一つの有機的なつながりで、部分を積み重ねても決して全体にはならない…と思っている私としては、いまの自分の病気?症状?は原因不明の遺伝子レベルで起こっている何らかの自然現象だとして、まぁ世の中すべてがそんなものだしなぁ…と自分の体をとおしてこの世の遺伝子ってやつを再認識しているような気もする。
長野市に戻って2年半…ここらで一度、ぼ~っ…として、頭を空にするには調度いい時期なのかもしれない…って思う。
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(京都西京中学理科部がつくったDNA模型…塩基 4種、チミン・アデニン・シトシン・グアニン…この配列のどこかが故障中の私…)

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ラミニン、フィブロネクチン、コラーゲンなどのECM蛋白質は細胞を接着・固定する、一種の生体接着剤のこと。このうちのラミニン5(Laminin-5)が自己免疫によって破壊されてしまっているらしいのが私…自分の内側で起こっていることなのにその理由なんてまったくわからない…いったいどうなっているのやら。


私は美術家として「いまここ」を生きたいと思っている。
できることならば、この気持ちを持ち続けたままのこの一生でありたい…とも思う。
とはいえ、この一生が美術家…あるいはアーティストであったかどうかなんて自分には確かめようが無い。
だから、「いまここ」を感じながら一生を生きたい…だから私はArtする。
美術家とはこの世に生まれた私が選んだこの世の生き方のことだ。

でも…、
自分がなんでArtに魅了されているのかなんてほんとうは何もわかっちゃいない。
そもそも自分が魅了されているのはほんとうにArtなのかどうかもわからない。
Artが自分の望みを叶えるかどうかなんてまったくわからない。
自分がどうして今このまちに暮らしているのかだって、理由なんてよくわからない。
どうしてあの人と友達なのかだってわからないし、自分が嬉しくなったり、悲しくなったりする理由だってよくわからない。

ほんとうはみんなそうなのに、わからないことをわからないと言えないまま「いまここ」を生き続けるうちに、自分ってわからない…って思うようになってしまったのかもしれない。
だからみんな言ってしまえ…「わからない」って。

「わからない」という煩わしさ
煩わしさを感じながら生きる…こうして生きることの中にArtがある。
そうしてその先で、ようやく薄っすらと自分が自分という存在を感じることができるようになる気がする。
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この地域に暮らしながら自分を、地域を、客観的・俯瞰的な視点を持って見ることはとても難しい…。
アーティスト・イン・レジデンス:Artist-in-residence program
この地域に暮らす人々が「いまここ」を感じるための可能性。

「スズキジュンコ|女神の家」は、あらためて私に「いまここ」への大きな気付きのきっかけを与えてくれている。作家である彼女がここ長野善光寺門前に来て何を感じ何をするかはもちろん大切だし、それはそれとしてとても楽しみにしているけれど、私にとっては「いまここ」はそれ以上に重要だ。
私は、私にとっての「いまここ」がなんなのかをそこに見ようとしているし、そこに「いまここ」の中にいる私を…そしてその私に投影されるであろう「いまここ」を見ようとしている。

「いまここ」
アーティストインレジデンスプログラムにとっての最も重要な意味はここにあると私は思っている。

まちの外から招かれたアーティストはいわば鳥…。
空を飛べない私は、鳥に私の代わりにまちを感じてきてほしいと頼む。
私たちが暮らすまちの地表を離れ、高い空の上から私たちが暮らすまちを見下ろす鳥。
鳥が空の上で感じる「いまここ」
鳥は作品をくわえ、まちに暮らす私たちの前に舞い下りる。

Artist-in-residence programで招かれたアーティストが地域と関わりを持って制作することに意味を感じつつ、アーティストとしてさらに大きく成長できるかどうかの鍵は、「いまここ」である地域の中で育まれ、築かれる潜在的な文化力にある。
文化力とはまちの中にアート作品が満ち溢れているといるかどうかなどでは決して計れない、目には見えない地域の内側…内側の最も奥底に秘められている地域にとっての生命の源に蓄えられる力のことだ。
地域がどれだけ成長することができるかは、この文化力の中でも、人やまちを育てようとする力…『育みの力』の量に比例する。この『育みの力』を地域がどれだけ持っているのかは、招かれたアーティストのここでの成長にも当然大きく影響する。地域の人々とアーティストが一定期間を共に同じ地域に暮らすことの中で、私たち自身はいったいどれだけの『育みの力』を持っているのかを知ることができるのだ。

