ロケットの炎 

地球は温暖化傾向にある…と言われてはいても、今年も確実に冬はやってきました。
Cafeマゼコゼは、善光寺盆地の西側にあって標高約400M。ここから見えるもっとも高い山は2300M級の志賀の横手山や菅平の根子岳、それらの山はもちろん、善光寺盆地の周囲を囲む360度全ての山は真っ白、真冬の姿になりました。
東京の知り合いからは長野は雪が多くてたいへんでしょう?と聞かれるますが、最近では市街地で雪かきが必要な程降り積もる日数は10日あるか無いかぐらいですし、積雪も多くて30cmほど。校庭や神社の裏山でスキーやソリをした私の子供時代と比較すれば、降雪量はあきらかに減っているようにも思いますが、自然のスケールと人間のスケールは単純に比較できませんし、雪の減少=危機的状況なのかどうかは誰にもわかりません。自然が今をどう動こうとしているのか…自然の摂理は私たち人間が使っているような単純なスケールじゃ決して測れ無いような気がします。
このあたりでは北へ5分車を走らせれば10cm雪が深くなる…と言われます。長野市街地から車で20分ほどの飯縄町で50cm~1M、40~50分の距離にある県境の信濃町(黒姫高原)あたりまで行くと1M~1.5M、そこからさらに20分ほどの新潟県妙高高原町では2Mを超える積雪があります。
これだけ温暖化だの異常気象だのと聞かされて危機感をあおられれば、これも温暖化の影響かな?…と思うこともありますが、毎日降り積もる雪、2M超えの雪と格闘している人々からすれば、温暖化だろうがなんだろうが一回でも雪かきの回数が減るならその方がいい…と思うのも当然だと思います。

MAZEKOZEの冬の主暖房は薪ストーブです。
昨年の冬から使用しているMAZEKOZEストーブは随分と進化?成長?し、今年の冬も大活躍してくれそうです。
このストーブ、すっかり時計型じゃ無くなってしまいましたが、原型は新潟県燕三条市で生産されている「時計型ストーブ」とよばれている国産ストーブです。今年は近所のホームセンターで¥3980(煙突は別途)で売られていました。
かつて山小屋で使っていた時計型ストーブに魅了され、大学を卒業してからの最初の自分のアトリエ…埼玉県飯能市の山奥の豚小屋改造アトリエ(ほんとうに豚がいた豚舎を借り、無理やりアトリエに改造しただけの小屋…)で愛用して以来、ストーブといったらこれしか思い浮かばない私は、MAZEKOZEでも当然のことながら時計型ストーブを…と思ったのですが…。
なにせこのストーブときたら、火の点きは良いけれど、薪はあっという間に燃え尽きてしまうし、煙はモクモクモクモクと始終出しまくり、おまけに薪が無くなればアッという間に冷えてしまう…という、なんともラテン的というか情熱的な奴。 
実はこの時計型ストーブってやつは暖房用じゃなくて山小屋などで調理することが主目的だということに、最近になってようやく気がつきました。
ようするに、パッと料理して、体が温まったらさっさと寝る…もしくは、さっさと仕事する為のストーブなのです。
山小屋感覚、焚き火感覚が手軽に家庭で楽しめる・・・という点では超優れものなのですが、これを主暖房として使うとなると結構大変。薪ストーブの優雅なイメージからは程遠い。
しかもこいつを、街のど真ん中に連れてきて使うなんてことを考えると、まず第一に大量に出る煙は大問題!こんな奴と一緒にいるだけでご近所に煙たがれてしまいます。

そこで…と言うか、かねてから考えていたのが、この時計型ストーブのロケットマスヒーター化。
(STOVES・ストーブは調理器具のことで日本語で言うストーブはHEATER・ヒーター、ロケットマスヒーターとはロケットストーブ方式の大容量ヒーターという意味)
「街中で時計型ストーブを主暖房として使う…」から発生する問題をあれこれ考えた結果、最終的にたどりついたのがロケットストーブという発想と構造だったのです。
このロケットストーブについては以前にもザックリと書いたことがありますが、そもそも「部屋を暖める」という目的はロケットストーブにとっては後付けのおまけ的要素。ここ数年…特に最近になってロケットストーブの意味性、可能性に気付いた人々によって情報交換が繰り返されながら、“ロケットマスヒーター”は日々進化を繰り返しています。
なぜ最近?…おそらく最も大きな要因は、インターネット環境の急速な進歩とオープンソースという概念の浸透、特にYutubeなどの動画投稿サイトを通じての情報配信は最大の要因だと思います。

