「女神の家」にて

少し前にこのBlogでもお伝えした、アーティスト・イン・レジデンス 
「スズキジュンコ|女神の家」  が始まりました。

■アーティスト・イン・レジデンス(Artist-in-residence program)
「スズキジュンコ|女神の家」
制作公開場所|長野市立町961
(善光寺門前・大本願西側、西之門町通りから西へ路地入る約60m先右側)
作家滞在期間|2011年 7月23日(土)から31日(日)
主催:清泉女学院大学人間学部心理コミュニケーション学科現代コミュニケーションコース
a0162646_8375072.jpg・スズキジュンコHP
・清泉女学院大学HP
初日の23日(土)には関連企画としてトークセッション
「あらためて、美術表現・発表・価値について思うこと」
スピーカー :小池マサヒサ(彫刻家)
         スズキジュンコ(現代美術家)
モデレーター:山貝征典(清泉女学院大学)
…が開催されました。

清泉女学院大学の山貝先生から今回のアーティストインレジデンスプロジェクトについて聞いたのがおよそ2カ月前。何で清泉女学院がアートなんだろう…しかもレジデンス?
興味はまずそこからでした。
その後、この企画者でもある山貝先生からどうして今レジデンスなのかについて、今回の作家の選択について等のお話しをお聞きしながら、私からも何かご協力できることがあればということから企画されたのが今回のトークセッションでした。

私は作家であるスズキジュンコさんとはこれまで一度も面識はありませんでしたが、今回のこのレジデンス企画についてのお話を聞くうちに、直感としてスズキジュンコはいける…となぜか思ったのです。その時、それがなぜなのかについてはあまり考えませんでしたが、スズキジュンコはいける…と思いながらも、「自分はいったい彼女のつくり出そうとしている何に対して反応しているのだろうか」…という想いが次第に増していったのでした。
もちろん彼女自身のこれまでの仕事ぶりへの興味も影響しています。アーティストの仕事の記録、それがたとえ残り香や僅かな温もりのような微小な痕跡であったとしても、それはこの世にそのArtが一瞬でも存在したリアリティーですから、それはそれとしてとても興味深いし重要です。
けれどもその時、私の中に沸き起こっていた感情は、彼女これまでの仕事に対してでは無く、この自分を“直感として揺り動かしている何か”への強い興味だったような気がしています。
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スズキジュンコさんは、私の想像していたとおり…いや…それ以上に魅力的な女性でした。トーク開始10分前に始めて現場で会ったにも関わらず、「よぅ…久しぶり!」的な自然体に、私を直感として揺り動かしたものが何であるのかは瞬間的におおよそ理解できました。「なるほど…これだったのか」…って。
でも、「これ」を言葉で説明するのは何とも厄介です…。
それを文章化することもできるかもしれませんが、私の話しなんて聞くよりは、まぁ、騙されたと思って「女神の家」に行ってみてもらった方が良いと思います。
「女神の家」は今しかないんですし…。
もしかすると私が感じた何かをあなたもそこで感じることができるかもしれません。

トークセッション中も、その後トークにいらして下さった方々と色々なお喋りをしながらも、やっぱり自分はArtが好きなんだなぁ…とあらためて気付かされました。
こうやって、Artにどっぷりと浸かることだって、あらためて考えてみるともう随分と長いことできていなかったような気もしたりして…。
「もっとArtしたい」…。自分のモチベーションは常にそこに端を発していて、その気持
だけは今までずっと持ち続けてきたような気がします。…でも、もしかするともう長い間、「何もArtでなくてもいいじゃないか」…そう自分に言い聞かせてきたような気もします。
あらためて“自分が追い求めてやまないArt”について考えたり思ったりしつつ、とは言え、これからも自分はたぶん今までどおりにしかできそうもない…きっと自分には自分のArtしかできないだろうし、そこを無理に変えるつもりも無い…とか思いつつのArtな一時だったと思います。
今回の場を共につくって下さった方々に感謝します。
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一般的に、アーティスト・イン・レジデンス・プログラム:Artist-in-residence programとは、芸術家が一定期間、地域に滞在し、地域の人々や地域固有の風土・環境・文化に触れながら、作品を制作、展示公開を行うことを通じ、地域住民と芸術家の交流を促しつつ、地域における芸術表現の新しい可能性を探ると共に、地域の文化をつくり出すための制度や事業を示すもの…とされています。
レジデンスの運営母体や規模、滞在期間などによって多少の目的性の違いはあれど、共通するのは「芸術家が一定期間、地域に滞在することを通じて地域住民と芸術家の交流を促す」という手法、そしてそれを「今後の地域文化に生かす」目的性です。
いずれにしても、アーティスト・イン・レジデンス・プログラムにおいては、「地域のありかた」「まちの今後」を切り離して考えることはできません。

Artist-in-residence program は、program ですから、計画や予定、スキーム、スケジュール、デザイン、プランなどにも近く、無形であって、定まった方法論もありません。
“なぜ・どうして・何を・どうする…”といった道筋に対して、Artist-in-residence programはそれら全てに対してあえてArtを介在させるプログラムであると言えると思います。

ある特定のArtが優れているかどうかを評価・表彰することでまちの豊かさや価値観を測ったり、優秀なArtをまちに誘致するのでは無く、「この地域でArtを育ててみること」を通じて、地域が『いま』持つ『育てる力』がどれほどなのかをまずは自分たち自身が知ること…
それこそが、Artist-in-residence programにとって最も重要な意味であるとも言えそうです。