すべてこの世の生の成長は、「相互関係性」「共同性」のもとで育まれると私は信じている。大人が育てる側であるとか子供が育てられる側であるというような一方向的な関係性のもとでは、けっして生は育まれることはない…と私は思う。

「地域に暮らしながら人もまちも共に成長する」
このまちがそんな「いまここ」であってほしいと願うのは私だけではないはずだ。


小池マサヒサ 記

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人はずっと 木の下で食べ、考える 生き物だ。
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by cafe_mazekoze | 2011-07-26 23:35 | RIKI-TRIBAL | Comments(1)

「女神の家」にて

少し前にこのBlogでもお伝えした、アーティスト・イン・レジデンス 
「スズキジュンコ|女神の家」  が始まりました。

■アーティスト・イン・レジデンス(Artist-in-residence program)
「スズキジュンコ|女神の家」
制作公開場所|長野市立町961
(善光寺門前・大本願西側、西之門町通りから西へ路地入る約60m先右側)
作家滞在期間|2011年 7月23日(土)から31日(日)
主催:清泉女学院大学人間学部心理コミュニケーション学科現代コミュニケーションコース
a0162646_8375072.jpg・スズキジュンコHP
・清泉女学院大学HP
初日の23日(土)には関連企画としてトークセッション
「あらためて、美術表現・発表・価値について思うこと」
スピーカー :小池マサヒサ(彫刻家)
         スズキジュンコ(現代美術家)
モデレーター:山貝征典(清泉女学院大学)
…が開催されました。

清泉女学院大学の山貝先生から今回のアーティストインレジデンスプロジェクトについて聞いたのがおよそ2カ月前。何で清泉女学院がアートなんだろう…しかもレジデンス?
興味はまずそこからでした。
その後、この企画者でもある山貝先生からどうして今レジデンスなのかについて、今回の作家の選択について等のお話しをお聞きしながら、私からも何かご協力できることがあればということから企画されたのが今回のトークセッションでした。

私は作家であるスズキジュンコさんとはこれまで一度も面識はありませんでしたが、今回のこのレジデンス企画についてのお話を聞くうちに、直感としてスズキジュンコはいける…となぜか思ったのです。その時、それがなぜなのかについてはあまり考えませんでしたが、スズキジュンコはいける…と思いながらも、「自分はいったい彼女のつくり出そうとしている何に対して反応しているのだろうか」…という想いが次第に増していったのでした。
もちろん彼女自身のこれまでの仕事ぶりへの興味も影響しています。アーティストの仕事の記録、それがたとえ残り香や僅かな温もりのような微小な痕跡であったとしても、それはこの世にそのArtが一瞬でも存在したリアリティーですから、それはそれとしてとても興味深いし重要です。
けれどもその時、私の中に沸き起こっていた感情は、彼女これまでの仕事に対してでは無く、この自分を“直感として揺り動かしている何か”への強い興味だったような気がしています。
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スズキジュンコさんは、私の想像していたとおり…いや…それ以上に魅力的な女性でした。トーク開始10分前に始めて現場で会ったにも関わらず、「よぅ…久しぶり!」的な自然体に、私を直感として揺り動かしたものが何であるのかは瞬間的におおよそ理解できました。「なるほど…これだったのか」…って。
でも、「これ」を言葉で説明するのは何とも厄介です…。
それを文章化することもできるかもしれませんが、私の話しなんて聞くよりは、まぁ、騙されたと思って「女神の家」に行ってみてもらった方が良いと思います。
「女神の家」は今しかないんですし…。
もしかすると私が感じた何かをあなたもそこで感じることができるかもしれません。

