標準

最低気温-5 最高気温0℃ 雪時々曇り

この時期、最低気温が0℃以上の朝は冬が遠退いてしまったような寂しさを感じる。
とは言っても、寒暖計が無くとも0℃を正確に判断できるということではない。
ただ、冬が好きなだけ。
朝は最も冬を感じることができるから、
だから冬の朝は寒い方がいい。
それだけのこと。
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右目の視力は0.04まで低下した。
目に何の不自由さも感じていなかった頃には、想像すらしなかった0.1以下の視力で感じる世界は、私たちが生きるこの世界の標準では無い。
病とは自分自身が世界の標準では無いことを知ることに始まる…。


「網膜中心静脈閉塞症」という病は、徐々に網膜の浮腫(むくみ)が進行する傾向があるらしく、その浮腫が視力にとって最も鋭敏な横班部に影響すると視力はさらに急激に低下するそうだ。おそらく私の今の目の状態がそれ。

病は気の持ちようなのか…、見えるような気がする日もあれば、今日のように、殆ど見えない気がする日もある。
いまの状態が昨日と比べてどうなのか…と質問されても、少しでも見えるようになって欲しい…と望む気持ちが自分の中にあるからか、昨日と今日の見え具合の違いをを客観的に判断し伝えることはとても難しい。

前回の診察で主治医から、浮腫を少しでも軽減させる可能性、今後予想される重大な合併症(網膜内の新生血管の発育)を阻げる為に「アバスチン」という薬を目の硝子体に注射する治療を提案され、先週、その注射を行った。
アバスチン(一般名:ベバシズマブ)という薬は本来、結腸・直腸癌に対する治療薬として開発・承認された抗癌剤。眼科領域の治療に対しては、国の承認は得られておらず保険適応外だが、アバスチンが、血管の新生、成長を活性化する血管内皮増殖因子(VEGF)という物質に対する抗体として、VEGFの働きを抑制し、異常な血管の増殖や成長を抑えるという効果が期待できることから、大学病院など一部の病院では臨床研究という目的性のもと患者の同意を得られる場合に限り使用され始めている。
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アバスチンに限らず、いかなる薬も…病に対して薬を使うにあたっての副作用の心配は、心身に重くのしかかる。事実、私が抱える一つ目の疾患、「抗ラミニン332粘膜類天疱瘡」の治療で内服しているステロイド薬の副作用は、「ステロイド緑内障」という眼病として現れた。
そして、「網膜中心静脈閉塞症」と「抗ラミニン332粘膜類天疱瘡」との間に因果関係があるかどうかについて、医学的にはそこに関係性があるという確証は得られてはいないし、原因も定かではないが、二つの病が一つの身体という生命体を通じて起こっていることを思えば、そこには関係が無いと考えることの方が不自然だ。

とはいえ、西洋医学を根幹とする現代医学が悪いとは言えない。
現代医学によって、私たちの心も身体も助けられ支えられこの世に生きる上での不安を軽減できていることは紛れもない事実だ。
西洋医学は、この世に満ち溢れる生命を常に事実という視点を持って客観的に捉える。徹底的な研究と探究によって治療方法を導きだし統計から結論を見出す。
偶然性を否定するということでは無いにしろ、偶然とは必然では無い…全ての命にとっての共通性を見出すこと…そこに集中する意識が揺るがないからこそ、これほどにも多くから頼られ続けてきたのだとも思う。
社会の価値観と西洋医学の価値観が一体化している現代。
現代に生きる私たちの生命に対する意識…西洋医学とはその現れなのだと思う。


ただ、生命を『自然』という視点から見てみれば、「いまここ」の生命バランスは極端に狂ってしまっている…と思う。
自分自身の身体を通じて日々感じる。
自分はいま自然なのだろうか…と。

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いま自分が感じている痛み…自分にいま起こっていること。
…幾つかの「病」は確かに自分自身の痛みとして、自分だけが感じられるものとして起こっている。
ただ、自分が感じているこの痛みとはどうやら、自分が抱えている「病」から生じる痛みだけでは無く、それ以外の痛みと大きく共鳴しているような気がしてならない。

