国立から長野へ + 「緑色のフィールド」

私たち家族が長野市…善光寺門前町に暮らし始めたのは2年と少し前。
ちょうど前回の善光寺御開帳の年でした。かつて自分が生まれ育った町であるとはいえ、町の気配は大きく変わりどこか違う町に来たような…、なんか随分と綺麗になったなぁ…そんな気がします。

長野市に暮らし始める前は、東京都の郊外の小さなまち…国立市(くにたちし)に長い間暮らしていました。大学がこの町から近かったことがきっかっけで暮らし始めた町ですが、ふと気がつけば学生時代から善光寺門前町に暮らし始める直前まで…25年間を国立市に暮らしていたことになります。
そんなこともあって、私にとっては、この二つの場所との関係は特別。
この二つの町の間に張り巡らされた網の目をたどりつつ今・ここに暮らしています。

私は美術家です。
美術家いう生き方を職業と言って良いものなのか、仕事と言って良いものなのか、未だに良くわかってはいませんが、とにかく美術…Artは私にとって欠かすことのできないものであることは確かです。
まぁようするに単なる“美術バカ”ですので、もはや何をするにつけても、自分の遺伝子に組み込まれてしまったらしい美術フィルターのようなものを通してしか何も考えられないし、動けなくなってしまった…ということ、それだけのことなのですが…。
それでもこの迷路のような世の中で生きていかなければならないので、私が美術やArtをとおして見たモノやコトを、なんらかの形に変換すること…それが自分の働き方となって、様々なお仕事をさせて頂いて今をなんとか生きています。
どうもありがとうございます。

東京なら美術でも生きてゆける…と思われがちですが、決してそうとは言えません。
美術のようなもの…Artのようなものに対する需要は、ある意味人口に比例するので、東京圏にはまだたくさんの、“のようなもの”の需要はあると思います。しかし既に美術もArtもデザインも建築も、「…のようなもの」、の点からすれば全てが混沌、曖昧になってしまったので、それが美術であるとかArtであるとかはもはやあまり重要ではなくなってしまっているような気がします。

そもそも、「美術で生きてゆく」とはどういうことなのか…は、とても難解な質問だと思いますが、そこが東京であっても長野であっても、美術によって社会と関わりを持ち続けてゆくことは簡単なことではないことだけは確かなことです。
・・・。
ま~た難しい話するんだから・・・と言われそうですが、作品をつくるだけで満足できるなら…、作品をつくるだけなら、それはさほど難しいことでは無い…けれど、美術で生きてゆくことはとても難しい…ということです。
お金がかかるから…、儲からないからつくり続けるのはむずかしい…、こうした美術と経済の関係も無視はできませんが、でもたとえ作品制作に必要な資金に不自由しなかったとしても、「つくりたい」というエネルギーを絶えず自分の内に持ち続けるということは、お金の問題とは別に次元の話しです。
ようするに、このエネルギーが途切れてしまえば、いくらお金があってもつくることはできないし、おそらくこのエネルギーこそが美術が社会とが結ばれる唯一の手立てであるように思います。
…とはいえ、
お金があったことなんてありませんから、ほんとうのところはわかりませんが・・・。

もう随分と長くこんな生き方をしていますので、たくさんの方から「美術ってなんですか」とか「美術って難しいですよね」とか「私は美術はよくわからないんですけど…」と聞かれたり、言われたりします。
…確かにその質問に答えを出すのは難しいと思います。
でも、きっと答えは私たちひとり一人の中にある…。
だからこそ、美術やArtは原始の時代から人類と共にあり続けているのだと思います。
私は美術作家がその答えを知っているとか、美術の専門家なら必ず答えられるとは思えません。
私は、そうした質問や感想の「美術」というところを「命」もしくは「生きる」に入れ替えてみると、少しだけわかりやすくなるような気がするのですが、はたしてどうなんでしょうね…。


このBlogは善光寺門前町にある、CafeMAZEKOZE からの日記です。
ほとんんどはマゼコゼ管理人のつねこさんが投稿しています。
そこに私…小池マサが投稿すると、Blog閲覧者がガタ減りになる傾向があるのはわかってはいても、たまに乱入投稿させていただいています。
ほんとうは、私だけのBlogもあることはあるんですけど、さびしがり屋ゆえ、このところは殆ど投稿していません。※そちらは、閲覧注意!…なんのこっちゃわからないことだらけです。

ですが、たまにはこちらにも載せてもいいかな…なんてのもあるので、
見直しながら、私が東京国立市で思っていたことなどをご紹介したいと思います。
まぁ今とたいして変わりませんが…。
以下は、2005年にローカルコミュニティー誌のために書いた文章です。

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“緑色のフィールド”


この世の中に偶然なんてものがあるのだろうか。

それが、“ほんの偶然“であればあるほど、その偶然は、自分であることを探し求めている自分を露出させる鏡のようなものである気がする。

この街に暮らしているのも、私にとっては、ほんの偶然の出来事の一つ。

一人で遊ばせておくには、まだちょっと早い娘との散歩。
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公園という場所がどうしても馴染めない私にとって、家からもさほど遠くない場所にあるこの街唯一の大学のキャンパスが、お気に入りの散歩コースとなっている。


この街の幸いの一つ。

それは、この大学の中にかろうじて残されている緑色のフィールドであり、過去から現在にまでに蓄えられた膨大な遺伝子がそこにはプールされていることだ。
ここで私が偶然出会った植物の数は多い・・。