トークセッション中も、その後トークにいらして下さった方々と色々なお喋りをしながらも、やっぱり自分はArtが好きなんだなぁ…とあらためて気付かされました。
こうやって、Artにどっぷりと浸かることだって、あらためて考えてみるともう随分と長いことできていなかったような気もしたりして…。
「もっとArtしたい」…。自分のモチベーションは常にそこに端を発していて、その気持
だけは今までずっと持ち続けてきたような気がします。…でも、もしかするともう長い間、「何もArtでなくてもいいじゃないか」…そう自分に言い聞かせてきたような気もします。
あらためて“自分が追い求めてやまないArt”について考えたり思ったりしつつ、とは言え、これからも自分はたぶん今までどおりにしかできそうもない…きっと自分には自分のArtしかできないだろうし、そこを無理に変えるつもりも無い…とか思いつつのArtな一時だったと思います。
今回の場を共につくって下さった方々に感謝します。
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一般的に、アーティスト・イン・レジデンス・プログラム:Artist-in-residence programとは、芸術家が一定期間、地域に滞在し、地域の人々や地域固有の風土・環境・文化に触れながら、作品を制作、展示公開を行うことを通じ、地域住民と芸術家の交流を促しつつ、地域における芸術表現の新しい可能性を探ると共に、地域の文化をつくり出すための制度や事業を示すもの…とされています。
レジデンスの運営母体や規模、滞在期間などによって多少の目的性の違いはあれど、共通するのは「芸術家が一定期間、地域に滞在することを通じて地域住民と芸術家の交流を促す」という手法、そしてそれを「今後の地域文化に生かす」目的性です。
いずれにしても、アーティスト・イン・レジデンス・プログラムにおいては、「地域のありかた」「まちの今後」を切り離して考えることはできません。

Artist-in-residence program は、program ですから、計画や予定、スキーム、スケジュール、デザイン、プランなどにも近く、無形であって、定まった方法論もありません。
“なぜ・どうして・何を・どうする…”といった道筋に対して、Artist-in-residence programはそれら全てに対してあえてArtを介在させるプログラムであると言えると思います。

ある特定のArtが優れているかどうかを評価・表彰することでまちの豊かさや価値観を測ったり、優秀なArtをまちに誘致するのでは無く、「この地域でArtを育ててみること」を通じて、地域が『いま』持つ『育てる力』がどれほどなのかをまずは自分たち自身が知ること…
それこそが、Artist-in-residence programにとって最も重要な意味であるとも言えそうです。

Artist-in-residence programで招かれたアーティストが地域と関わりを持って制作することに意味を感じつつ、アーティストとしてさらに大きく成長できるかどうかの重要な鍵は、「いまここ」である地域で育まれてきた潜在的な文化力です。その中でも特に『地域が持つ、育みの力』の量に大きく関係すると私は思っています。

ただ、そもそもArt表現は多様であるからこそのArtである以上、地域のあちらこちらに無尽蔵にArtが拡散しすぎると、どのArtが育ちやすく、どのArtは育てづらいのかも解らなくなってしまいます。
本来的にはアーティストが持つべきArt力はそういった混沌の中でこそ育つのだと思いますが、“地域という視点”という、Artist-in-residence programとしての目的性がそこに求められている場合、Artの混沌さは、自分たちが暮らす地域が持つ育みの力量判断を難しくさせると思います。
そこで、あえて限定的にArtを絞り込み、そのArtから地域を見る・考える…という発想が、近年のArtist-in-residence programへと進化してきているような気がします。

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私がArtを通じて地域を意識し始めたのは、学生時代から長く暮した、東京都国立市という地域との関わりからでした。
私たち…RIKI-TRIBALが、あえて地域の中にArtを置く、“地域でつくること”を通じて、地域がArtをどのように捉えるのかを知ろうとする試みを開始したのは1999年。

PlantereCottage Blog

いま思えば、その手法はアーティストのエゴに依存するような少々手荒な方法だったような気もしますが、結果として、このプロジェクトとして私たちがつくり続けた「場」は、12年目を経過…。今年からは運営主体として私たちRIKI-TRIBALは退いた運営方法に切り替えてはいますが、私たちが地域で出会った仲間たちに引き継がれ「PlanterCottageという場づくり」はいまも継続しています。

