アーティスト・イン・レジデンス 「スズキジュンコ|女神の家」

今月…2011年7月23日(土)から31日(日)まで
清泉女学院大学 人間学部心理コミュニケーション学科
現代コミュニケーションコース主催により、
長崎市在住の現代美術作家 スズキジュンコ氏を招き、アーティスト・イン・レジデンス・プログラム(Artist-in-residence program)が開催されます。
清泉女学院大学HP 

アーティスト・イン・レジデンス 「スズキジュンコ|女神の家」
制作公開場所|長野市立町961
(善光寺門前・大本願西側、西之門町通りから西へ路地入る)
作家滞在期間|2011年 7月23日から31日
スズキジュンコHP
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このプログラムには関連する幾つかのイベントも予定されています。
関連イベントの一つ、トークセッション には私もスピーカーとして参加します。
このトークセッションは事前の打ち合わせは一切無し。ライブですし…その方が3人とも本音で話せそうな気がします。ちなみにスズキさんはこの日が制作初日…制作意欲満々?テンション全開なのでしょうか?…楽しみです。
有意義なトークになると思います。ご興味のある方は是非「女神の家」にお越しください。
定員30名程度、無料です。

◆トークセッション「あらためて、美術表現・発表・価値について思うこと」
日時:7月23日(土)13時~16時 (定員30名程度)
スピーカー :小池マサヒサ(彫刻家)
      :スズキジュンコ(現代美術家)
モデレーター:山貝征典(清泉女学院大学人間学部)

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『アーティスト・イン・レジデンス・プログラム:Artist-in-residence program(略:AIR)』とは、
芸術家が一定期間、地域に滞在し、地域の人々や地域固有の風土・環境・文化に触れながら、作品を制作、展示公開を行うことを通じ、地域住民と芸術家の交流を促しつつ、地域における芸術表現の新しい可能性を探ると共に、地域の文化をつくり出すための制度や事業です。
欧米では、世界大戦が終わった1950年ごろから始まり1970年代にはこうした制度が普及し、主に若手アーティストにとっては、非常に有益なスカラシップ制度あるいは留学制度として確立しています。日本では1990年代から自治体などによって地域文化の発展を軸とした地域活性化を目的に、芸術家の育成や地域文化を担う人材の発掘育成が行われてきましたが、現在では、文化庁をはじめ、公立・私立の美術館、民間企業、大学等研究機関、個人まで…様々な団体や組織あるいは個人が芸術家を招聘しています。制作に必要なスタジオやアトリエ、宿泊施設など、いわゆるレジデンス施設には、公立美術館が運営する施設もあれば、民間団体や個人が運営している施設もあります。ようするに、芸術家を招聘する側の目的や条件は様々であると同様に、アーティスト側の参加目的や活動内容も様々、待遇や滞在期間も様々…ということです。

こうした試みが社会に定着するようになってきたことは喜ばしいことである一方、アートと社会の関係性を築くプログラムはいまだ発展途上であるがゆえ問題や課題は多々あります。しかし、個人に対する資金支援とも言える奨学金制度や補助金制度とは違い、アーティスト・イン・レジデンス・プログラムという試みの最大の特徴は、「できることの交換」にあると思います。
Artにとっての経済性はそれはそれとして重要ですが、でも決してArtはお金がありさえすれば成立するものではありません。できることを持ち寄りそれを交換するという私たちがはるか昔から用いてきた自由で平等なコミュニケーション方法を現代社会に生きる私たちは既に忘れかけている…失いかけている気がします。
アーティスト・イン・レジデンス・プログラムは、Artと社会との関係性をあらためて問い直しながら、私たちひとり一人がArtに関係できること…、地域や社会と関係していることを確認しながら、これからの未来をみんなでつくるための貴重な一歩にできるのではないでしょうか。

今回長野市善光寺門前という地域で行われるアーティスト・イン・レジデンス・プログラムは、大学という教育機関によって主催されるプログラムです。
ということは、まず第一に、大学としての教育プログラムの中にあること…大学が考える新しい学びの場の創出、特色ある学びの場の創出、が大きな目的であると言えると思います。
とはいえ、大学内に滞在・制作するのでは無く、2週間という短い期間であるとはいえ、アーティストが地域に暮らしながら、作品制作をつうじて地域とコミュニケーションを図るからには、結果的には地域文化の可能性を押し広げるであろうし、なにかしらの地域活性化にも通じると思います。
ただし、目先の集客数や効果ばかりを期待しがちな地域活性化策があまりにも目立つ昨今、今回のプログラムが「教育」に根差したものである以上、大学関係者や地域の方々はどうか長い目で見守って頂きたいと思います。この取り組みは必ずや人を…そしてまちを成長させますから。

今回のアーティスト・イン・レジデンス・プログラムの重要なポイントは、作家が善光寺のお膝元である善光寺門前町に滞在しそこで制作が行われるということにあります。
このプログラムの企画者である、清泉女学院大学人間学部の山貝征典氏は、
“「信じること」という人としての根源的なやさしさ、前向きな姿勢に注目し、善光寺を有する仏都「長野」へ被爆都市であり平和都市「長崎」で制作を続けるスズキジュンコという現代美術家を招くことによって、「信じる」力を回復するための通路を開く新しい試みをなそうとしている”と述べ、アーティストは、この善光寺門前町の元旅館であった空き家に滞在し、地域の方々との対話を通じて、そこに見ることが可能な「女神」を創造しようとしています。