東京とは言っても、ここまで山に近づけば少しは緑も増してくる。
・・・・・・。

本当は、「増す」では無くて、「残っている」と言うべきなのかもしれないが・・・。
まさか、こんなにも長く、この街に住むとは思ってもいなかったものの、これ以上東にも西にも移動する気にもならない。
もう何年も自分自身がつくりだした境界線上に留まり続けている。
四方を大小の山々に囲まれ、描く絵には、緑色の絵の具は欠かせない地方都市で育った私からすれば、緑の豊かさが気に入ってこの街に住んでいる訳でもない。
・・・・・。
「なら、何が気に入って・・・」という質問には、いつになっても上手く答えられない。

此処という場所が、此処であり続けているから。
私の中の、こちら側とあちら側の間に此処があるから。
だから私はこの街に暮らしている。
・・・と、今は答えることにしている。






娘を連れて大学の裏門を通り抜ける。

植物と大気が複雑に混じりあって放つ匂いの中に、ほんのわずか、土の匂いが含まれていることに気がつくと、木立の隙間から差し込む太陽の光は、幾分緑色に近いことを知る。
木立の上の鳥たちのさえずりに重なって、風が揺らす葉が触れ合う音や、木立の間を通り抜ける音が聞こえ始めると、私という存在もまた緑色のフィールドの一部であるということ。
・・・私たちが以前暮らしていた場所は、此処だったということを思い出す。



すずかけの木の実を、見つけて喜ぶ娘は、あっちにもこっちにもある実を拾い集めている。

彼女が集めるその実は、はるか昔の記憶と、はるか未来永劫まで伝えなければならないことによってつくられている。
彼女によって拾い集められたという出来事は、その実にとってのほんの偶然。
でもきっと、この偶然は、その実の中の何処かが待ち望んでいたはずの一つであって、次の瞬間には、記憶となって、その実の中の遺伝子の一部に書き加えられるのだろう。

そうやって、つくられるもの。
それを自然と呼ばなければならないと私は思う。



私が住んでいる場所・・・・。

私たちが日常的に使っている「住所」というものは、自然という観点を全く含んではいない。
勿論、現代に暮らす私たちが、その便利さや必要性を全て否定することはできないが、住所によって私の暮らす場所に郵便物は届けられたとしても、住所からは、その街の気候や地形、そこに生息する植物の種類を知ることはできないということを、私たちは忘れてはいけない。

私たちの誰もが、すずかけの実の持つ自然さと同じものをその内側に持っているにも関わらず、住所という効率化の手段を、無条件に受け入れることによって、自分たちが緑色のフィールドに暮らすものたちであることの意識が薄れ、其処に暮らす権利をも放棄しようとしている。



そもそも、植物の葉の緑らしさは、他の何物によっても感じられない緑と感じるように私たちはつくられている。

どんなに科学が進化しても、植物の葉の緑らしさと同じ緑色を、私たちがつくり出すことはできないだろう。
それがどうしてなのかはわからない。
しかし、そこには確実に「心動く何か」がある。
私は、その「心動く何か」が訪れる瞬間を逃したくないと思い続けている。
現代という時代に生きる私たちが、私たちもまた自然の一部であるということに気付く瞬間はとても少ない。
少ないからこそ、その瞬間を少しでも多くの人々が共有し、少しでも長くそれを持続させられる場づくりを私たち共通の目的としなければならないと思う。



私たちは長い間、いかなる他の存在にも依拠せずに自立して存在するべきだという幻想を抱いてきた。

それは、自分たちが暮らす場所に対しても変わらない。
自立して生きる為には、緑色のフィールドを支配する力が必要だと思い続けてきたのだ。
そうした幻想は、自然ばかりか、文化や歴史といった目には見えない関係性も含め、全て破壊する。

このような幻想を断ち切る為に・・・。
場所との関係性を築く為に・・・。

私たちは、場所との関係性を生きる植物という存在から多くを学ばなければならない。
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植物はまさに、場所との関係性によってのみ生きている。
土地に根を張り、自らは動くことができない、植物にとって、その場所が如何にして持続するかが=自己生命の持続に繋がる。
その特徴は、「次に託す・・」、あるいは、「他の存在に委ねる」といった、人間が抱き続けてきた幻想の逆にある。
植物の場所に生きる関係性は、自らが循環を促す一員となることによって築かれる。



私たちは、今すぐにでも、自分が暮らす場所に根を張る植物に一歩近づいてみることができる。

それが、場所に対しての関係性を生きるということへの最初の一歩となり、循環の一員に加わる意思表示でもある。
私たちは全て、緑色のフィールドに生きる権利を持つ者として、壊れかけた関係性を復元しながら、人間の生活のあり方を再発見し、持続可能な地域に転換する、あらゆる可能性を探り始める。
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by cafe_mazekoze | 2011-06-24 09:18 | RIKI-TRIBAL | Comments(1)
Commented by ara at 2011-06-25 21:06 x
必然を願い、そして偶然に感謝する。そんな日々を送り続けるよう心掛けたいと思う今日この頃…。運命を信じるかと問われれば、信じますと応えるつもりですが、その運命に翻弄されることも運命だと思うようになりました。アーチストの発するメッセージが難解なのか、それともそれに耳を傾ける側の「傾け方」が足りないのか。良く分からないのですが、できるだけ咀嚼してみます。では、また。
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