「冬の寒さに対して部屋を快適な温度に保つ」…は、現代の日本に暮らす私たちにとってはあたりまえのこととして認識されています。冬が近づけば今年の灯油の値段は高いor安い…もしくは、経済的なのはガスor電気…という話題がちょこっと出るだけで、部屋を暖める…という“あたりまえさ”についてあえて言及することはありません。
“ロケットマスヒーター”はそのあたりまえさについてあれこれ考えさせられる。
私がロケットストーブに惹きつけられた理由、それは 『ちょっとまって!』 だと思います。

あたりまえさは単に『あたりまえ』として認識すればいい…あるいは通り過ごしてしまうことだらけの世の中。
あたりまえに対していちいち立ち止まって考えていたら、世の中への疑問ばかりが増大し、「あんた何そんな無駄なことばかり考えてるの?そんな暇あるんならさっさと動きなよ!…」なんて言われて、下手すれば自分だけが一歩も身動きとれないような状態に陥ってしまうやもしれません。
…。
だとしても私は、そんな今だからこそ、『あたりまえ』のずっとずっと手前にあったことに振り向く瞬間がとてもとても大切で必要な気がします。
私たちが「今・此処」から未来に向かって歩み出すためにはそんな 『あたりまえ』 に振り向く瞬間がどうしても必要です。
そして今、日々の暮らしの中に何か一つだけでも…“あたりまえ振り向く為の何か”を見つけたい…。
その何かがあれば未来は一変するかもしれない。
私にとってはたまたまそれが、「部屋を暖めること」であっただけのこと。あたりまえに振り向く為の何かがロケットストーブだけとは限りませんが、私たちがどのような進化を経て此処(今)に到達したのかを知る為にあるような気がするのです。
しかもそれを自分でつくれる喜びは格別。
自分でつくってみると、世の中が今までとはちょっとだけ違って見えてくるはずです。

あるとき私たちの祖先は、この世界を形つくる上で欠かすことのできない大いなる力の存在に気付きました。
崇高で大いなる力…、そんな力の一つが『火』であったことは間違いありません。
「落雷によって木や森が燃え上がり辺り一帯が炎に包まれる…」
そこに自分たちには計り知れない大いなる力を感じるのは、人間としてすごく当然のことだと思います。
しかし、現代に生きる私たちはもはやそうした大いなる力を感じる感性を不必要なものとして捨ててしまったり、封印しようとしているような気がしてなりません。
寒さから身を守る「火」、水をお湯に変える「火」、一瞬にして何もかもを焼き尽くす「火」。
時に「火という存在そのもの」を崇めながら、その使い方を誤らぬよう気遣いながら、火と共に生きる為の選択の繰り返し…それが私たち人類が辿ってきた長い長い歴史なのだと思います。

考古学研究によると、縄文人が暮らしていた竪穴式住居の内部には調理した痕跡は無いことから、住居の中心で燃える火は、寒さなどから身を守る目的があったとしても、単にそれだけを目的としているわけではなく、大いなる力の象徴である火を家の中心に置くことで、疫病や天災を遠ざけるといった目的を持っていたとされ、やがてそうした意識が原始宗教へと進化したのではないか…、やがて燃え続ける火の持つ目的性は住居の中に神棚を祭るといった姿へと変化していった…ということ。
現代のようにスイッチONのコンロも無く、ライターもマッチも無い時代。
家の中心にある囲炉裏のような場所で燃える火を絶やさないことが、生命に直結していたであろう時代。そんな時代に暮らしていた人々は、火という目に見える存在を絶やさず見つめることで、目には見えない生命を感じていたであろうことを思うと、目に見える火が暮らしの周辺から遠ざかれば遠ざかるほどに、私たちが最も大切だと思っている生命は私たちから遠ざかってしまうような気がします。

私たちは何処から来て、そしてこれから何処に向かおうとしているのだろう?
…。
今まで数えきれない人たちが考え続けてきた究極の問いを、ロケットマスヒーターの底で燃える火の流れを目で追いながら…。
さ~て、そろろそ仕事でもすっか!…と思うのでした。

                           小池マサヒサ 記
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by cafe_mazekoze | 2010-12-26 13:29 | ロケットストーブ | Comments(0)
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