いまはまだ制作が始まったわけではありませんから、あまり勝手なことばかり言うこともできませんが、今後の善光寺門前の大きな可能性としてアーティスト・イン・レジデンス・プログラムの継続的な実現を模索している私としては、今回のプログラムが是非とも今後に繋がるプログラムになるよう大いに期待しながら…とは言え、微力ではありますが協力させて頂きたいと思っています。

とかく難解だと言われがちな現代美術。なぜいまもってこれに真剣に取り組む人がいるのか解らないと言われても当然の状態…残念ながらそれほどに日本の現代美術は社会参加できていないし認知もされていないのが現実です。
でもこの現代美術こそが私の人生を決定づけたことは紛れもない事実。
このところ私は自分を「美術家」あるいは「彫刻家」と名のっていますが、それは単に私の出発点が「美術」であり「彫刻」であっただけのこと、「現代美術家」でもやることはきっと何も変わりません。
20代の殆どを何かに取り憑かれたように制作と発表に明け暮れその後、あれこれ考えた結果、今現在まで美術館や画廊での作品の展示活動は殆ど行っていません。
ですが、美術だからこそ可能なこと…美術でなければできないことがある…とずっと思い続け、なんとかつくることは止めること無く今に至ります。

美術館や画廊での発表から距離をおきながらも制作を続ける中、ある頃から否が応でも意識せざるを得なくなった存在…、それが「まち」でした。
「まち」は時に「地域」とも呼ばれます。
そんな「まち」あるいは「地域」の中で美術によってコミュニケーションすること…。
その大きな転機となったのが、1999年から現在まで継続中(現在は仲間たちによって運営中)の「PlanterCottage(プランターコテッジ)」というとりくみです。いま思えば、ほとんど勢いでつくってしまったものの、「場」を維持すること、活動を継続する苦労なんて考えもしなかった…あがけばあがくほどに深みにはまってゆく泥沼ようでもあり…想像以上に大変なことの連続。私が「アーティスト・イン・レジデンス」という「場」をつくることを意識し始めたのもそんなPlanterCottageを通じての辛くもあり楽しくもある活動があったからだと思います。
このあたりはかなり長くなるのでまたの機会にします。
PlanterCottage Blog
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さて、今回のアーティスト・イン・レジデンス・プログラムで制作されるであろう作品においては、作家の独創性はさほど重要では無いと私は思っています。
もちろん作品は作家の作品(Work's)として記録されるでしょうし、作品を構想し制作する作家という存在、その作家性は重要、作品としての美しさも…です。ただ、こうした作品づくり(対話型or参加型)で最も重要なのは、作品の独創性…オリジナリティーというよりは、作家が持つ「全体を見通す力」です。
簡単に言ってしまえば、それこそがアーティストに求められるコミュニケーション能力だと思いますが…、ある時は誰よりも接近し、またある時は誰よりも遠くから…俯瞰して眺められるような柔軟な発想力と俊敏な行動力が求められると思います。
少し別の方向から考えてみると、目で見えないものを見る力…アーティストには「心眼」が求められるのかもしれません。


善光寺門前の空き家が「女神の家」へと変容する過程では、人と人のつながりや、街と人と文化の関係性などについて再考する機会が育まれるのだと思います。
たった2週間という短い期間とはいえ、作品が生み出される場に地域の人々が行き交うことによってそこには様々な人と人の対話が生まれ、そして作家は作品に語りかける言葉をその対話の中で見つけ知ってゆくのだと思います。
そしてそれはまるで幼子のような作品へと伝えられる…。
まだ多くの言葉を知らない作品らしきものは、やがてその土地の言葉を覚えながら女神へと昇華するのかもしれません。

人それぞれが持つ「こころ」が通じあうことの可能性…その必要性。
目には見えないものを見る力が様々なコミュニケーションによって育まれてゆく場に立ち会うことによって、私たちが失いかけている「信じる力」を回復してゆくための通路は回復されてゆく…。
人々が、同じ場所・同じ時の中で、目には見えない「信じる力」を感じ、そしてそこに女神を見る…。
それが今回のアート・イン・レジデンス・プログラムによって実現しようとしている芸術と言えそうです。


小池マサヒサ 記
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by cafe_mazekoze | 2011-07-12 00:27 | RIKI-TRIBAL | Comments(1)
Commented by イラア at 2011-07-13 20:08 x
しばしば遭っているのに、それでも尚ブログまで追っかけていって書き込むことがあるのか、と言えばそれがあるので書き込みます。
「現代美術は難しい」について。それは、その現在美術を制作し発信するアーティストが、「難しい美術/創作物」として扱われることを望んでいるか、望まなくてもいくらか肯定的であるからではないのか、と思うのですが。などと書いてみて、やっぱりコメントとして書き残すほどのことではなかったですね。すまんです、ですがせっかくなので書き残しておきます。
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