善光寺門前町文化芸術村

「牛に引かれて善光寺参り。」
縁あって自分が善光寺の門前町の古い蔵に暮らすことになったのも、
牛に引かれたからだったのかもしれません。a0162646_228522.jpg
このまちに暮らしながら、様々な人と出会い、語らっていると、ふと
言葉では言いあらわしきれない…これって「縁」…?というような感覚を伴うことがたくさんあります。 

先週土曜日に開催された、信濃毎日新聞「Wa(輪・話・和)の会」が主催するシンポジウムと分科会、その後行われたスタッフ交流会でも、なんとなく、自分の想像をはるかに超えるような何か大きな力のようなものが…。
気のせいと言えばそれまでのことですが、それでも、ここ最近の人々との関わり合いには、単なる偶然とは言い切れないような不思議さを感じます。

東京には私たちが場づくりを続けているPlantercottageがあるので、今も東京と長野を行ったり来たりすることが多いのですが、2か所を行き来すれば否が応でも感じる二つの地域の相違。
最近、違い…あるいは共通性を、長野市と国立市という二つの場所をとおして考えることによって「今、自分がしたいこと」がより明確になってきたような気がします。
先の「Wa(輪・話・和)の会」、テーマは「古い街並み、元気にするには?」
は、「今、自分がしたいこと」と「門前まちで暮らすこと」の関係を自分なりに確認できる好機会となりました。


私には今、自分が暮らしている善光寺門前まちに、あるイメージを重ねて合わせつつ結構真面目に想像していることがあります。
それは、善光寺門前町文化芸術村構想
(この構想の全体像は、とても語りきれません…)
そして、この妄想的構想の中心には「善光寺門前町文化芸術大学」という拠点づくりがあります。(ネーミング的にはちょっと堅いかな…とは思うのですが。)

芸術家やデザイナーなどの専門家を育成することが目的ではない…、
子供や大人は問わず、広く市民が総合的に文化力・芸術力を学び育むための拠点。
善光寺を中心として育まれてきた様々な文化芸術を学び、それを今に活かしつつ、育まれるであろう文化芸術をさらに後世へと繋げる為…。a0162646_234364.jpg
善光寺門前町(その範囲の認識は様々だろうけど)は、さしずめ長野市やその周辺の文化芸術を広く学ぶためのキャンパスのような感じでしょうか。

もちろん善光寺門前まちを文化芸術で占拠するということではありません。
善光寺とその周辺で育まれてきた文化が、善光寺平と呼ばれる盆地全体を覆っているという事実…。
意識するしないに関わらず、はるか昔から現在に至るまでここでは常に文化が育まれてきたということです。
その中には城下町松代で育くまれてきたような文化もあります。松代の文化もまた善光寺文化として捉えることによって善光寺文化はより一層厚みを増すと思います。

善光寺周辺をはじめ信州では、はるか昔から多様な文化が育まれてきました。
その最も大きな理由は、山と谷がひしめきあっている複雑な地理的環境にあると思いますが、それと同時に、ここが関東(江戸・鎌倉)と関西(京都)のほぼ中間に位置していること、そしてなにより善光寺信仰によって培われた哲学をベースとする文化芸術が育まれていたことは重要だと私は思っています。
その昔人々は、険しい山を幾つも越えることに自身の人生を重ね合わせつつ、善光寺のあるこの山間を訪れたのでしょう。
でもなぜこんな山間にこれほどの寺が置かれたのでしょうか。人々はなぜ苦労してまでこの山間を目指したのでしょう。この答えの中には、間違いなく日本文化にとって欠かすことのできない重要な鍵が隠されているはず。
かつて善光寺門前まちでは、日本文化として現代へと継承される文化の種が蒔かれ育まれていたのだと思います。

「文化」とは何か?という問いに答えることは極めて難しいことですが、少なくとも文化は、その地域の特徴に沿った暮らし方と密接に関係しているものであることだけは確かです。
ですから如何に優れた芸術作品があろうとも、その地域の特徴に沿った暮らしとの間に関係性が築かれなければ、それは単なる芸術であって文化にはなり得ない、しかしそれが何処で、誰に、つくられたのかわからなくとも…、それがどんなものであろうとも、地域との間に関係性が築かれることによって、それは文化となり得るのだと思います。

a0162646_2375313.jpg現代社会に生きる私たちがあえて「善光寺とは何」、「文化とは」、を考えることは、「地域とは」・「まちとは」・「暮らしとは」を考える上で非常に有効な手立てになると私は思います。
言い換えれば、「この地域」、「このまち」、「ここでの暮らし」、を考えるのであれば、「善光寺とは何か、文化とは何か」 という切り口は決して欠かすことができないと思うのです。

「日本文化」なんて言うと、あまりに壮大すぎるような気がして、自分とは関係無いと思ってしまいがち。
でも、どんな文化であれ、誰かがたった一人でつくれるようなものではありませんし、日本文化と言えども、この国での人々の暮らしとともにあるものですから、
自分も日本文化を担う一人ということなのです。
芸術家のような専門家だけが文化を築いているわけではありません。
つくる側が芸術家であるとするならば、芸術を使って暮らす人々がいることで、やがてその芸術をとりまく暮らしそのものが文化として語られるのだと思います。

ただ残念なことに今の社会では、芸術は一部の専門家だけが理解する難しいものになりがちです。
こうした社会状況の中でいくら専門家を育成しようとも…、たとえその芸術がどんなに優れていようとも、暮らしの中で使われることがなければ芸術は文化には至れない。
今のままでは発信側と受信側の距離は遠のくばかり…、
芸術文化と暮らしは繋がることができません。

私たちは縁あって善光寺の門前まちに暮らし始めました。
だから、このまちでの暮らしをもっと楽しくしたい。
そう思ってあちこちを見てみると、
このまちは面白い…、使える。…そう思ったのが始まりです。

最後まで私の妄想にお付き合いくださってどうもありがとうございました。
この話し、いつになっても終わりそうもありませんので、
ご興味ある方、続きはマゼコゼで。

小池マサヒサ記
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              えびすさんも どうかよろしく!
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by cafe_mazekoze | 2010-04-13 02:44 | 門前暮らし | Comments(1)
Commented by ぬれねずみ、こと at 2010-04-14 08:43 x
今度、昼飯を食べに行こうと思っています。
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