Artist-in-residence programで招かれたアーティストが地域と関わりを持って制作することに意味を感じつつ、アーティストとしてさらに大きく成長できるかどうかの重要な鍵は、「いまここ」である地域で育まれてきた潜在的な文化力です。その中でも特に『地域が持つ、育みの力』の量に大きく関係すると私は思っています。

ただ、そもそもArt表現は多様であるからこそのArtである以上、地域のあちらこちらに無尽蔵にArtが拡散しすぎると、どのArtが育ちやすく、どのArtは育てづらいのかも解らなくなってしまいます。
本来的にはアーティストが持つべきArt力はそういった混沌の中でこそ育つのだと思いますが、“地域という視点”という、Artist-in-residence programとしての目的性がそこに求められている場合、Artの混沌さは、自分たちが暮らす地域が持つ育みの力量判断を難しくさせると思います。
そこで、あえて限定的にArtを絞り込み、そのArtから地域を見る・考える…という発想が、近年のArtist-in-residence programへと進化してきているような気がします。

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私がArtを通じて地域を意識し始めたのは、学生時代から長く暮した、東京都国立市という地域との関わりからでした。
私たち…RIKI-TRIBALが、あえて地域の中にArtを置く、“地域でつくること”を通じて、地域がArtをどのように捉えるのかを知ろうとする試みを開始したのは1999年。

PlantereCottage Blog

いま思えば、その手法はアーティストのエゴに依存するような少々手荒な方法だったような気もしますが、結果として、このプロジェクトとして私たちがつくり続けた「場」は、12年目を経過…。今年からは運営主体として私たちRIKI-TRIBALは退いた運営方法に切り替えてはいますが、私たちが地域で出会った仲間たちに引き継がれ「PlanterCottageという場づくり」はいまも継続しています。

PlanterCotaageという場づくりは、私を「いま」へと大きく成長させました。
そして、この場づくりの背景に国立市という地域があることは間違いなく重要です。
“自分が追い求めてやまないArt”にとって地域は決して切り離すことができない大切なポイント…そう考えると、私という美術家を育てたのは国立市という地域が潜在的に持っていた文化力…地域が持つ「育み力」だったのかもしれません。
私たち家族はいま現在、長野市に暮らしていますが、私が「いまここ」ですること…そしてこれからの方向性にもPlanterCottageをつくり続けてきた…国立市という地域に暮し続けてきたことが大きく関係していることは明らかです。

国立市は東京都の西、三多摩と呼ばれる地域の一画、JR中央線のひと駅でもある郊外都市。この中央線沿線は、戦前には日本軍の基地や工場が…戦後には在日米軍の基地が幾つもあった地域です。国立市の隣りに位置する府中市と立川市には、戦後、在日米軍基地が置かれ、ここから朝鮮半島やベトナムへ爆撃機が飛び立っていった…そんな基地の町としての歴史を持って今に至っています。ここからもう少し離れた東京都福生市にある在日米軍横田基地には、今でもアメリカの極東における戦略作戦司令本部が置かれています。
そんな基地の隣のまち…国立市というまちにとっても基地や戦争は暮らしのすぐ隣の出来事…すでに戦後とよばれる時代になっても、戦争は終わってはいないまちでした。
私が美術を学んだ美術大学がこうした三多摩地域にあったこともあり、かつてのArtや文学…それ以外の様々な表現や表現者たちが戦争や地域とどのように向きあっていたのかは、現在の私の考え方の根底に大きく影響していることは間違い無いと思います。

戦争、あるいは武力行使…という解決手段には断固反対です。戦争や武力は最終的には世界を二つに分断し、そこに支配する者と支配される者という構造をつくる絶悪なしくみそのものです。
これを何回も繰り返せばどうなるか…それは小学生にも解かる簡単な算数の問題だと思います。
世界中の国々や人々が、戦争…あるいは武力を、抱え込んだ問題解決の方法として用いるには、それ相応の事情、理由があるとは言え、これだけ殺しあっても未だ戦争や武力という手段を手放せない今の人間社会の在り方にはなんとも言いようの無い憤りを強く感じます。
ここにきて露わになった原発問題もこれは現代における戦争として捉えるべきだと私は思います。

そうした地理的、歴史的背景を持った地域に暮らし、そこでArt活動を行うことをつうじていままで知らなかった地域の様々な問題を知ることも多々ありました。ある時期は、地域を…まちをArtで変えたい…と真剣に考えてみたことも無かったとは言えません。
もちろんArtには計り知れない大きな可能性があると今も思ってはいますが、でも、あの頃のように、いまもArtでまちを変えたいと思っているか…と問われれば、私は“いいえ”と答えます。

Artには何かを変化させたり、何かを先導する力はありません。
…そのようにArtを使おうとすれば、Artが持つ可能性は消えてしまうような気がします。
Artは、「私はどう思うのか」であって、それ以上でもそれ以下でも無いと私は思います。もちろん、個人的な信条や考え方がArtに反映されるのもそれはそれとして当然ですが、でもArtにできることは
「我想う」…そこまでです。
ただ、そんなArtが、「私はこう思うけどあなたはどう思う」という一連のつながり…時間の流れにの中にあるかどうかはとても大切なこと。
Artが地域と共に育まれてゆく可能性があるとすれば、そのあたりを無視することはできないのではないでしょうか。

依然としてArtは私を魅了し続けています。

きっと、Artはただそこに在りさえすればそれでいいのだとも思います。
そんなArtの傍らで会話は生まれるのかもしれません。
…そんな気がします。


小池マサヒサ 記
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by cafe_mazekoze | 2011-07-25 08:46 | RIKI-TRIBAL | Comments(0)
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