世界を単純に西洋と東洋に分けることはできないけれど、こと医学に関しては、日本に生きる私たちにとって、西洋医学に対する東洋医学と考える人は多いと思う。
東洋医学は、「病気」とは体のある部分だけの病変ではなく、身体全体…すべてがつながった一つの生命体の病変としてとらえ、人体の全体性を重視する。
最も大きな特徴は、人間にはもともと備わっている『自然治癒力』があるという捉え方。
この自然治癒力を如何に高めるかが東洋医学の根幹とも言える。
別の言い方をすれば、「自分の内側から治癒しようとする力を沸き起こすことこそが重要」
それには、病が有る無しに関わらず、常に、自分と自然とは一体のもの…人間も自然の一部であるという人間観を持ち続けることができていなければそもそも「自然治癒力」という考え方を理解することすら難しいのかもしれない。

西洋医学には基本的に「自然治癒力」という概念が無いのだという。
もちろん、自己免疫への働きかけは治療にとって必要不可欠なものではあっても、あくまでも薬や手術といった外的な力の作用こそが重要であり、「自然に治る」…や、「自然を信じて待つ」…というような概念は既に西洋医学にとっての医療とは言えないということか。
この背景にあるもの…それは砂漠に代表されるような厳しい自然環境の中で生き抜いてこなければならなかったというリアリティーだと思う。
乾いた土地に生きる人々が、天を仰ぎ雨を待つ…天に救いを求める。自分を助けるものや救ってくれるものを求自分の外側に求める気持ち、「大いなる力」は自分の外側にあるもの…という気持ちが起こるのは当然なのかもしれない。
そうした土地に生きる人々にとっての自然とは生命に対しての脅威…そこには、人間もまた自然の一部という考え方…「大いなる自然に感謝して生きる」 「自然に生かされている」という発想は生まれにくかったのかもしれない。

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西洋からすれば東の果て、東アジアという温暖な気候の中に生れ育った私たち。
私たちの祖先は、五穀豊穣をもたらす大地に感謝しながらこの土地に生き続けることで、やがて、死と再生を繰り返しながら絶え間なく生命を生み出し続ける力そのものを『自然』であると考えるようになっていったのだと思う。人は自然に生かされていると知った人々は、自然への感謝と同時に、時に、人に対して猛烈な力で襲いかかる自然の脅威に対して畏怖・畏敬の念を抱きながら、それはやがて、東洋的な生命観や宗教観、自然観を育むことへと繋がっていったはずだ。
自然が生命を生み育てる。
この世に息づく生命とは全て一つの有機的な繋がり…互いに連鎖・関係しながら変化し続け、絶え間なく自己生成、自己創造していくエネルギーの現れだ。
そうした考え方があってこそ、自分の中に病を治す力や癒す力…『自然治癒力』という概念が育まれ、だからこそ、人々は『自然であること』を信じてこれたのだと思う。

「大地に感謝し自然からの恵みをいただく」と表現してきた日本人の根源的な感性は、こうした自然観が背景にあることは間違い無い。
…しかし、自分はもちろん、「いまここ」を生きる日本人にこうした自然観や感性はいったいどれだけ残っているのだろう…。時に、私たちに対して襲いかかる自然の脅威に対して畏怖や畏敬の念を感じることはあるだろうか。

「自分の内なる力」…それは、自分の内に自然があると信じる力だと思う。
いまは、この地に生れ、この地で育まれた自分の感性を信じること。
そうすればおのずと自然は私を本来あるべき姿に戻そうとするような気がしている。

                     小池マサヒサ 記
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by cafe_mazekoze | 2012-01-24 16:04 | RIKI-TRIBAL | Comments(1)
Commented by ne〜sun at 2012-01-24 21:42 x
おっ!私の視力に近づいてきたね。
私の左目は0.02、右目は0.04(おまけに老眼もあります)
なんだか見えないのに慣れちゃって
見えてた頃の感覚が思い出せない。。。。
裸眼でお月さんがもう一度見たいなぁ〜
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