PlanterCotaageという場づくりは、私を「いま」へと大きく成長させました。
そして、この場づくりの背景に国立市という地域があることは間違いなく重要です。
“自分が追い求めてやまないArt”にとって地域は決して切り離すことができない大切なポイント…そう考えると、私という美術家を育てたのは国立市という地域が潜在的に持っていた文化力…地域が持つ「育み力」だったのかもしれません。
私たち家族はいま現在、長野市に暮らしていますが、私が「いまここ」ですること…そしてこれからの方向性にもPlanterCottageをつくり続けてきた…国立市という地域に暮し続けてきたことが大きく関係していることは明らかです。

国立市は東京都の西、三多摩と呼ばれる地域の一画、JR中央線のひと駅でもある郊外都市。この中央線沿線は、戦前には日本軍の基地や工場が…戦後には在日米軍の基地が幾つもあった地域です。国立市の隣りに位置する府中市と立川市には、戦後、在日米軍基地が置かれ、ここから朝鮮半島やベトナムへ爆撃機が飛び立っていった…そんな基地の町としての歴史を持って今に至っています。ここからもう少し離れた東京都福生市にある在日米軍横田基地には、今でもアメリカの極東における戦略作戦司令本部が置かれています。
そんな基地の隣のまち…国立市というまちにとっても基地や戦争は暮らしのすぐ隣の出来事…すでに戦後とよばれる時代になっても、戦争は終わってはいないまちでした。
私が美術を学んだ美術大学がこうした三多摩地域にあったこともあり、かつてのArtや文学…それ以外の様々な表現や表現者たちが戦争や地域とどのように向きあっていたのかは、現在の私の考え方の根底に大きく影響していることは間違い無いと思います。

戦争、あるいは武力行使…という解決手段には断固反対です。戦争や武力は最終的には世界を二つに分断し、そこに支配する者と支配される者という構造をつくる絶悪なしくみそのものです。
これを何回も繰り返せばどうなるか…それは小学生にも解かる簡単な算数の問題だと思います。
世界中の国々や人々が、戦争…あるいは武力を、抱え込んだ問題解決の方法として用いるには、それ相応の事情、理由があるとは言え、これだけ殺しあっても未だ戦争や武力という手段を手放せない今の人間社会の在り方にはなんとも言いようの無い憤りを強く感じます。
ここにきて露わになった原発問題もこれは現代における戦争として捉えるべきだと私は思います。

そうした地理的、歴史的背景を持った地域に暮らし、そこでArt活動を行うことをつうじていままで知らなかった地域の様々な問題を知ることも多々ありました。ある時期は、地域を…まちをArtで変えたい…と真剣に考えてみたことも無かったとは言えません。
もちろんArtには計り知れない大きな可能性があると今も思ってはいますが、でも、あの頃のように、いまもArtでまちを変えたいと思っているか…と問われれば、私は“いいえ”と答えます。

Artには何かを変化させたり、何かを先導する力はありません。
…そのようにArtを使おうとすれば、Artが持つ可能性は消えてしまうような気がします。
Artは、「私はどう思うのか」であって、それ以上でもそれ以下でも無いと私は思います。もちろん、個人的な信条や考え方がArtに反映されるのもそれはそれとして当然ですが、でもArtにできることは
「我想う」…そこまでです。
ただ、そんなArtが、「私はこう思うけどあなたはどう思う」という一連のつながり…時間の流れにの中にあるかどうかはとても大切なこと。
Artが地域と共に育まれてゆく可能性があるとすれば、そのあたりを無視することはできないのではないでしょうか。

依然としてArtは私を魅了し続けています。

きっと、Artはただそこに在りさえすればそれでいいのだとも思います。
そんなArtの傍らで会話は生まれるのかもしれません。
…そんな気がします。


小池マサヒサ 記
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by cafe_mazekoze | 2011-07-25 08:46 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)