門前暮らし

28日、西之門町のナノグラフィカが中心となって進めている、「門前暮らしのすすめ」、その報告会が開催された。
昨日今日と、ネットを探ってみると、報告会に参加されたのであろう方々のblogに多数、この報告会についての感想などを見ることができる。
このプロジェクトは4月以降も継続されるとのこと、
関係者の皆様、まずはお疲れ様でした。

このような石の投げ方によってできる波紋が様々に連鎖してゆくであろう姿…。
わたしからすれば、ナノグラフィカのこうした投げ方はかなりベタな『Art型』だよなぁ、と思うと同時に、これをキャッチさせるってのは結構大変なんだよなぁ…とも思ったりもする。
もしも自分が「門前で暮らすこと」というテーマに向かって石を投げるとすれば、やはりArt型投法だろうなぁ…と思うと同時に、ここが善光寺を中心に成り立ってきた町であることを考えると、むやみやたらと、ここに人がたくさん暮らし、人口さえ増えればそれで良いということではないだろうし、でもだからと言って、門前に暮らすための条件があれば良し…ということでもない。
このあたりの感覚を伝えながら、それでも門前に暮らしてみませんか?…と言うことは難しいよなぁ…とつくづく思いながらの報告会だった。

報告会でも言われていたが、そもそも「門前」…という定義、範囲そのものが曖昧。
私としては、定義なんてものは必要もなくそれぞれが勝手に解釈すれば良いこと…、というのが本音。
いわゆる歴史として語られる「善光寺町」に門前町色が濃いことは確かだけれど、今後このプロジェクトが進んでゆくにあたって、「不動産的価値観感だけが暴走してほしくない」と私は思う。
家や土地の不動産としての価値が上がることは、ある程度は必要かもしれないが、現実的な物量(家だったり土地だったり)には限りがある、けれど精神的な容量に限りは無いということを大切に考えてみたいということでもある。(私個人としては、門前暮らし…の門前はもっと広範囲のイメージがあるのだけれど…)

とはいえ、現実的には、「門前に暮らしたい…」と思ってくれる人がいたとしても、善光寺から徒歩10分圏内に即入居できるような空き家は少ないし、これを早い者勝ちで奪い合うなんてことにでもなったら本末転倒だと思うけれど、こんなプロジェクトが進行しているということすら知らなかった私たちは、ちゃっかり先に暮らしているわけで、だからこそ、「門前に暮らすこと」を通じて、感じたこと、思うことはきちんと発信してゆきたいと思う。

善光寺が町をつくってきたわけでは無い。けれど、善光寺をなくしては、「門前町」はもちろん、長野というまちそのものがありえない。
「善光寺とその周辺に暮らす人」、「暮らすことでつくられる町」、「暮らしているからこそ行われること」、が常に関係しあうことによって互いがあり続けてきた歴史…時間。
善光寺がその門前に広がるまちと一体であったからこそ、善光寺と善光寺町は全国に知れ渡ったのは間違いないだろうし、日本各地の人々が、はるばる、山を幾つも越えてまで訪れた最も大きな理由は、この一体感を自分自身の「実感」として「感じたい」ためだったのではないだろうかと思う。
別の言い方をすれば、かつて、善光寺とその周辺(門前町だけで無く、その周囲の山村も含めて)のあり方は
「人が暮らす町」のモデルとしてあり得た。
あるいは、人々が理想とする暮らしを「この町をとおして想像していた」のではないかと思う。

暮らし方を想像できる町…
それは=「人が感じることのできる町」のことだと思う。
「ここに暮らしてください」と説得するのではなく、「ここの暮らしを感じてほしい」という伝え方、
そして、感じることによってつながる、つながり方。

住むために必要な情報が誰かによって用意され、そうした情報がわかりやすく提供されること。
暮らす場所を選ぶためにはそうした情報だったり告知も必要なのかもしれない。
けれど、そうした情報だけでは伝えきれない「何か」が門前町にはずっとあり続けてきた。
その何かを感じてもらうこと。
その何かを感じながら暮らしてきた人々が、次にここで暮らそうている者に伝えなければならないこと。
それが、ナノグラフィカがリードする、「門前暮らしのすすめ」なのだと私は思う。
だからこそ、Artを投げればそれで良いのだと。

                          <小池マサヒサ記>

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by cafe_mazekoze | 2010-03-30 11:24 | 門前暮らし | Comments(0)
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